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映画、書評、ジャズなど

E・C・ベントリー「トレント最後の事件」

文学 ミステリー

 

トレント最後の事件【新版】 (創元推理文庫)

トレント最後の事件【新版】 (創元推理文庫)

 

1912年に発表され、江戸川乱歩が惚れ込んだミステリー作品の古典です。画家で探偵のトレントが見事に事件を解明していくわけですが、単にトリックを暴くというだけでなく、トリックが暴かれた後の後半の展開が見どころという、一見変わった作品です。

 

アメリカの実業家マンダースンが邸宅の庭先で射殺体となって発見される。数々の事件を解明してきた画家であり探偵のトレントは、新聞社からの依頼で、この事件の解明に当たる。

トレントは、マンダースンの美しい妻メイベルの叔父カプルズとは旧知の仲であり、事件の探索はスムーズに進んでいく。話によれば、マンダースンは周囲の人々から嫌われており、メイベルとの仲もうまくいっていなかった。

マンダースンの死体が発見される前夜、彼は秘書のマーローと一緒に夜のドライブに出かけると妻に言い残していた。マンダースンは夜のうちに邸宅に戻っていたところを、家の人々に目撃されていたが、マーローはそのまま離れた土地のホテルを訪れ、夜遅くに邸宅に戻っていた。

トレントは、調査を進めていくうち、実は夜邸宅に戻って来たマンダースンと思われた人物はマーローであったこと突き止める。マンダースンは、若きマーローと自分の妻メイベルの関係を疑っていた。マーローにはマンダースンを殺害する動機もあると思われた。トレントは、解明した内容を手紙にしてメイベルに残し、そのまま事件から手を引くことに。

 

しかし、トレントは、メイベルに一目惚れしていた。そして、メイベルがこの事件に関与していなかったかどうか、それが気になっていた。トレントはメイベルに再会し、事件について改めて問いただす。トレントは、メイベルがマーラーと親密な関係にはなかったこと、そして事件に関わっていないことを知り、メイベルにプロポーズする。

 

その後、トレントは、マーローに会う。マーローから聞いた話は意外なものだった。マーローはマンダースンから殺人犯に仕立て上げられたと考えていたのだった。その夜、マーローはマンダースンの死体を発見したのだが、マンダースンがマーローに罪を着せるために、無理やりマーローに架空の人物を迎えに行かせるようにした後に自らの命を絶ち、マーローがマンダースンの財産を盗んで逃走を図っているという風に見せかけようとしていたと咄嗟に考えた。マーローは絞首刑から自分の身を守るためには、マンダースンになりすまして、一旦邸宅に戻った風に装ったのだった。

 

そして、トレントは、メイベルとの結婚を報告するため、叔父のカプルズと会うのだが、そこで驚愕の事実を聞かされた。それは、マンダースンを撃ったのがカプルズ自身だという事実だった!

 

 

前半のトレントが事実を解明していく過程は、ごく普通のミステリー小説と何ら変わらないのですが、後半に入ると俄然面白い展開となっていきます。前半と後半とで、作品の雰囲気もガラッと変わるわけですが、個人的には後半の方が断然面白かったです。

 

事件の被害者であり加害者かもしれないメイベルに対し、探偵のトレントが一目惚れをするというところは、人間味が溢れていて大変面白い点でしょう。メイベルはもしかするとマンダースン殺害の共犯者かもしれない、しかしメイベルへの気持ちが忘れられないので、メイベルが好きなオペラに通って再会を果たすというトレントのキャラクター設定が大変ユニークです。

 

追い込まれたマーローの咄嗟の行動についても、大変気持ちがよくわかります。慕っていたマンダースンが、マーローを罪に陥れるために完璧なまでの状況を作り出し、マーローの逃げ場をふさいでしまう。追い込まれたマーローは、自らを守るために、マンダースンになり切る。誰しも、期せずしてあらぬ罪を着せられそうになるという恐ろしいシチュエーションを多かれ少なかれ経験したことがあるのではないでしょうか。そんな状況に置かれたマーローの気持ちは大変共感できます。

 

そして、最後のどんでん返し。調子に乗って事件の全容をカプルズに話をしていたトレントが、そのカプルズが実はとっくに事件の全容を分かっていたという衝撃的な展開は、とても斬新です。こうした意外性が最後にどかんと出てくるとは、すごいミステリー小説だと思います。

