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「フォッグ・オブ・ウォー」★★★★★

 アメリカの国防長官として、ケネディ、ジョンソンの両大統領に仕えたマクナマラが懺悔の告白をするドキュメンタリー作品です。

 マクナマラカリフォルニア大学バークレー校を卒業後、ハーバード大学でMBAを取得します。その後、陸軍航空隊に入隊しB29による攻撃の効率化などの任務に就きます。その後、フォードに入社し、社長に就任した直後に、ケネディに請われて国防長官に就任します。そして、キューバ危機への対応やベトナム戦争の舵取りを担うことになります。

 この作品は、マクナマラの渾身の懺悔で全編が構成されています。国際政治の中心にいたマクナマラの提示する数々の教訓は、実に説得力があります。

 最初の教訓は

敵に感情移入せよ

 アメリカのキューバ侵攻に備え、ソ連キューバに核ミサイルを配備すること決定します。これに反発したアメリカですが、ケネディは戦争回避を願ったものの、司令官カーチス・ルメイはただちにキューバを攻撃して破壊することを主張しました。

 ケネディ大統領の手元にフルシチョフの書簡が2通ありました。1通目は侵攻しないと保証すればミサイルは撤去するという内容のもの。2通目は強硬で、アメリカが攻撃すれば我々はただちに大規模な反撃に出るというもの。つまり硬軟2つのメッセージです。

 そのとき、ケネディのそばにいた前モスクワ駐在大使は、ケネディに最初の書簡に答えるよう進言します。それでは解決にならないとするケネディに対して、彼は、交渉の可能性があると述べます。

「彼にとって大事なのは、“キューバを救った”と言えることです。」

 つまり、フルシチョフは“カストロの危機を私が救った”と国民に言えることが大事だったわけで、そこに交渉の余地があったわけです。結果的に、キューバ危機は交渉によって解決されました。

 敵の立場に立って思考したからこそ、こうした交渉による判断が可能となったというわけです。

 ところが、ベトナム戦争の介入判断に当たっては、こうした感情移入による判断が全く機能しなかったのです。アメリカは北ベトナム側がどのような心理で戦っていたかを全く理解していなかったのです。

 マクナマラは次のように述べます。

キューバ危機の際には、我々はソ連の立場で物事を見ることができた。だがベトナムの場合、感情移入できず、終始誤解があった。彼らは我々をフランスと同じ国と見なした。ベトナムを植民地化し、支配しようとしていると考えたのだ。とんでもない話だ。一方我々はあの戦争を冷戦と一環と見なした。だが彼らには“内戦”だったのだ。」

 つまり、アメリカからすれば“冷戦”だったベトナム戦争が、ベトナムからすれば“市民戦争”だったわけです。こんな基本的な構図さえ理解せずにアメリカはベトナム戦争を遂行し、多大な犠牲を払っていたことは、驚くしかありません。

 後日マクナマラは、元ベトナム外相のグエン・コ・タクと会食をする機会を持ちます。なぜそこまで多大な犠牲を払う必要があったのかと問いただすマクナマラに対して、彼は次のように述べたと言います。

「歴史書を読みなさい。我々は中国やソ連の駒ではない。我々は1000年もの間中国と戦ってきたのだ。独立のためなら我々はどんな圧力にも屈せず、最後の1人まで戦い続けただろう。」

 この言葉は非常に重いものです。


 また、マクナマラは次のような深遠な教訓も提示しています。

理性は頼りにならない

 マクナマラは次のように述べています。

「核戦争に至らなかったのは、ただ運がよかったからだ。実際その寸前まで行った。皆理性的な人間だ。ケネディ、フルシチョフ、そしてカストロも。それが国を破滅させる寸前まで行った。その危険は今もある。」

キューバ危機の最大の教訓はこれだ。“不完全な人間と核兵器の存在は、世界を破滅させかねない。”」

 後にマクナマラカストロを会い、現にキューバ危機の際、162発の核弾頭が配備されていたことを知り耳を疑います。そして、カストロは核弾頭の存在を知っており、実際にフルシチョフに核使用を進言した。使用すればキューバが破滅することを知りながら。。。

 カストロマクナマラに対し、次のように言います。

「同じ立場ならあなた方も同じ決断をしたはずだ」

 マクナマラが指摘するように、世界には数多くの核弾頭がある。それに発射命令を下すのは1人の人間です。その人間が理性的な判断をするという保証はどこにもありません。これは現代社会にも通じる深刻な教訓です。

 マクナマラの問題意識の根柢には、英知に溢れ理性に従って行動しているはずの人間が、なぜ悲惨な結果をもたらしてしまうことがあるのか、というのがあるところにあるのではないかと思います。

 マクナマラは、

信条や見聞にはしばしば間違いが

といった教訓も披露しています。

 トンキン湾の公海上で北ベトナムからの魚雷による攻撃があったとの情報があったものの、実際はその攻撃は誤認だったことが判明します。そうした誤った情報によりジョンソン大統領は北ベトナムが戦争拡大を模索し米軍を撤退させようと決意したと受けとめたわけです。それが多大な損失を招くことにつながったのです。

「我々の目は曇りがちでときには半面しか見ない。(見たいものを見るのか?)その通りだ。」

 悪気はなくても、人間の目は見たいものが見えやすいようにできているというわけです。

 だからこそ、

善をなさんとして悪をなすことも

という教訓が導かれることになります。

論拠を再検証せよ。

 これも重い教訓です。

「アメリカは全能か?誰が決めた?アメリカは超大国だが、その力を一方的に押しつけるべきではない。それをわきまえていたら、ベトナム介入もなかった。」

 こういう教訓をアメリカがしっかり理解していれば、イラク戦争による犠牲もなかったかもしれません。

 マクナマラはジョンソン大統領に、現在の路線は誤っており、軍事行動を縮小し、死傷者を減らすべきとする覚え書きを提出し、その後、事実上解任されることになります。

 マクナマラはこの一連のインタビューの中で、ケネディ大統領に対して共感を示す反面、ジョンソン大統領には相当批判的です。しかしながら、一連の帰結をただ単にジョンソン大統領の責任だといって片付けているわけではありません。彼の問題意識は、ジョンソン大統領の行動には彼なりの信念があったにもかかわらず、それでもあのような多大な犠牲が生じてしまったのはなぜなのか、という点にあるように思います。

 マクナマラの最終的な結論は幾分悲観的です。

人間の本質は変えられない

 啓蒙主義進歩主義を真っ向から否定するような言葉です。

「人は誰でも過ちを犯す。正直な司令官なら過ちを認める。」

「“戦争の霧”というすばらしい言葉がある。戦争は複雑で、すべての変化を読むことは不可能だという意味だ。我々の判断力や理解力には限界があり、不必要な死者を出す。」

「人間には理性があるが、理性には限界がある。」

 人間社会が様々な制度や仕組みを考えていく上で、人間の理性の限界を念頭にしっかり置いておくことが必要不可欠だということを、改めて実感しました。

 最後に、マクナマラが引用しているT.S.エリオットの次の言葉を紹介しておきたいと思います。

「人は探求をやめない。そして探求の果てに最初の場所に戻り、初めてその地を理解する。」