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エリック・ワイナー「世界しあわせ紀行」

世界しあわせ紀行

世界しあわせ紀行

 原題は“THE GEOGRAPHY OF BLISS”。著者が世界各国でフィールドワークを行い、世界一幸せな場所を探そうという旅を繰り広げる本です。

 著者がまず赴いたのはオランダ。そこで幸福研究の第一人者であるルート・フェーンホーヴェン教授と面会します。この教授は「世界幸福データベース」を構築している方で、著者はこのデータベースを参照して、赴く場所を決めていきます。この教授は次のような発言をしているのが興味深いところです。

「・・・私は、人が幸せだろうがそうでなかろうが、関心ありません。幸福感に差がある限り、データを処理して研究が可能ですから」

 つまり、彼はあくまでレフェリーであり、記録係であるというわけです。そこには、幸福学の一種の割り切りの姿勢が垣間見られます。幸福を比較分析しようとすれば、ある程度の割り切りがないととてもやってられないということなのでしょう。

 次に著者が赴くのはスイス。フェーンホーヴェン教授のデータベースによれば幸福のピラミッドの頂点に位置する国です。スイス人は幸福の最大の敵が嫉妬であることを知っており、他人の嫉妬を飼わないためならどんな努力もいとわないというのが著者の観察です。つまり、スイスでは派手な勝者、成金になることが最悪なのです。そしてスイス人は人生を希釈して生きている。満足以上喜び以下のいわゆる“コンジョイメント(conjoyment)”がスイス人にはピッタリだと著者は述べています。それは楽しいと同時に冷静でもあるような状態です。

 それからブータン。「国民総幸福量(GNH)」の増加を国家の理念として掲げている国です。幸せはお金で買えることもあるが、お金を目的そのものと考えてしまうと問題が生じてしまう。大切なのは人と人との間の信頼関係だ、という考え方を取っていることに著者は印象深く受け止めます。

 そしてカタール。かつては真珠や羊によって何とか生計を立てていたのが、天然ガスによって瞬く間にお金持ちになった国です。しかし、お金持ちになったからといってその分幸せになったかというと、必ずしもそういうわけではなく、それによって不幸になった面もあると考える人もいます。

 それからアイスランド。この国もフェーンホーヴェン教授のデータベースによれば幸福な国の一つに数えられます。この国は創造力溢れる国だと著者は指摘します。そして言語が喜びの源泉になっていると著者は述べます。アイスランドでは挨拶の中にも幸せが満ちあふれているのです。そして、アイスランドでは分かち合うことで嫉妬心を消してしまう。失敗が恥ずかしいことだとは誰も思っておらず、むしろ名誉なことだと考えられている。

 私が一番興味を持ったのはモルドバの章です。この国はフェーンホーヴェン教授のデータベースによれば最も幸せからほど遠い国だそうです。ここはソ連の崩壊によっていわばでっち上げられた国で、すがるべき信仰も文化もなかったような国です。金銭面でも人びとは裕福ではない。自国の言語も話せないような人が閣僚にもいるのだそうです。この国には信頼と寛容が欠如しているわけです。著者が滞在した家のオーナーは、ゴルバチョフをこき下ろしています。彼のペレストロイカこそがソ連を崩壊させて民主主義を持ち込んだからです。民主主義はモルドバを幸せにすることはありませんでした。国内には嫉妬が蔓延しています。

 それからタイ。ほほ笑みの国です。著者は、タイ人は幸せについて考える時間がないほど、幸せでいることに忙しいと指摘します。タイの「マイ・ペン・ライ」(気にしない)という言葉にそれが表れています。タイ人は働くことと遊ぶことを切り分けるのではなく、日常生活の中に楽しみを散りばめています。裕福な人でも芝刈りをするし、会議中でも冗談を交わす。そして、人生に困難が待ち受けていても慌てません。起きたことをそのまま受け容れるのです。

 イギリスは、人生の意義は幸福にあるのではなく、何とか切り抜けることにあると考えています。

 インドはフェーンホーヴェン教授のデータベースによればとくに幸福な国ではありませんが、コンピュータの世界とスピリチュアルな世界という矛盾するものを内包する国です。合理主義でありながら予測不可能な状況を好むという矛盾も持ち合わせています。