 

恋愛の要素あり、大どんでん返しあり。さすが江戸川乱歩が惚れ込むだけある素晴らしい作品でした。

呉座勇一「応仁の乱」

 

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

応仁の乱 - 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)

 

応仁の乱といえば、名前を聞いたことがない日本人はほとんどいないくらい有名な歴史的事件ですが、他方で、この大乱がどのような内実であったかについて詳しく語れる人も、極めて少ないのではないかと思われます。本書はそんな大乱を精緻に描いたものですが、地味なテーマの新書にしては異例の売上となっているようです。

 

応仁の乱と言えば、細川勝元率いる東軍と、山名宗全率いる西軍が京都を中心に戦を繰り広げた事件です。本書でも触れられていますが、かつて内藤湖南が以下のように述べています。

大体今日の日本を知る為に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知って居ったらそれで沢山です。

このように、応仁の乱は、日本史において過大ともいうべき評価を得ているようにすら思えます。

本書は、興福寺の2人の僧の日記を拠り所にしながら、応仁の乱を描き直した研究です。

 

確かに、応仁の乱細川勝元山名宗全を中心とする争いであったわけですが、著者は、この対立を過度に強調するのは誤りだと述べています。つまり、両者の激突は宿命的なものではなかったというわけです。

また、著者は、東軍も西軍も決して一枚岩ではなく、急造の寄り合い所帯であった点も強調しています。

山名宗全も当初は細川との全面戦争を企図していたわけではなかったものの、畠山義就と政長の争いに援軍を派遣してしまったばっかりに、細川の全面介入を招いてしまったというのが著者の見方です。そして、山名、細川共に多数の大名を自陣営に引き込んだ結果、戦争の獲得目標が急増し、参戦大名が抱える全ての問題を解決することは極めて困難になってしまいます。しかも、長期戦になって諸大名の被害が増大すればするほど、彼らは戦争で払った犠牲に見合う成果を求めたため、さらに戦争が長期化するという悪循環が生まれてしまったと著者は指摘します。

こうして期せずして大乱となってしまった応仁の乱ですが、それまでの守護在京制が崩れるきっかけとなり、乱後ほとんどの大名が京都を離れ在国するようになります。そして、応仁の乱に参戦した大名たちが没落していく中、戦国大名が台頭してきたわけです。

 

 

本書では、史実が事細かに書かれており、登場人物も多いので、正直あまり読みやすい本ではありません。なぜ本書がベストセラーになっているのかは、率直に言ってよくわからない面もあります。

 

ただ、歴史を変える大きな出来事とされる応仁の乱が、登場人物たちの当初の意図とは違った方向にどんどん進んでいってしまった結果として起きたという著者の見方は、大変興味深く感じました。それこそが歴史の醍醐味と言えるかもしれません。

村上春樹「騎士団長殺し」

文学 村上春樹

 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

村上春樹氏の久々の長編小説です。早速読了しました。

 

主人公(私)は、美大の同級生の雨田政彦の父親で著名な画家である具彦が暮らしていた小田原郊外の家を借りて住んでいた。老齢の具彦が養護施設に入居したため、空いた家を私は借りたのだった。

私は妻のユズと別居したのを機に、谷間に建つこの家に移り住んだ。絵画教室で教えていたのだが、間もなく2人の教え子の人妻と肉体関係を持つようになる。

ある日、私はその家の屋根裏に上ったところ、具彦の書いた絵を見つける。それは世の中には知られていれば明らかに具彦の代表作となるべき素晴らしい作品だった。その絵には「騎士団長殺し」というタイトルが付けられていた。若い男が年上の男である騎士団長の胸に剣を突き立てており、それを地面についた蓋から首をのぞかせている男が目撃しているという絵だった。

その絵を発見してから、私を取り巻く環境は一変する。

この家の谷を挟んで向かいに建つ大きな邸宅。そこに住むのが免色という中年の男が、私に自画像の制作を依頼してくる。

私は、家の敷地にある祠から鈴の音が聞こえることを免色に相談する。すると免色は重機を使って祠を掘り起こしてくれたのだが、そこには穴があるのみだった。

しかし、その穴を開けたことで、そこに閉じ込められていた小人が解放されてしまう。それは、具彦の絵に描かれていた騎士団長だった。騎士団長は以来、しばしば私の前に現れるようになる。

