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エルヴェ・ファルチャーニ「世界の権力者が寵愛した銀行」

 

世界の権力者が寵愛した銀行 タックスヘイブンの秘密を暴露した行員の告白

世界の権力者が寵愛した銀行 タックスヘイブンの秘密を暴露した行員の告白

 

 

著者はHSBCでIT技術者だった経歴を持ち、そのプライベート・バンキング部門の顧客情報を各国の捜査関係者に提供した人物です。このリストによって、各国は脱税者の捜査が可能となり、一方で、これまで銀行の秘密を死守してきたスイスの面目は丸潰れとなり、世界的にも大きな話題となりました。

 

 本書には、監修として名を連ねておられる作家の橘玲氏によるタックスヘイヴンについての詳細な解説が付されており、本体よりも実はこちらの解説の方が参考になる気もします。

ヨーロッパにはタックスヘイヴンがいくつかあり、橘氏によれば、全世界の銀行の預金総額のうち5分の1をタックスヘイヴンが保有しているとのこと。

タックスヘイヴンの一つであるスイスは、積極的脱税、すなわち書類の偽造などを伴う脱税のみ刑事上の責任が問われ、無申告や申告漏れは消極的脱税として行政罰しか課さないという制度によって、守秘性を守ってきました。

そんな中、UBS脱税幇助事件が起こります。リヒテンシュタインの皇室が経営するプライベートバンクLGTの顧客情報をドイツ連邦情報局が買い取ったのです。このLGTに口座を持つ人物の中に、イゴール・オレニコフという大富豪がいて、彼がUBSから脱税の指南を受けていたことを暴露したのです。この情報により、米国はUBSを捜査します。そして、UBSの顧客情報を提出することになります。

そして、本書の著者がかかわるHSBCのスキャンダルです。HSBCにはメキシコにHBMXという子会社がありましたが、HBMXはHSBCアメリカに莫大な米ドルの送金を行っていました。これは明らかに麻薬がらみの資金であり、HSBCが麻薬ビジネスに関与していることになります。もともとHBMXはメキシコのビタルという銀行をHSBCが買収したものでしたが、そのコンプライアンスは重大な欠陥があり、顧客情報の多くが欠落した状態でした。そうした中、HSBCに組み込まれたことで、HBMXは米国のHBUS内に自由に口座を持つことができるようになり、自由な送金が可能となったのです。

HSBC絡みでは、イランとの取引も米国によって摘発対象となりました。米国はイラン関連口座の凍結を金融機関に求めていますが、ドル建ての決済の場合は、米国の金融機関で行われることになります。その中にイラン関係の名義があると、その決済は凍結されることになります。

 

以上は橘氏の解説によるものですが、本書の中心は、これらのタックスヘイブンに絡む事件のうちのHSBCの事件に絡んだ著者ファルチャーニの告白です。正直、あまりまとまりのある記述とはなっていませんが、それでも、金融機関が優良な顧客の資産を囲い込むために、脱税指南を画策している雰囲気はよく理解できます。

ファルチャーニは、モナコ公国で生まれ、フランスとイタリアの国籍を持つ人物です。ファルチャーニはHSBC内の顧客情報をクラウドに落とし込んで、それを各国の捜査当局が使えるようにしようとしました。スイスの当局の手が伸びる前にフランスに渡り、フランスの司法当局の協力を得るのですが、サルコジ大統領は捜査の妨害を図ります。やがて仏大統領がサルコジからオランドに変わると方針は転換され、米国とフランスとの協力が進み、メキシコの麻薬取引やイランとの取引の摘発につながったとのこと。

 

本書からわかることは、銀行内のITシステムの構築に当たって、プライベート・バンカーたちの意向が強く働いていることです。ファルチャーニによれば、HSBC内部では、現行のシステムを変えようという勢力と、変えたくない勢力、すなわちプライベートバンカーたちの勢力との争いがあったとのこと。プライベートバンカーたちは、顧客の脱税が明らかになるようなシステムは都合が悪かったのです。いざ捜査に入られても足がつかないよう、データは世界中に分散化されていたとのこと。

 

また、ファルチャーニによれば、プライベートバンカーたちの意向は、EUの法令にも影響を及ぼしたとのこと。EU貯蓄課税協定によれば、銀行は非居住者の口座情報を顧客の居住国税当局に通報しなければならないとされているものの、その対象は個人に限られており、法人名義にしてしまえば申告義務がなくなるとのこと。こうした法令となった背景として、ファルチャーニはプライベートバンカーたちの意を受けた政治家の意向があったと推測します。

 

さらに、本書では、脱税に絡む様々な手口が紹介されているのが興味深い点です。同じ株主が所有する国籍の異なる二つの会社の間でオプションの売買をすることで、その損益を利用してある国から別の国へ資金を移す手口、生命保険の保険料として資金ファンドに移し、自由に使える資金とする手口など。

 

このように、本書は脱税に絡む闇の部分を赤裸々に暴いており、大変興味深いのですが、他方で、ファルチャーニの証言の中には、信憑性が疑われるものがあることも事実です。例えば、ジョージナーという女性と一緒にレバノンのベイルートに渡る下り。ファルチャーニによれば、近づいてきたジョージナーを試すためにパスポートを偽造させたと言ったり、スイス当局を罠にはめる目的で捜査の導火線に火を着けるために顧客情報の提供をレバノンの銀行の頭取に持ちかけたと言ったりしていますが、どう考えても不自然です。橘氏のあとがきによれば、スイス側はファルチャーニの言い分を真っ向から否定しています。

 

そして、ファルチャーニの仲間たちだという「ネットワーク」のメンバーたちによる偽装誘拐事件の下り。警察に逮捕された際に、誘拐されて意思に反してデータを引き出したという口実を作るために、仲間が偽装誘拐を行ったというのですが、これもどう考えても不自然です。

 

こうした疑わしい点を差し引いても、本書は貴重な証言であると思います。

昨今のピケティの議論ではありませんが、世界的にも格差の拡大が問題となっている中、金融システムが富裕層の脱税を覆い隠すように出来上がっているとすれば、大変な問題です。各国もOECDやG20などにおいて、国境をまたがる脱税に対しては大きな危機感を抱いているわけですが、なかなか有効な手立てが打てていないことも事実です。そんな中、こうした内部告発者による内情の暴露は効果的な手段かもしれません。

 

ちなみに、橘氏は、『タックスヘイブン』という小説を書かれており、以前拝読しましたが、これも大変面白い小説でした。

 

タックスヘイヴン TAX HAVEN

タックスヘイヴン TAX HAVEN

 

 

 

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