奈良紀行
この夏、久しぶりに奈良を旅してきました。奈良を訪れるのは中学校の修学旅行以来です。奈良と橿原神宮に一泊ずつ泊まり、古都をぐるっと巡るプランです。
近鉄奈良駅に着いてまず驚いたのは、鹿の多さ!!


街中ギリギリまで鹿が我が物顔で闊歩している光景は新鮮な衝撃でした。しかし、奈良の鹿は人間とうまく共存してます。鹿をいびる観光客も見かけませんし、鹿の方も人間に攻撃的なこともなく、 車の走行を邪魔している様子もなく、鹿の遺伝子に人間との共存がしっかりと埋め込まれているんじゃないかと思うほどです。
さて、まず訪れたのは東大寺です。南大門の仁王像が迎えてくれます。


そして盧舎那仏坐像(大仏)とその横にある虚空蔵菩薩坐像と如意輪観音。



東大寺ミュージアムでは千手観音菩薩像や日光・月光像などの素晴らしい作品が見られます。
そして、二月堂は素晴らしい景色が拝めます。

隣の法華堂では、 不空羂索観音菩薩像に圧倒されます。ここは必見です。
その隣には手向山八幡宮があります。



元々は東大寺の鎮守府として、鎮守八幡宮と呼ばれて東大寺と一体だったのですが、神仏分離令によって切り分けられ、手向山八幡宮と名乗るようになったようです。
この神社の御神体は、東大寺の勧進所八幡殿にある僧形八幡像でした。つまり、この八幡像は仏像でなく神像だということです。それが廃仏毀釈の際に川に捨てられ、後に東大寺の僧侶が拾い上げたとのこと。今では勧進所八幡殿にあり、毎年開扉されているようです。
さらに山に沿って歩いて行くと、春日大社に辿り着きます。


この神社は神仏習合時代には興福寺と縁が深かったようですが、明治の神仏分離令によって興福寺が打撃を被ると、興福寺の僧侶たちは春日大社の神官になって生き延びたとのことです。
奈良国立博物館では、二体の金剛力士立像(阿形、吽形)が展示されています。


元々吉野の金峯山寺にあるものですが、仁王門の修理のために運び出されて展示されているもの。その大きさといい表情といい、ものすごい迫力です。
実はこの博物館で見たい像があり、それが女神坐像です。

俯いた女性が袖の中で手を合わせている像です。さほど重要と見られていないのか、写真撮影OKでした。これは女性なので仏像でなく、神像です。こういう像が作られた背景には、やはり神仏習合の影響があります。なお、日本語の解説よりも英語の解説の方が神道の影響などについてしっかり記載しているのはやや不思議なところです。
次は興福寺に向かいます。



ここでも数々の素晴らしい仏像が見られます。国宝館に収められた国宝の数々は圧倒されます。巨大な千手観音菩薩立像、そして十二神将像、十大弟子立像、八部衆立像がずらりと並ぶ光景はここでしか見られません。阿修羅像の少年の凛々しい表情は印象的です。国宝の仏頭の悩ましげな表情もなんとも言えません。
中金堂では巨大な釈迦如来像が鎮座しています。唇が真っ赤で全身に金をまとったコミカルな仏像で、どこか親しみが湧きます。
五重塔が改修中で何も見えなかったのが唯一残念なところです。
興福寺は廃仏毀釈で憂き目にあったお寺です。明治の神仏分離令によって多くの所領が没収されました。元々興福寺の領地は県庁や奈良公園を含む広大なものでしたが、それを失ってしまったのです。僧侶たちも春日神社の神官になります。仏教色のあるものは破壊されました。五重塔が売りに出され、燃やされる寸前だったとの話もあるくらいです。
なぜこんな野蛮なことが起きてしまったのか、それを考えるには、そもそも仏像が美術品と認められたのは、明治に入ってからのことだったことを認識する必要があります。明治に入りフェノロサや岡倉天心が日本中を回って仏像の美術的価値を見出し、国宝や重要文化財として認定されていきます。つまり、日本人は外からの指摘で初めてその美術的価値に気づいたということになります。
この辺の事情は、以下の本に詳しいです。
興福寺から降りてきたところに、感じのいい池があります。


市民の憩いの場のような平和な光景が広がる池ですが、悲しいエピソードの采女伝説があります。かつて天皇の寵愛を受けていた女性がいたが、天皇の関心が別の女性に移ってしまい、悲しんだ女性が池に身を投げたという伝説です。女性を気の毒に思った人々が池のほとりに采女神社を建てたというわけです。

奈良の夜は、ネットで見つけたおばんざいの店「鬼無里(きなさ)」。お客さん同士で話が弾む素敵な店でした。
二日目は、まず法隆寺に向かいます。駅からバスですぐのところにあります。
南大門では左右の仁王像が迎えてくれます。


建物が美しく配置された伽藍は素晴らしく、これが7世紀初頭から続いているものとは思ないくらいです。


金堂には、有名な釈迦三尊像が静かに鎮座しています。そして、大宝蔵院には、それも同じくらい有名な百済観音と玉虫厨子が展示されています。百済観音像はいつどういう経緯で法隆寺に来たかわならないらしく、流浪の仏と言われていますが、最近になってようやく鎮座する観音堂が建てられ、安住の地を得たようです。スラリと伸びる体の線はとても美しく、目の前に立つと頭がボーッとしてしまいます。
法隆寺から歩いてすぐのところに、中宮寺があり、これも有名な菩薩半跏像があります。今回の旅で最も楽しみにしていたものの一つがこの美しい菩薩半跏像です。法隆寺の端っこに位置する小さなお寺ですが、比較的最近できたばかりの本堂の中に、恭しく鎮座しています。