免色がその邸宅に住むようになったのには訳があった。谷の向かいにある家に住んでいる少女まりえを観察するためだった。まりえの母親は既に亡くなっていたのだが、その母親と面色とはかつて交際していた時期があり、免色はまりえが自分と血のつながった娘ではないかと思っていたのだ。

免色は私に、まりえの似顔絵を書くことを提案する。絵を描いているときに免色が家にやって来て、まりえに会いたいというわけだ。

まりえは母親代わりの叔母の笙子と一緒に住んでいた。免色は間もなく笙子と恋愛関係となる。

ある日、まりえが行方不明になる。ちょうどその時、私は雨田政彦から、一緒に養護施設にいる具彦に会いに行くよう誘われる。具彦の部屋で政彦が席をはずして2人きりになったとき、騎士団長が現れ、自分を剣で殺すよう求める。私は剣で騎士団長を殺した。それは、具彦の絵の再現だった。絵のとおり、部屋の隅には、地面の蓋から顔を出している男がいた。私はその蓋から別世界へと入り込んでいく。たどり着いたのは、具彦の家の敷地の祠の穴の中だった。

私は免色に穴から助け出される。まりえは無事発見されたようだった。まりえは、私が奇妙な体験をしている間、免色の邸宅に忍び込み、騎士団長に会っていたのだった。

その後、具彦は亡くなり、私は元の仕事に戻り、別れた妻と一緒に暮らすことに。笙子は免色と交際を続けているようだった。まりえはたまに私に連絡を寄越した。

そして、東日本大震災が起こる。私は妻と別れた直後に東北を移動していたときのことを思い出す。そして具彦の家は火事で焼けてしまう。「騎士団長殺し」の絵は、私とまりえの心の中だけに生き続けることになったのだった。。。

 

 

この作品は、これまでの村上作品のモチーフが随所に使われています。祠の穴は『ねじまき鳥クロニクル』の井戸、現実世界と非現実世界との交錯という点は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の世界観に似ています。本書が「自己模倣」と評されるのもよくわかります。

もう一つ注目すべきは、村上氏が敬愛するスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』との類似性でしょう。まりえへの思いから谷の向かい側の邸宅に住まう免色は、ディジーへの思いから湾の対岸に豪邸を構えるギャツビーそのものです。

こうした類似性をどう捉えるかが、本書に対する評価の分かれ目の一境界線になるように思います。既存の作品の魅力的な部品を巧みに取り入れつつ仕上げられた作品という捉え方もできるでしょうし、他方で、アイデアの枯渇?という評価もあり得るかもしれません。

 

個人的には、こうした模倣の仕方は大いに“あり”だと思います。

 

他方、個人的に物足りなく感じるのは、本作品における“キャラクターの弱さ”です。本作品のキーパーソンはまりえと免色だと思いますが、この両者共に、キャラクターの魅力という点では今一つという印象を受けます。

特に、免色については、もう少し魅力的なキャラクターの描き方ができたのではないかと思います。あるいは、まりえの叔母の秋川笙子をもっと魅力的に描くこともできたように思います。

だから、他の作品に比べると、どうしても読み終わった後の印象が薄いという結果になってしまっているように思います。

 

まぁ、そうは言っても、村上ワールドは十分堪能できる作品であることは間違いありません。これまでの作品と同様、あっという間に読み終えさせてしまう筆力はさすがです。

「リバー・ランズ・スルー・イット」★★★★☆

映画

 

リバー・ランズ・スルー・イット [Blu-ray]

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ロバート・レッドフォード監督の1992年の作品で、若き日のブラット・ピットの好演が光る作品です。アメリカの大自然とアメリカ人の内面を描いた、とても美しい作品です。

 モンタナの牧師の家に生まれた兄ノーマンと弟のポール。ノーマンは大学に進んだ一方、弟は地元に残り、新聞社に勤めながら、父親から受け継いだフライフィッシングを楽しんでいた。

ノーマンは職を決められずモンタナに戻る。そして、パーティーで知り合ったジェシーと恋に落ちる。しかし、ジェシーの兄ニールとは相性が合わず、一緒に釣りに行くものの、さんざんな思いをして帰ってくる。

