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リービ英雄「星条旗の聞こえない部屋」

星条旗の聞こえない部屋 (講談社文芸文庫)

星条旗の聞こえない部屋 (講談社文芸文庫)

 非常に洗練された日本語の文体、こんなきれいな文章を一体誰が書いたのかといえば、それはリービ英雄というアメリカ人であるから驚きです。

 リービ英雄氏は、2005年に『千々にくだけて』で大佛次郎賞を受賞されているなど、日本文学で活躍されている方ですが、外交官の父を持つアメリカ人、1950年にアメリカで生まれ、子供時代に台湾、香港、そしてワシントンでの生活を経て、16歳の時に日本に来たという経験の持ち主です。

 この「星条旗の聞こえない部屋」の主人公ベン・アイザックは、リービ英雄本人と同様に、外交官の父に連れられ、子供時代にアジア各国を転々としていた。そして、17歳の時の1967年に、横浜の領事館で家族と共に暮らしている。しかし、父親は厳粛なユダヤ教徒で、ベンの実の母親はポーランド系のカトリックだっため、結婚に際して父親は、親類から縁を切られていた。その後、両親は離婚し、ベンの父親は現在、中国赴任中に知り合った中国女性と結婚し、父親とこの中国人妻との間にはジェッフリーという男の子がいた。ベンは実の母親の元からはるばる父親のところへ来て、横浜で暮らしていたのだった。

 ベンは、東京の大学で日本語を学び始める。しかし、周囲の日本人学生たちは、ベンを「西洋」という違う世界の「外人」として扱い、英語で一方的に語りかけてくることに、ベンは強烈な違和感を覚える。そんな中、1人の地方出身の学生である安藤だけが、ベンに対して日本語で話しかけてきたことから、ベンと安藤は急速に仲の良い関係になる。

 このようにベンを巡る環境は極めて複雑なわけですが、この小説で筆者が問うているのも、正にアイデンティティの問題です。「ディアスポラ」というのは、離散したユダヤ人のことを指すようですが、この主人公も正に「ディアスポラ」であり、帰る場所のない人なのです。だからベンは、領事館の外で「ゴー・ホーム」と叫ぶ一群に対し、「いったいどこへ行けばいいのか」と自問せざるを得ない。

 こうしてある日、ベンは、家を出て父の元から離れることを決意します。そして、それまで父親から行ってはいけないとされていた新宿の町に初めて足を踏み入れます。

「とうとうおりちゃった、みんなといっしょにおりちゃった」*1

 そんな言葉がベンの頭に浮かびます。

 それは、ベンが初めて日本の人々と一体感を感じた瞬間だったのかもしれません。
 
 彼はあとがきの中で、「なぜ日本語で書くのか」と質問されると返事に困ると書いていますが、確かに、英語を母国語としない人間が英語でものを書くということはごく普通のことであり、「なぜ英語で書くのか」と質問する人はあまりいないでしょう。

 リービ英雄氏は日本語の美しさに惹かれ、日本文学の道へ歩を進めたわけで、それ以上、なぜ日本語なのかについて突き詰めようとしても意味がないことなのでしょう。

 いずれにしても、欧米人が日本語といういわばマイナーな言語を巧みに使いこなして文学作品を書くということだけでも希有なことであり、極めて貴重なことです。日本語を母国語とする我々が、逆に日本語の美しさについて彼から多くを学ぶということは皮肉なことでもあり、また、喜ばしいことでもあるのだと思います。

*1:本では傍点付き

「グレン・ミラー物語」★★★★☆

グレンミラー物語 [DVD] FRT-295

グレンミラー物語 [DVD] FRT-295

 グレン・ミラーが成功するまでの軌跡とその後の活躍を描いた作品です。「イン・ザ・ムード」や「ムーンナイト・セレナーデ」など誰もが聞いたことのある軽快なスウィングが映画にちりばめられ、見終わってとても幸せな気持ちになれる素晴らしい作品です。

