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「瀬戸内少年野球団」★★★★★

瀬戸内少年野球団 [VHS]

瀬戸内少年野球団 [VHS]

 私はこの映画が好きで何回も見ています。故・夏目雅子の姿が、かつての日本映画の名作『二十四の瞳』で先生役を演じた高峰秀子とだぶり、才能ある女優さんが若くして亡くなられたことを思うと、何か熱いものが胸に込み上げてきます。

 この映画の原作は作詞家・阿久悠の小説で、篠田正浩監督が1984年に映画化したものです。敗戦直後の淡路島で、力強く生きていく少年たちと、そんな少年たちを優しくサポートする駒子先生(夏目雅子)の交流を描いたものです。

 この映画の中には、あちこちに戦争の濃い影が描かれています。

 戦死したと思われていた駒子先生の夫・正夫(郷ひろみ)は、実際は片足を失いながらも生き延びていたものの、当初島では正夫の居場所はなく、子どもたちの後押しもあってようやく金比羅さんで駒子との再会を果たします。また、海軍提督とその娘の武女(佐倉しおり)は戦後島に身を寄せることとなりますが、やがて提督は巣鴨に出頭し、結局は絞首刑に処せられます。戦後の混乱の中で金もうけに走ったバラケツの兄は、事業に失敗して自殺してしまう・・・。

 そんな戦争の濃い影の中で、明るい兆しを作るきっかけとなったのは「野球」でした。かつて野球で活躍した駒子先生の夫・正夫はようやく島の中の居場所を見つけることができ、そして、父親を占領軍によって絞首刑に処せられた武女は、野球で米国を打ち負かすことを誓います。

 この映画で描かれた終戦直後の時代というのは、<戦争>と<平和>が奇妙に入り交じり、どことなく空虚な感覚が支配する時代でした。至る所に帰還兵や未亡人が散見され、街を堂々と闊歩する占領軍が風景の一部をなしていたような状況です。帰還兵の中には、いざ戻ってきたら妻が別の男と結婚していたというような話もあったわけで、<戦争>が終わって<平和> が訪れたといっても、生活の至る所には<戦争>の影がこびりついていたわけです。

 実際この時代に作られた映画の中では、こうした帰還兵や未亡人が登場する映画が数多く存在します。川本三郎氏は『今ひとたびの戦後日本映画』の中で、当時映画の銀幕を飾っていた原節子田中絹代山田五十鈴高峰秀子といった女優たちは、戦後、一度は戦争未亡人を演じているという興味深い事実を指摘しておられます。

今ひとたびの戦後日本映画 (中公文庫)

今ひとたびの戦後日本映画 (中公文庫)

 川本氏は次のように指摘されています。

「戦後日本映画は、おそらく―、戦争未亡人を描くことで、ついこのあいだの戦争で死んだ多くの死者たちを追悼、鎮魂しようとしたのだ。」(『今ひとたびの戦後日本映画』中公文庫p14)

 戦後の日本社会というのは、死者を忘れることからスタートしたような気がします。そのことが、日本社会を奇跡的な経済成長に導いたことも一面の真実かもしれませんが、その反面、日本人の精神面においては、トラウマが刻み込まれて今日に至っているような気もします。つまり、表面上は力強く見える社会であっても、その内面においてはトラウマというかある種の後ろめたさが隠れている、そして、川本氏の指摘する戦後日本映画の特質にこそ、日本人のトラウマが垣間見えるのではないかと思えるわけです。

 さて、『瀬戸内少年野球団』の小説・映画が作られたのはずっと後の時代ではありますが、この中で描かれている登場人物についても、力強く生きている姿が描かれています。その中でもとりわけ力強く生きていたのは、子どもたちでした。原作の作者・阿久悠氏は、文庫本の後書きの中で、

「長い歴史のなかで、たった三年だけ、子供が大人より偉い時代があった。その時代を等身大の戦後史として書きたかった」

と述べているそうです。

 ただ、やはりこの映画は、表面的な力強さよりも、むしろ、人々の内面に隠れている部分にこそ着目すべきなのです。子どもたちは一見、明るく駐留軍と野球の試合をやっているわけですが、誰もがその心の底には、少なからぬ悲しみや憎しみを押し殺して抱え込んでているわけです。でも、それをひた隠しにして明るく振る舞っている。そんな子どもたちの姿こそが、戦後日本人の生き方でもあったといえるのではないでしょうか。私は、子どもたちの姿に戦後日本人全般を投影せざるを得ません。

 ・・・そんなわけで、この映画は、私にとっては涙なくしては見られない映画なのです。(だから採点も★5つです。)