ノーマンはやがてシカゴ大学の教授の職が決まるが、ポールはフライフィッシングを極めつつも、ギャンブルにはまり多額の借金を背負っている。

そんなポールも、兄と父親と共に釣りに行くと、並々ならぬ才能を発揮し、大物を釣り上げるのだった。

ある日ノーマンは警察に呼び出され、ポールが殺されたことを聞く。。。

 

 

タイトルから彷彿とさせられるように、川の流れのように実に美しい映画です。自然の描写や夕日の描き方は芸術的です。

 

本作品を見るきっかけとなったのが、先日読んだ森本あんり氏の『反知性主義』です。 

森本氏は、この映画について、

「そこには巧まずしてアメリカ的な精神の在り処がそのまま析出している。そしてその形には、深く宗教的な感性が刻印されているのである。」

と述べています。 とりわけ森本氏は、釣りの場面に注目します。釣りは、礼拝の中でひとり神に向き合うのと同じ状況だというわけで、こうした精神的空間が礼拝と釣りに共通しているというのがこの映画のミソだとします。

 

好き嫌いが分かれそうな映画ですが、個人的にはかなりツボにはまりました。

「沈黙-サイレンスー」★★★★☆

映画

chinmoku.jp

マーティン・スコセッシ監督の渾身の作品です。原作は遠藤周作の小説ですが、原作を読まずに映画を鑑賞しましたので、迫害されても頑なに信仰を守る宣教師を称える話くらいに思って見たのですが、かなり深遠なメッセージ性を孕んだ素晴らしい作品でした。

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

17世紀の江戸時代初期、日本でキリスト教の布教を行っていたフェレイラ神父の消息が途絶えたことから、ポルトガルの2人の宣教師、ロドリゴとガルペが日本に派遣されることになった。2人の宣教師は、マカオで出会った日本人のキリシタンのキチジローの案内で日本に上陸する。

当時は激しいキリシタン狩りが行われ、ロドリゴとガルペは古い小屋に隠れていたが、2人の噂を聞いたキリシタンの村人たちがやってきて、2人は布教活動を行う。

やがて、長崎奉行の井上筑後守が村にやってきて、踏み絵を躊躇した村人たちを処刑する。2人は難を逃れたが、ロドリゴとガルペは分かれて行動することにする。

ところが、ロドリゴはキチジローに騙されて井上筑後守に捕らえられてしまう。井上筑後守はロドリゴを棄教させるため、日本ではキリスト教は根付かないことをロドリゴに説得しようと試みるが、ロドリゴは頑として棄教を受け入れない。

そうこうしているうちに、多くのキリシタン農民たちが踏み絵を受け入れずに命を落としていく。他方、多くの民衆たちはロドリゴに激しい非難の態度をぶつける。

ロドリゴは井上筑後守の計らいで、ついにフェレイラ神父に面会することになる。しかし、フェレイラは既にキリスト教を棄教し、仏教の寺で日本のために天文学などの勉強をしていたのだった。ロドリゴは当然のことながら大きな衝撃を受ける。

ロドリゴは、多くの民衆が自分が棄教しないことで拷問を受けている状況に耐え切れず、ついに踏み絵を受け入れる。

その後ロドリゴはフェレイラと共に、キリスト教関係の物品が輸入されないように監視する任務に就く。そして、江戸で未亡人と結婚し、穏やかに生涯を終えた。棺に納められたロドリゴの遺体の手には、キリスト像が握られていた。。。


映画『沈黙-サイレンス-』アメリカ版予告編

 

本作品は、タイトルに象徴されるように、キリストの神の「沈黙」が大きなテーマであるのでしょうが、私は、井上筑後守とロドリゴのやりとりに注目させられました。両者のやりとりがなかなか意味深に描かれており、私の印象では、どちらかというと井上筑後守の主張がやや好意的に描かれていたように思います。

つまり、キリスト教の普遍性を頑なに信じ込み、キリスト教が日本でも浸透すると信じ込んでいるロドリゴと、日本の土壌を「沼」に喩え、キリスト教が日本の風土に根付かないと主張する井上筑後守の論戦を見ると、井上筑後守にかなり分があるように描かれているような印象を受けました。