 最後はアメリカで、著者はアメリカ人は何が自分を幸福に導き、何が自分を不幸にさせるかを予測するのが苦手だと指摘しています。

 こうしてあちこちの国を旅してきた著者ですが、幸福についてますます困惑することになります。お金は重要だけど考えられているほどは重要ではなく、家族は大切で、嫉妬は毒であり、物事を考えすぎるのは良くない。信頼や感謝の気持ちは重要。

 最後に著者は次のように述べています。

「幸せになるには他者との関係が絶対的に重要だ。家族や、友人や、近所の人や、職場を掃除してくれる人たちとよい関係を結ぶ必要がある。幸福というのは、名詞でも動詞でもない。それは接続詞なのである。あるいは結合組織と言ってもいい。」

 これが著者の結論といえます。幸せというのは他者との関係の中で感じられるものだというのは、多くの人びとの実感とも一致しているでしょう。幸福な国では、他者との関係が円滑になるような仕掛けが社会に組み込まれています。スイスやアイスランドでは嫉妬を避けたり消し去るような仕掛けがあるわけです。

 結局、人びとを幸せにする仕掛けというのは「文化」なのだといっても良いのではないかと思います。現にモルドバカタールには文化らしい文化がないため、人びとが幸福を実感できないと思われます。

 全体を通して理論的に整然としている本ではありませんが、良質なエッセイとして十分楽しめる本でした。

「レ・ミゼラブル」★★★★

 全編ミュージカル仕立てで2時間半を超える超大作です。原作はご存じヴィクトル・ユーゴーですが、原作の映画化ではなく、あくまでミュージカルの映画化というところがポイントです。

 ジャン・バルジャンヒュー・ジャックマン)は、貧困で飢えている妹の子供のためにパンを盗んだ罪で19年間投獄された後、仮釈放されたが、その直後に厚意を施してくれた司教から盗みを働いてしまう。バルジャンは捕らえられて司教の前に引っ張り出されたが、司教はその銀皿はバルジャンに与えたものだと言ってバルジャンの罪を見逃した。バルジャンはその慈悲に心を打たれて改心し、その後、工場のオーナーと市長という立場にまで上り詰める。

 バルジャンの工場で働いていたファンテーヌ(アン・ハサウェイ)は、密かに娘がいることが周囲にばれ、工場を追放され、子供を養う金を賄うために娼婦となる。バルジャンは娼婦となったファンテーヌを発見し、その真相を知ることになる。バルジャンは病に倒れたファンテーヌによって娘コゼットの面倒を託された。一方、バルジャンの正体を知る警官のジャベール(ラッセル・クロウ)は執拗にバルジャンを追いつめ、バルジャンはコゼットを連れてパリに逃亡する。

 パリでバルジャンを養父として美しく成長したコゼットは、革命に身を捧げるマリウスという若者と恋に落ちる。マリウスらは密かに潜入していたジャベールを捕らえ処刑しようとしていたが、その扱いを任されたバルジャンは、温情でジャベールを殺さずに解放した。その後、革命戦士たちは劣勢に立たされ、バリケードは攻撃される。バルジャンは瀕死のマリウスを抱えて脱出を図るが、ジャベールに追いつめられる。ジャベールはバルジャンからの借りのためにバルジャンにとどめをさすことができず、そのままジレンマに苛まれながら橋から転落して命を落とす。

 マリウスはコゼットと結婚式を挙げるが、実の娘のようなコゼットを失うバルジャンはコゼットに内緒で姿を消す。その後、バルジャンが修道院にいることを知ったマリウスとコゼットは修道院に駆けつけるが、バルジャンは故ファンテーヌによって天国へと導かれていったのだった。。。

 この作品の売りは、歌が口パクではなく、役者が本当に歌っているのを撮っているという点です。確かに、歌の迫力が凄まじい勢いで伝わってきます。全編ほとんど間断なく音楽が流れており、大変充実した作品です。

 民衆が革命に歓喜の声を上げる最後の場面では思わず胸が熱くなりました。が、ふと考えてみると、一体どこにこれほど感動しているのだろう??と思ってしまう自分もいました。圧倒的な音楽と映像の迫力で思わず感極まってしまうのですが、ただこのレ・ミゼラブルという作品自体のストーリーがそこまで感動的なものかと問われれば、少し考え込んでしまいます。

 この最後の場面を是非ともミュージカルで見たみたらもの凄く感動的なのではないかと思いました。