東京オリンピックが昨日終了しました。
コロナ禍という前代未聞の状況の中、最低限のオペレーションは無難に乗り切れたのではないかという意味では、関係者やボランティアの方々の尽力には敬意を表したいと思います。
本来であれば、東京オリンピックを観戦しに来た外国の方々に、日本の観光を楽しんでもらい、日本ファンになって帰国してもらい、日本の食の輸出につなげる、といった戦略を進めるべきところ、そうした目算はコロナで脆くも崩れてしまったわけです。
そんな中、日本をPRする唯一のチャンスともいうべき開会式、閉会式の評判は芳しくありませんでした。コロナによる延期という制約があったことを考慮しても、全体としてどこかチープ感が漂ってしまった感じです。見せ場の一つであったドローンもインテル製。。。スタッフを巡るドタバタが影響したことは間違いないにしても、もっと根源を辿れば、日本のエンターテイメントのプロデュース力が落ちてきていることは疑いないように思います。
日本のエンターテイメントを支えてきたのは、テレビ業界とそのバックにいる広告会社でしょう。今回のセレモニーのスタッフも、そうした業界の方が多く関与していたわけですが、その発想の限界がそのまま開会式・閉会式のプロデュースに反映されてしまったと言えるような気がします。
つまり、テレビ業界のコンテンツ製作能力の凋落が、今回のあまりに平凡なプロデュースにつながったということが言えるのではないでしょうか。
近年の日本のテレビやCMのクオリティは、凋落が著しい状況です。その背後には、制作費の激減です。視聴者はYouTubeやNetflixなどオンライン配信に流れていっている中、テレビ局は相変わらず放送に固執し、とりわけ若者からは見放されつつあります。企業の広告も、テレビからネットに流れています。だから、テレビ局の制作費が減り、コンテンツのクオリティが下がるのは必然です。テレビ局は、相変わらずバブル期のトレンディドラマのノリでコンテンツを製作していますが、これでは益々若者は離れていくでしょう。
今回のオリンピックは、こうした古きテレビ業界の周りのスタッフに頼り過ぎてしまったことが最大の敗因だったように思います。
他方、今回のオリンピックを見て、これまでと違ったシーンがいくつか見られたことは、大きな収穫です。個人的に印象に残ったシーンを2つ挙げたいと思います。
第一は、スケボー女子です。難易度の高い技にチャレンジして失敗して涙を流す岡本選手を海外の選手たちが抱え上げるシーンは、これまでのオリンピックの常識を覆すものでした。岡本選手の涙顔が笑顔に変わるシーンは、このオリンピックの中で最も感動的なシーンといっても過言ではないと思います。
涙の15歳をみんなで称賛 女子スケボー感動のラストに海外メディア注目「岡本を励ます」(THE ANSWER) - Yahoo!ニュース
監督やコーチが励ますのではなく、ライバル選手が皆友達で、果敢にチャレンジした選手をリスペクトしている光景は、国を背負ってがむしゃらに戦う従来のオリンピック選手像とは、あまりにもかけ離れています。
しかし、国民国家を超えたこうした絆こそ、平和をモットーとするオリンピックの精神を体現しているのではないでしょうか。それを、あどけない若者たちがさらっとやってのけてしまったところに、今回のオリンピックの大きな意義があったように思います。
第二は、男子マラソンです。ケニアのキプチョゲ選手が圧倒的な強さでゴールした後、3人の選手がゴール寸前までメダル争いを繰り広げます。2位でゴールしようとするオランダのナゲーエ選手が、後ろを振り返りながら、ベルギーのアブディ選手についてこいといったしぐさで手招きします。結局ナゲーエ選手が銀メダル、アブディ選手が銅メダルを獲得します。
振り返り励ます「ついて来い」 マラソン、ソマリア難民が銀と銅(共同通信) - Yahoo!ニュース
この2人、現在の国籍は違えど、ソマリアの難民だったわけです。この2人にとって、オリンピックに出場する機会を与えてくれたオランダとベルギーに感謝していることは疑いないと思いますが、彼らのアイデンティティはやはりソマリアにこそあるのでしょう。
このシーンも、ある意味、従来の国民国家を前提とするオリンピックの常識的な見方を覆すものと言えるでしょう。
以上の2つのシーンが、今回のオリンピックで私が特に印象に残ったシーンです。
もちろん、日本人選手が金メダルを取るシーンは、感動的です。しかし、日本人が金メダルを取ることよりも、もっと感動的なシーンを生み出すことができることこそ、オリンピックの存在意義のように思います。
今回の東京オリンピックは、こうした新たなオリンピックの可能性を改めて気付かせてくれたという意味でも、やはりやってよかったと思いました。