 

私たちが中学や高校で習うキリシタン迫害は、どちらかといえば、キリスト教に不寛容な江戸幕府という文脈だったような気がしますが、外国人のスコセッシ監督がこうした描き方をすることに、大きな感銘を受けました。

 

宗教の問題は、今日のトランプ政権のイスラム国家に対する強硬姿勢にも表れているとおり、いつの時代においても難しい課題です。ただ一つ言えることは、ある宗教があまりに普遍性を強調し、不寛容に他人に押し付けようとすると、熾烈な争いを生む原因となるということです。

 

日本社会は、仏教を始めとする異国の神々を古来の八百万の神と巧みに融合させながら、宗教的な調和を維持してきました。そうした神々が民衆に受け入れられていたところに、突如としてキリスト教がやってきて、他の神々を否定するような布教を行えば、社会の混乱につながりかねません。為政者たちがそうした宗教が入ってくることを過度に警戒するのは当然でしょう。

 

だから、この作品におけるスコセッシ監督の描き方は極めてすとんと落ちました。作品には残酷な拷問や処刑のシーンがいっぱい登場しますが、それはそれで仕方がありません。しかし、そうした残酷なシーンにもかかわらず、監督の伝えたかったメッセージは、当時の江戸幕府の残酷さではなかったように思います。

 

今日のイスラムを巡る状況も含め、いろいろと考えさせられる作品でした。

 

森本あんり「反知性主義」

政治 文化

 

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

 

アメリカにおけるキリスト教の歴史をたどりつつ、「反知性主義」の歴史をたどる本です。この「反知性主義」の概念こそ、トランプ現象を理解する上で、必要不可欠な概念だと思います。アメリカのキリスト教の歴史の幾度も反復された「反知性主義」のうねりこそ、トランプ現象の底流にあるのではないかという気がします。

 

 本書では、キリスト教の「信仰復興運動」(リバイバリズム)を、反知性主義と見ています。「信仰復興運動」というのは、ピューリタニズムに対する反動ですが、このピューリタニズムこそが知性主義であり、ピューリタニズムに対する反動である「信仰復興運動」は反知性主義と捉えられるというのが本書のスタンスです。

 

アメリカ建国当初のピューリタンの牧師たちは、高学歴の牧師たちによって占められていました。そんな高学歴な牧師たちを養成するためにできたのがハーバード大学であり、イェール大学であり、プリンストン大学です。

ところが、こうした高学歴の牧師たちが完全に否定されるという事態が18世紀半ばに起こります。これが「信仰復興運動」です。これを支えたのがジョナサン・エドワーズジョージ・ホイットフィールドです。

ホイットフィールドは、大勢の聴衆を前に説教を繰り返し、「メソポタミア」という一言を繰り返すだけで全聴衆が涙にうち震えたのだとのこと。このホイットフィールドが実業家たるベンジャミン・フランクリンと意気投合したという事実は興味深い点です。なぜなら、「信仰復興運動」は宗教的動機に加え、実利的なビジネス精神と密接に結びついているからです。

バイバリストたちの説教は、言葉が平明で分かりやすいものであり、無学な者にも等しく受け入れられる点に特徴があります。そのルーツは、学者やパリサイ人を批判したイエスに究極の原点を持っています。このように「信仰復興運動」は、“神の前でのラディカルな平等”を前面に押し出すものであり、あらゆる権威を吹き飛ばしてしまうインパクトを持ちます。これこそが、「反知性主義」の源流といえます。

 

第2次「信仰復興運動」は、1820年代から30年代にかけて起こります。この時期、メソジストとバプテストが発展します。特にバプテストは、普通の農民たちがある日神の召しを受けて仲間に説教を始めるというものです。彼らは説教者となるための訓練や準備すら受けておらず、既存の教会の権威を完全に否定するものです。

 この時期、「反知性主義」の流れの後押しで大統領となったのがジャクソン大統領です。ジャクソンは名家の出身のアダムズを大差で破って当選します。ジャクソンは常に人民に近い存在であることをピーアールし、特権階級が持つ既得権に強い反感を示します。議会を尊重せず、しばしば拒否権を行使して自説を通したとのことです。