なんとも言えない上品さを備えた微笑。アルカイック・スマイル(古典的微笑)と言われているそうで、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並んで世界の三つの微笑像と言われるのもよくわかります。
特に指先のしなやかさは秀逸です。指先までしっかり魂を込めて繊細に仏像を作られていることがわかります。
次に向かったのは大神神社です。三輪駅から歩いてすぐのところにある三輪山をご神体とする神社で、最も古い神社として知られています。この神社にはかつて大御輪寺という神宮寺がありましたが、神仏分離令で廃寺となります。




それから次に向かったのは聖林寺。山の斜面の中腹にこじんまりと佇む趣のあるお寺です。



道から眺めても、ここにお寺があることも気づかないくらい、謙虚な佇まいですが、ここにあの有名な国宝の十二面観音があります。
十二面観音はもともと大神神社の神宮寺であった大御輪寺に鎮座していましたが、明治の神仏分離令で廃寺となったため、廃仏毀釈に巻き込まれないよう、聖林寺に移されたものです。
このミロのビーナスに比べられる仏像は、フェノロサが見惚れて秘仏を解いて人々の前に姿を現すようになります。
聖林寺からさらにバスに乗って山を登っていくと、談山神社に辿り着きます。かつて中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿の追討に向けた密談をした場所とされ、談い(かたらい)山と呼ばれたことが神社の名の由来となっています。



談山神社には、十三重塔があるなどお寺かと思うような風景が広がっています。

観音堂まであり、秘仏が収められているのも、神社らしくありません。それもそのはず、かつては妙楽寺というお寺と一体だったのです。
談山神社は、完全な寺となることで廃仏毀釈の荒波を逃れたのです。廃仏毀釈の影響をもろに受けた興福寺や大御輪寺などと比べると巧妙に乗り切った感じはあります。
なお、数年前のニュースで、近隣に談山神社と無関係の宗教法人が妙楽寺を名乗って物議を醸し出しているという記事が掲載されています。
談山神社の観音堂を過ぎた奥の方に行くと、三天稲荷神社が山中にひっそりと佇んでいます。その神秘的な雰囲気が印象的でした。

二日目の最後に訪れたのは橿原神宮です。広大な敷地に立地し、その壮大さは全国随一なのではないかと思います。神武天皇稜がすぐ横にあり、建国の地というにふさわしい神社です。




三日目は飛鳥を中心に探訪しました。
出発前に、朝は神武天皇陵に寄り、畝傍山を駆け上り、橿原神宮を抜けて朝ランです。





畝傍山は思ったよりも坂がきつかったです。山頂ではラジオ体操のお年寄りが大勢集まっていました。あの坂を毎日登っているのだとすれば、すごいことです。
飛鳥駅でレンタルサイクリングを借りてまず向かったのは橘寺です。この寺は聖徳太子生誕の地と言われている由緒ある寺です。



本堂の聖徳太子の坐像も素晴らしいのですが、観音堂にある如意輪観音坐像が良かったですね。片膝を立てて澄ました表情で見下ろされると、なんだかスーツと心が軽くなる気がします。
境内には「二面石」という石があります。右善面と左悪面から成り我々の心の持ち方を表したものだそうです。

次に向かったのは岡寺です。急な山道を登ったところにある素敵なお寺です。





メインは日本最大の塑像(土でできた像)である如意輪観音像です。重厚でありながら親しみの持てる、そんな仏像です。

ランチは県立の万葉文化館のレストランで。野菜がたっぷりの飛鳥カレーはお勧めです。


万葉文化館のすぐ近くに亀型石造物というのがあります。


文字通り亀の形をした石造物で、湧水が亀の鼻から入り背中に溜まるような構造になっており、天皇の祭事に使われたもののようです。
さらに少し山を登っていく途中に酒船石があります。


これは酒の製造に使われたものとされているようです。
今回飛鳥で一番見たかったのは、やはり飛鳥寺です。


日本最古の仏像釈迦如来坐像があるからです。鞍作鳥が製作したものです。表情が凛々しく重みがあります。



この飛鳥寺のいいところは、写真もOKだというとのろです。多くのお寺では、いまだに写真はNGです。さらには秘仏の習慣が残っていて、せっかくの文化財を滅多に後悔しないお寺もあります。これだけネットが発達した時代だから、もっと自由に撮影させるべきかなと思います。

その後、飛鳥坐神社に寄ります。



それから甘樫丘に登りました。飛鳥地区が一望でき、遠くに畝傍山、耳成山、天香久山が一望できます。



朝登ってきた畝傍山が意外と高いことが確認できます。体力に余裕があれば是非登ってほしいと思います。
最後は、欽明天皇陵と吉備姫王のお墓に寄りました。後者にはなぜかコミカルな猿の石像が置かれています。


今回の旅行では、あまりに多くの国宝や重要文化財を目にして、正直なところ、十分に消化できなかった面もありました。欲張りすぎたことの反省です。
当たり前ですが、奈良には貴重な文化財がたくさんあることに改めて気付かされました。しかし、これらの国宝も一歩間違えれば、廃仏毀釈で破壊されていた可能性があったことは忘れるべきではありません。文化財の保護というのは、歴史の偶然が重なって実現されてきたと言っても過言ではないと思います。
今は文化財という考えかたも定着してますので、廃仏毀釈の仏像破壊のようなことが起きるとは考えにくいかもしれませんが、しっかりと歴史の教訓を心に止めておくことが重要かと思います。
今回の旅のテーマは神仏習合と廃仏毀釈になりました。これらは日本人の精神文化に多大な影響を与えたにもかかわらず、案外広く知られてきていないように思います。
神仏分離と廃仏毀釈は、日本史においてもっと取り上げられてよい大事なテーマである気がします。
今回の奈良の旅は、そんなテーマを深く考えるきっかけとなりました。

