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「ロープ」★★★☆

ロープ [DVD]

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 またまたヒッチコックの映画です。

 一つの部屋だけが舞台となっていて、その中で様々な登場人物が見事なカメラワークで臨場感溢れた映像として撮られているのは、さすがヒッチコックです。

 この映画の特徴は、実際の時間と劇中の時間の進行が一致している点だそうで、観客は劇中のシーンをいわば疑似体験している感じになるそうですが、正直、この点については、あまり効果を実感できませんでした。

 映画のストーリーですが、とあるアパートの一室で、元同級生のフィリップ(ファーリー・グレンジャー)とブランドン(ジョン・ドール)の2人が、元同級生のデイビットを絞め殺す場面から始まります。

「思い通りにいかない世の中で僕たちはやり遂げた。」

 達成感に満ちた2人は、死体を収納箱の中に隠し、スリルを味わうために、その部屋でパーティーを開き、デイビットの父親や恋人、さらにはかつての自分たちの恩師である教師のルーパートを招待する。

 一同は殺されたデイビットが来ないことを不思議に思うが、そのうちルーパートは、デイビットが殺されて収納箱に隠されていることを疑い出す。パーティー終了後、ルーパートは、たばこを忘れたふりをして再び部屋に戻り、フィリップとブランドルの2人を問いつめ、収納箱の死体を発見する。

 この映画のポイントは、パーティーの出席者の間で交わされた殺人の動機に関する会話です。教師のルーパートは、次のように主張します。

「殺人は芸術なんだ。」
「だから優れた少数の者に与えられた特権さ。」

 これに対して、ブライドンは次のように続けます。

「被害者は劣った者だからその人生は重要ではない。」

 さらに、ブライドンは次のように言います。

「優秀な人間は従来の概念を超越しているんです。善と悪は凡人のためにあるもの。」

 ニーチェの超人理論に賛成かと聞かれて、ブライドンは「そうです」と答えます。

「無能なヤツらは皆 絞首刑だ。」

 このように、この映画では、いわゆる「優性思想」がモチーフとなっています。現代から見れば、ブライドンらが披露している「優性思想」には強烈な違和感を感じざるを得ないわけですが、ただ、この映画が作られた1948年という年代を考えると、受け止められ方は少し違っていたのではないかという気がします。

 つまり、この映画が制作されたほんの少し前には、優性思想に基づきナチス・ドイツがユダヤ人の迫害を現に行っているわけです。その大虐殺の理論的根拠は、この映画の中でブライドンがデイビットを殺した理論的根拠と同じと言っても過言ではないでしょう。

 この映画が制作された時代というのは、「優性思想」が相当の説得力を持ち、しかもそれがつい少し前まで現実の政策に大々的に生かされていた時代なのです。

 ルーパートがデイビットの死体を発見した際、ブライドンはルーパートに対して次のように言います。

「劣った者の命は重要でないと言いましたね。僕とあなたで、一般の道徳的な概念は知的な人間にはあてはまらないと。だからやった、僕とフィリップは。わかるはずだ。そうすべき部類の人間なんだ。」

 これを聞いた教師のルーパートは愕然として、次のように言います。

「今の今まで−私には世の中も人も曖昧で理解できなかった。君は私の言葉を私に投げつけて返した。君は自分の言葉を支持した点で正しい。しかし君の解釈は私が想像もしなかったものだ。君は殺人の口実に私の理論をゆがめようとしている。」

 ナチス・ドイツは、様々な哲学思想をねじ曲げてユダヤ人の迫害を正当化したわけで、その思想を作り出した本人たちは、まさかそれがホロコーストに悪用されるとは考えてもいなかったでしょう。この「ロープ」という映画は、正にナチズムに対する批判として描かれたものだったのではないでしょうか。

 ヒッチコック映画としては、迫り来る迫力にやや欠ける面があったものの、映画が制作された時代背景を考え合わせて見れば、大変示唆に富んだ映画と言えると思います。