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小倉一哉「エンドレス・ワーカーズ」

エンドレス・ワーカーズ―働きすぎ日本人の実像

エンドレス・ワーカーズ―働きすぎ日本人の実像

 近年、様々な労働問題が大きな社会問題化している中、本来その核心部分の1つである<労働時間>の問題にスポットを当てた研究というのは、案外少ないように見受けられます。そういう中で、労働政策研究・研修機構で主任研究員を務められている著者は、<労働時間>について多くの研究論文を執筆されてきた数少ない専門家の1人で、今回、素人にも分かりやすい労働時間についての専門書を著されたことは、大きな意義を有していると思います。

 日本における長時間労働者の比率の高さが他国に比べて群を抜いているわけですが、本書ではまず、長時間労働者が残業をする理由について分析しています。一般に残業をする理由としては「残業手当が欲しいから」や「会社にいるのが好きだから」といった理由が挙げられることが多いわけですが、著者らの調査によれば、そうした自分の都合による理由で残業をする人は極めて少ないという結果になっています。残業理由として上位に位置づけられるのは、むしろ会社の都合によるもので、「そもそも所定労働時間内で片付かない仕事量だから」が1位、「自分の仕事をきちんと仕上げたいから」が2位となっています。そして、とりわけ専門職の人たちは、業務量が多いことを理由に残業する割合が高い一方で、ホワイトカラーの人たちは自分の仕事だからという理由で残業をする割合が高いという結果が指摘されています。

 そして、労働時間の長さはストレスにも直結し、休日・休暇の満足度にも悪影響を及ぼすことが本書で指摘されています。

 また、本書では、労働時間管理が柔軟な人ほど長時間労働であることが指摘されています。つまり、労働時間管理が緩やかになったとしても、自分の仕事をいつ、どのくらいやるかについて自由があるということにはならない、というわけで、労働時間を自由に設定できる限度を超えた所に、彼らが求められた成果(仕事量)があるということを意味することになります。著者によれば、労働時間管理が緩やかだからといってよりストレスが溜まるといったことまでは言えないとのことですが、ただ、一つ言えることは、労働時間の長さはストレスに直結しているということです。つまり、労働時間の柔軟性が問題だというよりも、それがもたらす長時間労働の傾向が問題だということです。

 それから、正社員と非正社員の二極化の問題についてですが、近年、非正社員比率が急増している事実が頻繁に指摘されます。非正社員比率は1980年代には20%以下だったのが、1990年には20%を超え、2002年には30%を超え、雇用者の3人に1人が非正社員という状況になっています。

 日本の非正社員の中には、フルタイマーの正社員と限りなく近いパートタイマーが含まれている点に特徴があります。そうしたパートタイマーは、正社員に比べて手当やボーナス、退職金といった様々な処遇において格段に劣っているわけですが、著者がこの違いについて「身分の違い」と呼んでいる点は注目されます。つまり、

「身分の違いがなければ、労働時間も、場合によっては仕事内容まで正社員と同じ「パートタイマー」が、なぜ正社員よりもはるかに低い収入にしかならないのか、ということを説明するのは難しい」(p173)

というわけで、大変興味深い指摘です。

 また、著者は、非正社員の割合が増えていることが日本全体の労働時間を短縮させているかのように見せかけている点を指摘されているのは大変重要です。日本全体の総実労働時間は減少しているかのように見えるわけですが、実は、正社員もパートタイマーもたいして労働時間は減少しておらず、減少しているように見えるのは、単に労働時間が短い非正社員が増加しているからに過ぎないのです。

 さらに重要な点は、非正社員についても近年残業が増えているという点です。

「賃金やボーナスや退職金や昇進などがまったく異なる正社員と、非正社員。しかし、労働時間においては正社員と非正社員の差は、少しずつ小さくなっている。“労働時間格差なく処遇格差”が起こっているのかもしれない。」(p178)

と著者は指摘しています。
 しかも、パートタイマーの残業の一部がサービス残業になっているのかもしれないというわけですから、事は深刻です。
 つまり、非正社員が正社員並みの長時間働かされるようになっているにもかかわらず、両者の間には厳然たる処遇の格差が生じているわけですから、ここに正にワーキング・プアの問題の源泉があるわけです。

 年休の問題についての指摘も大変興味深いものです。しばしば指摘されるように、日本の年休制度は、出勤率が要件とされており、しかも、ドイツやフランスのような連続取得要件が課せられていない点で、大きく見劣りするものとなっています。しかも、我が国では年休の消化率が低いことが問題となっているわけですが、ヨーロッパでは年休を消化するのは当たり前のことですから、およそ消化率が問題なる余地はないというわけです。
 ここで1つ興味深い指摘は、我が国で年休「取得率」という場合、一般に、年休付与日数の中に繰越日数が含まれていないため、実は「取得率」の上限が100%であるわけではないという点です。つまり、政府が年休「取得率」を「47.1%になった」という場合でも、それは「半分しか取得されていない」と表現するのは正しくないということになるわけです。

 こうした分析を踏まえ、著者は、長時間労働を解消するための方策として、①勤務時間をきちんと管理すること(IDカードやタイムレコーダーによる管理など)、②業務量の調整権をもっと働く側に委譲すること、③法律の実効性の確保(1年間に360時間という時間外労働の上限の厳格な適用)、などの方策を挙げています。

 それから、働く側の意識として、次のように指摘されています。

「仕事でがんばりたいと思うのは結構なことである。しかしそれも度を過ぎると、仕事以外に人生の意味を見出せず、仕事の失敗が人生の終わりにつながってしまった、そんなことになっては本末転倒である。」(p243)

 個人的には、大変共感できる言葉です。

 それから、

「われわれ働く側は、同時に消費者でもある」(p243)

という指摘は労働の問題を考える上であまりにも重要な指摘です。つまり、我々が消費者としての利便性や効率性を追求するあまり、労働者に対して過大な労働を強いているということです。
 本書では深夜営業の例が挙げられていますが、ほかに例を挙げれば、インターネットで本を購入すると、翌日には本が送り届けられてきます。これは消費者としては極めて便利なサービスであるわけですが、その裏では、広大な倉庫の中を厳格なノルマに急かされながら走り回る多くの労働者たちの姿があるわけです。インターネットでクリックするときに、逐一こうした労働者たちの姿を想像する人はほとんど皆無でしょう。

 さらに著者は、労働組合がもっとがんばってほしいと述べていますが、私も同感です。

 近年、労働について論じられた本は数多く出されていますが、そうした中でも、労働時間の問題について切り込んだ本書は傑出しているような気がします。

 労働時間の問題は、日本社会の中でもっともっと論じられてもよいはずです。知らず知らずのうちにワーカホリックに陥っている労働者たち、非正社員の割合を高めている大企業経営者たちや、過労死は自己責任だと豪語するオバサンたちにも、この本は是非読んでもらいたいものです。

 こういう優れた研究を目の当たりにすると、労働政策研究・研修機構という組織はやはり必要なのだと思わざるを得ません。