また、第2次「信仰復興運動」をけん引したのがチャールズ・フィニーです。彼は「リバイバルは奇跡ではない」と述べ、リバイバルは神頼みではなく、人間の努力が必要だとしました。

 

19世紀末の第3次「信仰復興運動」をけん引したのはドワイト・ムーディです。米国で工業化・都市化が進み、大量の移民が流入した時期です。恵まれない境遇で育ったムーディは貧困階級のための独立系教会を作ります。そして、ビジネスと密接に結びついた活動を行った点に特徴があります。シカゴで成功を収めたのち、イギリスに伝道旅行に出かけ、大きな評判となります。ムーディのイギリスでの活動は、エンゲルスの『空想より科学へ』の英語版序文でも触れられていたことからも、ムーディが大きな話題となったことが分かります。

ムーディのリバイバリズムは産業そのものだったようです。大規模な集会を開催し、歌手も連れて娯楽性も高めます。

こうしてムーディは、神学のまともな教育を受けることなく、大衆から絶大な支持を受けることになります。

 

20世紀になると、ビリー・サンデーという反知性主義のヒーローが出現します。サンデーも貧しい開拓農家の生まれですが、運動能力を買われて大リーガーになり、その後、伝道者に転身します。サンデーも学歴はありませんが、やがては、大統領とも一緒に食事するほどの人気を集めます。サンデーは伝道をビジネスそのものと捉え、資産を蓄えます。しかし、足元の家族関係は崩壊し、寂しい晩年を迎えたそうです。

 

 

 

以上、本書をなぞってみましたが、アメリカ社会で繰り返し「反知性主義」が勃興していることが分かります。「反知性主義」について、著者は以下のように述べます。

「知性が欠如しているのでなく、知性の「ふりかえり」が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。」

つまり、アメリカ社会では、知性と権力の固定的な結びつきが怒っていないかをチェックする大衆の大きなうねりが、反知性主義という形で顕在化するといえます。

 

もう一つ重要なのは、反知性主義がラディカルな平等意識に支えられている点です。人々の強烈な平等意識が、エスタブリッシュメントに対する異議申し立ての動機になっているわけです。

 

こうして見てくると、今日のトランプ現象は、反復する「信仰復興運動」「リバイバリズム」の波の1つと位置付けられるような気がします。既得権益を鋭く批判し自らを大衆の側に位置付けるトランプの言動やスピーチを見ていると、正に「反知性主義」そのものです。

ここ最近のアメリカ社会では、富めるものが益々富める社会に向かってきたことは否めません。ウォール街の一部の人々や、大企業のトップたちの給与が大きく上昇する一方、中間層や貧困層の給与はそれほど伸びていません。

ロバート・ライシュが『最後の資本主義』で指摘しているように、政治や経済のゲームのルールそのものが一部の人たちの都合の良いように制度が形成されるようになってしまっており、その結果、富める者とそうでない者の格差が益々拡大しているわけです。

 

最後の資本主義

最後の資本主義

 

 こうして権威に対する大衆の不満が膨張し、それがトランプ現象となって表れたといえるわけですが、反知性主義によって権力をチェックするというやり方こそがアメリカのやり方であり、その繰り返しこそがアメリカの歴史そのものだったわけです。

 

本書を読んで、なぜ多くのアメリカ人がトランプを熱狂的に支持したかが理解できるような気がしました。

 

 

ワシントン・ポスト取材班「トランプ」

政治

 

トランプ

トランプ

 

トランプに関する書籍は多数出版されていますが、とりあえず本書を読んでみました。本書では、トランプがこれまでに数々の破産を経験し、そして、自らのブランドを高めるためにマスコミを恫喝し、裁判沙汰を数多く抱えてきたことが描かれています。本書を読むと、トランプという人物のどこをどう見ても、アメリカ大統領としての資質のかけらすら感じられないという印象を持たざるを得ません。

 

以下、本書の内容をなぞっていきたいと思います。

 

トランプは、クイーンズにある裕福な家庭に育ちます。トランプの祖父フリードリッヒはドイツで理髪師の修業を積んで、16歳で移民としてニューヨークにやってきたとのこと。トランプは父親のフレッドから厳しくしつけられたものの、幼少時代から問題を抱えていたようです。小学校2年生のときに音楽の教師を殴って目の周りに痣を作らせたとのこと。そんな素行の悪さを心配した父親は、トランプをニューヨークのミリタリー・アカデミーに転入させます。その後、フォーダム大学に進みますが、2年でペンシルバニア大学のウォートン・スクールに入ります。