 トロンボーンの奏者であったグレン・ミラー(ジェームズ・スチュアート)は、その編曲がポラックの目に留まり、ツアーに同行する。そして、ツアーの途中、2年間音信不通であった大学時代の同級生ですでに婚約者もいるヘレン(ジューン・アリソン)の家に押しかけ、再会する。その後、グレンはニューヨークで下積みを続けていたが、ヘレンをニューヨークに呼び出し、無理矢理結婚してしまう。

 グレンには自らのバンドを持ち、やりたい音楽を演奏するという夢があったが、その夢を見失いかけていた。ヘレンはグレンを励まし、バンドを結成させたが、なかなか軌道には乗らなかった。さらに追い打ちをかけるように、グレンのバンドはボストンの公演に向かう途中、車が事故をおこし、公演はキャンセルとなり、ヘレンも流産して入院してしまう。

 ところが、キャンセルになった公演のプロモーターであったシュリプマンは、そんな気の毒なグレンとヘレンに手を差し延べ、グレンにバンドを再び組織させ、バンドは大当たりする。

 それ以降、グレンのバンドはサクセス・ロードを歩み続けることになるが、その頃、第二次世界大戦が勃発する。グレンは世界で奮闘する兵士たちを慰問するため、自ら志願して世界中の戦地を巡って前線で公演を行った。

 が、そんなある日、グレンの乗った飛行機は、消息が途絶えてしまうことになる・・・。


 グレンを演じるジェームズ・スチュアートのやることがとにかくかっこよく、様になっています。ヘレンに婚約者がいるにもかかわらず、強引に呼び寄せて結婚してしまったり、ヘレンとの思い出にちなんで、かつてヘレンに告げた電話番号を基にした曲(「ペンシルバニア6-5000」)を作ってあげたり、やることが実にセンス良くおしゃれです。

 そして、自ら危険な戦地に赴いて演奏し、兵士たちを慰問するグレンの姿には心を打たれます。敵の爆弾が落ちる中、グレンのバンドが平然と演奏し続ける場面は圧巻です。

 ところで、「スウィングボーイズ」という太平洋戦争中にジャズを愛していた日本人たちを描いた日本のミュージカルでは、ジャズを愛する日本の兵隊がアメリカのB29を高射砲で迎え撃つ時、「頼む、グレン・ミラーが乗っていないでくれ、ベニー・グッドマンが、ルイ・アームストロングが乗っていないでくれ」と願いながら撃つというシーンがあるそうですが、グレン・ミラーの音楽は戦前・戦中の厳しい統制の中でも日本にも入り込んでいたということからも、グレンの音楽の普遍性というか、国境を越えて誰からも親しまれる音楽であったことが示されているように思います。

 あとは、何と言ってもこの物語はアメリカン・ドリームの最たるもので、アメリカ社会の持つ最も魅力的な部分を描ききったものといえます。アメリカ社会には様々な負の面があるものの、このアメリカン・ドリームという1点だけでアメリカ社会が輝かしい社会に見えてしまうくらいなもので、こうしたサクセス・ストーリーは、文化が異なる日本人に対しても、やはり多かれ少なかれ憧れを抱かさずにはいられないのではないかと思います。

 8月28日の日本経済新聞の夕刊の「こころの玉手箱」というコラムで、文化庁長官の青木保氏が「グレン・ミラー物語」について次のように書かれていたのが大変印象的でした。

「…ミラーの自分を信じて編曲者としての信念を曲げずに己の生き方を逆境の中でひたすら追求する姿とそれを支えるアメリカ社会の自由と開放性、そしてその明るい未来を信頼する楽観主義に感動した。」

 この言葉に、この映画の魅力はすべて凝縮されているように思います。

 そして、極めつけは次の青木氏の言葉です。

「アメリカの批判はすることがあっても、嫌いにはならない。文化の影響は根強いのである。」

 アメリカの負の面を指摘することはいくらでもできますが、正直なところ、こういう音楽を生み出すことができる文化を根底から否定することはできないように思いますし、しかも、こういう音楽を生演奏で戦場において聴いているような国を戦争で打ち負かすことは、当時の日本としてはやはり無理だったんではないか、と痛感せざるを得ません。

 誤解を恐れずに言えば、この映画を見ると、やはりアメリカの文化は並みじゃないと感じざるを得ないのです。