読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
映画、書評、ジャズなど

竹内洋「丸山眞男の時代」

 本書は、丸山真男の思想を分析したものというよりかは、丸山が生きた時代を丸山という人物を軸に描こうとしたものという方が適切でしょう。

 竹内教授はまず、1938年9月19日に日比谷公会堂で開かれた「帝大粛正学術講演会」が丸山の学問の原点とトラウマだったと述べています。当時東京帝大法学部の助手であった丸山は、南原繁から「君一寸行って様子を見てきてくれ」と指示され、この講演会の聴衆となったのです。

 この講演会の主役は蓑田胸喜という、知識人たちを攻撃する危険な思想家でした。いわば日本版ジョセフ・マッカーシーといった感じです。当時蓑田らは東京帝大の教授たちの発表した論文や書物の字句を取り上げて悉く糾弾し、著書を発禁にしたり、免官に至らせるという恐るべき人物だったようです。

 竹内氏は、丸山がこの講演会に居合わせたことが、その後の丸山に大きな影響を与えたとします。

「蓑田や蓑田的なるものが記憶の底に深く沈殿したことはたしかであろう。同時に国粋主義嫌い、またこうした論を根拠にした右翼嫌いがいっそう増したことも、確実である。帝大粛正期成連盟などに集まる連中を反面教師として、日本政治思想史を研究する覚悟がいっそう固まったことも」(竹内『丸山眞男の時代』p91)

 その後丸山は、南原の要請もあって日本の伝統思想の研究に取りかかります。蓑田たちのような人物に対しては、ヨーロッパの思想を持ち出しても一蹴されてしまうため、これからはどうしても日本の思想史を科学的にやっていかなければならないという南原の考えがあったようです。

 丸山は広島に原爆が投下されたとき、兵士として広島市南端の町の屋外で点呼を受けており、そこは爆心地から4キロ南に過ぎなかったようですが、船舶司令部の建物があったおかげで助かったということです。「悲しそうな顔をしなけりゃならないのは辛いね」という言葉が表すとおり、丸山にとって日本の敗戦は決して悲しいものではなく、国体からの解放を意味するものでした。そして、戦後の丸山は、日本にファシズムをもたらしたメカニズムの解明からスタートするのです。

 それが丸山の有名な論壇デビュー作「超国家主義の論理と心理」です。竹内教授の本書における要約によれば、ヨーロッパの近代国家は国家主権が形式的な法機構によって倫理的価値に対して中立的立場をとったのに対し、日本の国家主義は内容的価値の実体をもって統治したため、近代日本においては公と私の区別がなされず、倫理が権力化され、権力が倫理化されたことから、自由なる主体意識が欠如し、行動の基準がより上級の者によって基底され、意思決定者が被規定意識しかもたないから、ずるずると開戦したという内容です。

 竹内教授は、丸山の絶妙なポジショニングに注目しています。政治思想史というのは法学部の中では「周辺」であり、いわば法学部の中の文学部のようなものです。つまり、法学部的な実践的活動の余地があるとともに、文学部的アカデミズムの香りもあるという絶妙なポジションに身を置くことになったというわけです。

 学生運動が最盛期にあった1969年には、丸山は全共闘から糾弾されます。東大全共闘会議議長山本義隆は、次のように丸山を非難しています。

「日本の天皇ファシズムに鋭い批判をあびせてやまない丸山教授は、それを支えた権力の頂点の「無責任体制」と、底辺の「部落共同体」の両極に酷似した構造をもつ東大教授会が、帝国主義国家機構の中に包摂されつつ「大学の自治」の擬制をもつのに極めて有効であったことには全く関心を示さない。」(竹内前掲書p250からの引用)

 かつて丸山の名声を博した論文の論旨が援用されて自らが非難を受けることになったわけです。

 その後、日本社会では、かつて丸山が病理として否定した日本的なものを肯定的に捉える日本文化論が隆盛となっていきます。


 さて、私には丸山真男を語る素養は全くないのですが、丸山の著作と最初に出会ったのはたしか高校時代で、岩波新書の『日本の思想』の最終章にある「「である」ことと「する」こと」を読んだ形跡がありますが、おそらく内容はほとんど体系的に理解できていなかったに違いありません。

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 その後、丸山に触れる機会があったとすれば、だいぶ経ってから、佐伯啓思の著作における丸山批判でした。佐伯教授の理論は、戦後進歩主義の代表である丸山が主張する「ファシズムに抗する民主主義」という論旨が、アメリカの占領政策の基本的構図と一致しているというものです。

「丸山はナショナリズムについてしばしば書いているが、そのほとんどは、日本的ナショナリズムの「前近代的」特質というべきものであり、近代的個人とは正面から敵対するものであった。そしてこのような議論のたて方そのものが、アメリカン・デモクラシーとアメリカによって与えられた平和主義という戦後の思考空間と実に符号するものだったのである。進歩派の知識人がラディカルな共産主義者に変貌することなく、ファシズムに抵抗すべく日本の近代化を説くことは、アメリカの間接支配にとってむしろ好都合であったとさえいえるだろう。」(佐伯啓思『現代日本のリベラリズム』p258)

 佐伯教授は、他の本でも同様のことを述べています。

国家についての考察

国家についての考察

丸山真男の図式は、本人がどこまで意識的であったかどうかは別として、アメリカ占領政策の基本的構図と全く一致していたのである。言い換えれば、丸山真男の描き出した構図は、アメリカの対日占領政策の基本的思考を代弁しており、GHQによる日本の民主化という「上からの改革」を代弁していたことになる。」(佐伯啓思『国家についての考察』p158)

 おそらく、結果的に見れば、佐伯教授のこうした見方もあながちはずれてはいないと思いますし、私も長らく佐伯教授のこうした見解に感化され、丸山こそが戦後の日本を駄目にしたというくらいの勢いで考えていた時期もありました。

 丸山の思想が今日から見ればはずれている点は多々あると思いますが、他方で、丸山自身が別に占領政策に肩入れしようなどということはおそらく考えたこともない以上、丸山が占領政策を代弁したかのような主張をして丸山を批判することはアンフェアであるような気がしますし、かつ、あまり意味のある主張ではないような気もして、難しいところです。

 いずれにしても、戦後の日本社会を考える上で、丸山の存在は欠かせない歴史的要素であることは間違いありません。丸山が論壇に与えた影響は計り知れないと言っても過言ではないでしょう。本書のように、丸山を戦後日本社会の流れの中に冷静に位置付けていく作業というのは、今後とも続いていく必要があるように思います。