トランプは、父親フレッドの不動産開発に若い頃から関わり、ウォートン・スクールを卒業すると、25歳にしてトランプ・マネージメントの社長になります。コニーアイランドにはトランプ親子の経営するアパート群“トランプ・ビレッジ”がありますが、そこで黒人と白人が入居するアパートを分けていた疑惑が持ち上がり、トランプ親子は司法省から訴えられます。

そんな時期にトランプは、その後のトランプビジネスを支えることになる弁護士のロイ・コーンと出会います。トランプのそばにはコーンがいるという関係が続くことになります。

 

トランプは、マンハッタンの開発に力を入れます。父親のフレッドは反対しますが、トランプはマンハッタンこそが世界の中心だと考え、勝負をかけます。そして、コモドア・ホテルを再建する権利を手に入れようと画策します。そのプロジェクトを進めるためには、鉄道会社がホテルの売却に同意し、市も計画を承認し、銀行が前もって金を貸してくれる必要がありましたが、トランプは当事者たちに空手形を切りまくり、市からは無理やり固定資産税の免除を認めてもらい、強引にプロジェクトを進めていきます。こうして、トランプはグランド・ハイアットをオープンさせますが、間もなくハイアットのプリツカー家と対立し、その持分をプリツカー家に譲ることになります。

その後、トランプはマンハッタンのある物件に注目します。そこには高級デパートのボンウィット・テラーの旗艦店が建っており、後日トランプタワーが建つことになります。その建物を取り壊す際、トランプは貴重な女神像を美術館に寄贈することになっていたはずなのに、評価額が低いことが分かると容赦なく取り壊してしまいます。また、解体をするにあたっては、ポーランドからの不法移民が動員されました。

トランプタワーの評判を挙げるために、トランプは英国の王室が購入を検討しているという噂をでっち上げ、トランプ神話も膨れ上がっていきます。

 

自らのブランドに人一倍関心があったトランプは、メディアの取り上げ方を大いに気にしました。毎朝自分について書かれた記事をチェックしていたとのこと。時には、トランプの友人を騙って、自らマスコミに電話して情報を流したりしたようです。マスコミにトランプの広報担当者として電話をかけ、トランプの周囲には美女がいくらでもいて、よりどりみどりで、有名な美女が引きも切らずトランプのところに電話をかけてくるのだ、という内容を伝えたこともあるとのこと。自分を攻撃したり、意に沿うような内容を書かなかったマスコミに対しては容赦なく反撃します。

 

 トランプはカジノビジネスにも乗り出します。アトランティックシティでライセンスを申請しますが、マフィアとのつながりや資金不足などが問題となります。訴追歴については当初隠していましたが、その後明らかにします。結局、トランプの申請は承認され、1984年にトランプの最初のカジノがオープンします。

その後、トランプはカジノを次々と買っていきます。3つ目のタージマハルは、建設途上の物件を買い取ったものですが、資金調達のためにジャンク債に手を出し、多額の金利を払わなければならないことになります。

 

トランプは、美人コンテスト事業にも手を出します。ミス・ユニバース機構の支配株式を取得し、自らのブランド価値向上に利用します。

さらに、アメフトにも手を出します。NFLのチームの買収に失敗したトランプは、後発リーグUSFLに参入し、莫大な放映料を目当てにトップリーグを反トラスト法違反で訴え、し烈な闘争を仕掛けます。しかし、トランプがNFLフランチャイズを持ちたいがために闘争を仕掛けていると言ったという証言が出され、裁判は不利な展開へ。結局、USFLはわずかな賠償しか手にすることができず、USFLは消滅します。

 

90年頃にはトランプの負債は32億ドルにまで膨れ上がります。多額の個人保証もついています。カジノの従業員への支払いすらままならない状態になります。タージマハルを建てた際のジャンク債の高利率も問題になります。父親もトランプに資金支援を行いますが、結局、トランプは所有するすべてのカジノを破産させることになります。しかし、カジノを依然として支配し続けます。

