- 出版社/メーカー: パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
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ニューヨーク郊外のロングアイランドに居を構える主人公のニック・キャラウェイ(サム・ウォーターストン)の隣の大邸宅に、ジェイ・ギャツビー(ロバート・レッドフォード)という一人の男が住んでいた。ギャツビーはとにかく大金持ちで、毎晩のように広大な庭でパーティーを開催し、多くの上流社会の人々が自由にやってきてはどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。ギャツビーは決してパーティーを好む性格ではなく、パーティーの最中も邸宅に籠もっていた。
にもかかわらずなぜギャツビーはパーティーを開催していたのか。それは、ある女性を待っていたのだった。その女性とは、ロングアイランドの対岸に住む大富豪のトム・ブキャナンの妻であったデイジーで、彼女はニックの従妹でもあった。
ギャツビーとデイジーはかつて熱烈な恋愛関係にあったが、当時軍隊にいたギャツビーがフランス行きとなったために長くは続かなかった。デイジーはギャツビーを待っていると約束したが、結局、トムの熱烈なアタックの前に、トムと結婚してしまっていた。しかし、今では、トムは細々と車販売業を営んでいた男ウィルソンの妻マートルと愛人関係にあるなど、夫妻の関係は冷え切ったものとなっていた。
そんなときに、ギャツビーが再びデイジーの近くに戻ってきたのだった。
ギャツビーは、ニックの仲介でデイジーをやっと邸宅に招くことができ、2人は再びかつての恋愛を復活させようとしていた。そして、デイジーとトム、そしてニックとギャツビーがニューヨークのホテルで一堂に会して、話し合いがもたれることになったが、激しい言い争いになる。ギャツビーとデイジーは2人で車でロングアイランドに戻る途中、興奮するデイジーが運転する車は、飛び出してきたマートルをはねて死亡させてしまう。妻を殺されたウィルソンは、車を追ってロングアイランドに向かうが、トムは車を運転していたのはギャツビーであるとウィルソンに嘘をつき、結局、ウィルソンはギャツビーを銃で撃ち殺してしまう・・・。
この映画は、1920年代のアメリカ社会という、80年代後半の日本社会のバブルをはるかに上回る馬鹿騒ぎを演じていた時代を描いています。この時代の馬鹿騒ぎについて描いた作品としては、F.L.アレンの『オンリー・イエスタデイ』がよく知られています。
オンリー・イエスタデイ―1920年代・アメリカ (ちくま文庫)
- 作者: F.L.アレン,Frederick Lewis Allen,藤久ミネ
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1993/03
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有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)
- 作者: ソースティンヴェブレン,Thorstein Veblen,高哲男
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それに対し、ギャツビーは、そんな絶望的なアメリカ上流社会の中で「良心」を残している存在です。当初、主人公ニックはギャツビーをもっとも軽蔑する存在と考えていたわけですが、ギャツビーの恋愛に対する無垢な姿勢やその徹底したロマンティシズムに触れているうちに、ギャツビーの真っ直ぐな生き方に共感していくわけです。
この作品については、以前の記事村上春樹とフィッツジェラルド - loisir-spaceの日記でもだいぶ突っ込んで触れているので、詳しくはそちらを御覧いただければと思いますが、この作品が提起した課題というのは、「成熟」社会の在り方にあるといえます。1920年代のアメリカ社会は、物質的な豊かさの一方で、人々の内面を成熟させることができず、結局、社会の成熟には至らずに、30年代以降の停滞を迎えることになってしまったわけです。そして、こうした問題的は日本社会にも当てはまるものであり、60年代の「昭和元禄」や80年代の「バブル」で物質的な豊かさを享受したものの、社会を成熟させることには至らなかったわけです。
だから、村上春樹氏がこの作品の今日的意義を強調されるのは大変共感できます。
ギャツビーの哀愁漂う生き方は、映画でも十分描かれていると思います。