- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2006/09/22
- メディア: DVD
- クリック: 21回
- この商品を含むブログ (28件) を見る
1952年のヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞した作品で、戦後映画を代表する作品です。
冒頭、老いた遊女に落ちぶれたお春(田中絹代)が、お寺の境内で仲間の遊女たちと戯れる衝撃的なシーンから始まります。お春の家は、もともと、洛中で仕える身であったが、お春が身分の卑しい男と結ばれていたことがばれ、両親ともども御所を追われる。その後、江戸松平家から、世継ぎを生むための女としてお春に白羽の矢が当たり、お春は松平家を嗣ぐ男子を出産するが、結局、他の側近との軋轢から、親元に返されてしまう。
お春の両親は、多額の借金をしてしまっていたため、お春を島原の遊郭に身売りする。さらに、お春はあちらこちらで転々とやっかいになる。扇屋の妻として落ち着いたと思うと、主人が急死してしまう。尼僧になろうとしたが、男と交わっているところを見られ、追い出されてしまう。こうして、お春は、映画の冒頭のシーンのような境遇に陥ることになります。
老いた遊女のお春が、百姓たちの前で「こんな化け猫をお前たちは買いたいのか」と辱められるシーンは、とことんまで落ちた彼女を象徴する場面です。
また、お寺に立ち並んだ羅漢像を見て、これまでに知った男の顔に似ていると覚めた口調でお春がしゃべるシーンは、落ちぶれていきながらも気丈にふるまう強い女としてのお春が感じられます。
お春は、その後、松平家からお呼びがかかるが、それは殿様を産んだお春が遊女の身に落ちぶれていたことを叱責するために呼ばれたもので、お春は蟄居を命じられる。
そして、最後、お春が尼として巡礼しているシーンで映画は終わる。
この映画を見て、今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』を思い出しました。いずれも、社会的に虐げられてきた女性が気丈に泥臭く生き続ける姿を描いたものと言えます。そして、どちらにも共通しているのは、主役の女性に対して特段共感を寄せるわけでなく、また反感を抱くわけでもなく、あくまで淡々とその生き方を表現している点でしょう。だから、虐げられた女性の立場に立ったメッセージが、映画を見る側により鋭く突き刺さってくるように思います。
考えてみると、今、こういう重厚な映画は日本であまり作られなくなっているような気がします。こういうある意味娯楽性を度外視したような重厚な映画は、より刺激的な娯楽が増えた現代社会においては、あまり受け入れられないのかもしれません。
だから逆に、この時代に作られた映画を今の時代に見ても、新鮮に感じられるのかもしれません。