その後、トランプは新たな株式公開会社を設立し、借金まみれのカジノを法外な金額で買い取ります。そしてこの会社もやがて破産することに。

数々の破産を経験してもトランプが生き残れたのは、関係者が何よりもトランプというブランドが必要だと考え、トランプを表舞台に留めておいた方が得策だと判断したという面が大きいように思います。

 

 トランプの知名度をさらに押し上げたのが、リアリティ番組『アプレンティス』への出演です。「お前はクビだ!」という決め台詞はトランプのアドリブだったとのこと。トランプはこの番組での役どころをうまくこなしていきます。

その後もトランプは、数々のビジネスに手を出します。トランプブランドのライセンス、トランプ大学、住宅ローン会社トランプ・モーゲージの設立などなど。

世界にもビジネスを展開していき、その関心はアゼルバイジャン、トルコ、インドネシア、UAE、パナマスコットランド、さらにはロシアに向かいます。ロシアでは、ロシア版トランプのような人物と親しくなります。トランプはプーチンを持ちあがる発言を繰り返し、ミス・ユニバース世界大会の前日に面会をするはずでしたが、土壇場でキャンセルに。このとき、トランプはプーチンからロシアでの開催に感謝する手紙をもらいます。

 

 トランプは政治にも関心を持つようになり、次第に大統領を意識するようになります。しかし、支持政党がころころ変わり、レーガンの資金集めに協力したり、ビル・クリントンを支持したり、改革政党に加わったり、ヒラリー・クリントンに接近したり、ポリシーは一貫していません。ヒラリーが上院議員になった2001年には、なんと民主党員になっていたとのこと。本書によれば、1999年から2012年までに7回も党を変えていたようで、他方、大統領選では一貫して共和党に投票していたと本人は述べているようで、正直政治思想は見えません。

 

トランプは、自らを実際以上に大富豪に見せようとしていたようです。トランプの負債が大きいことを指摘する人には損害賠償請求訴訟を起こしています。トランプは相手を恫喝するのに訴訟という手段を多様しているようで、ある分析によれば、トランプと彼の会社は30年間に1900件余りの訴訟を起こしているようで(ちなみに訴訟を起こされた件数は1450件とのこと)、この中には自分の都合の悪い疑問を投げかけた人物を叩くことに主眼が置かれたものも含まれているようです。トランプは自らの資産を少なく見積もる人物については、ブランド価値が正当に評価されていないと考えていたようです。

 

 

本書では、以上のようなトランプの遍歴が事細かに取材されて書かれています。本書から浮かび上がってくるトランプ像は、自分を悪く言う人物を訴えて恫喝しながら自らのブランドを築き上げ、女性にもてるという大富豪という虚像をでっち上げ、時には相手を欺きながら強引にプロジェクトを進め、数々の破産で債権者たちに莫大な負担を強いてもさほど気にせず懲りずに投資を繰り返すビジネスマンという感じです。誰がどう見ても、世界最大の大国の大統領を任せられる人格を持ち合わせている人物には見えません。

本書を読んでも、なぜトランプがアメリカ大統領に選ばれたのか?という根本的な問いかけに対する明確な回答を得ることは正直できませんでした。本書は共和党大会でトランプが大統領候補に選出されたあとの2016年8月に発売されたものなので、なぜトランプが大統領に選ばれたのか?という視点で分析されたものではもちろんなく、あくまでトランプの遍歴を事実関係に基づいて描いた形になっていますので、そうした分析は他の本を読んだ方がより分かりやすく分析されているのかもしれません。おそらく、本書を書いている人たちの中でも、トランプが本当に大統領になると思っていた人は少なかったのではないかと思います。

 

今後、こうしたトランプという破天荒な人格が、国際政治にどのような影響を与えるのか、本書を読んで益々心配になりました。おそらくは、これまでのスタイルで、多くの国々に対して恫喝をくり返していくのだと思いますが、大統領が他国に恫喝を繰り返し、国民に米国第一主義をアピールする裏で、外交当局がしっかりと地に足の着いた外交を他国との間で進めていくことができるかが、大きな鍵となってくるように思います。それができなければ、米国の外交はトランプのスタイルの下で機能不全に陥ってしまうでしょう。

 

いずれにしても、本書はよく取材されて書かれている本だと思います。