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辻惟雄「奇想の系譜」

 

奇想の系譜 (ちくま学芸文庫)

奇想の系譜 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:辻 惟雄
  • 発売日: 2004/09/09
  • メディア: 文庫
 

 江戸時代の前衛画家たちを「奇想」というキーワードで捉え、その意義を再評価した本です。元の本は1969年に刊行されたものですが、今読んでも全く色あせていませんし、むしろその価値は高まっているように思います。今では若冲らの評価は揺らぎありませんが、この時代にこうした観点から若冲を高く評価した論調はおそらく画期的だったに違いありません。

 

本書で最初に取り上げられるのは、江戸初期の画家の岩佐又兵衛。MOA美術館に保存されている「山中常盤」は、主流的観点からは、卑俗でアクが強く、嫌悪感さえ感じさせるような描写なので、昭和初期にこの作品が発掘された際は、長年これらの絵が岩佐又兵衛自身のものかどうか論争があったようですが、著者はこの作品のけばけばしい彩色や擬人化表現を高く評価します。

 狩野山雪は、師匠の山楽の養子となって後を継ぐのですが、師匠の筆致とは全く異なるダイナミックな世界観を生み出します。特に旧天祥院の『老梅図』について著者は「グロテスクな巨樹の痙攣」と表現し、高く評価します。山雪は晩年に理由は定かでないものの投獄されているようですが、著者は、そのイメージと作品のイメージを結びつけながら論じているのが興味深い点です。

それから伊藤若冲。自ら<物>に直接当たって描くことにこだわり、独特の世界観で動物たちを描きます。代表作『動植綵絵』について、著者は「一種の無重量的拡散の状態に置かれたといってもよいような空間」「海底都市とか、火星の植物とかいったSF的な連想を喚び起こす」「それこそサイケデリックな幻覚を誘い出す」などと表現されています。また、若冲の絵の中には、得体の知れない<のそき穴>について触れているのも興味深い点です。

次は曾我蕭白もキテレツな筆致が印象的です。伊勢での奇行が伝説として残っているなど、かなり個性的な人物だったようです。ボストン美術館に所蔵されている『雲龍図襖』は、長い間ニセモノ扱いされていたそうですが、米国人のヒックマンが発掘して米国に持ち出したものだそうです。

長澤蘆雪も、晩年に『海浜奇勝図』では、グロテスクな要素がほとばしっています。

最後は歌川国芳です。正統派の浮世絵史観からすれば傍流に当たりますが、著者は国芳を高く評価します。著者によれば、国芳の独自な<奇想>は、洋風表現の研究と相まって、とりわけ武者絵、風景画、戯画の分野にその本領を発揮していったと指摘します。そこには、近代と前近代との唐突な接触がもたらした緊張感が描写されていました。そして、国芳の戯画の中に著者は近代マンガの歴史の起点を見出します。

 

あとがきの中で、著者は「<奇想>」という言葉について触れています。本書でとりあげられた画家たちは、「江戸時代における表現主義的傾向の画家ー奇矯で幻想的なイメージの表出を特色とする画家ー」だとしています。そして、これらの画家は決して異端の少数派として特異性のみを強調されるべきではなく、「<主流>の中での前衛として理解されるべき」だとしています。

また、著者は「奇想」の中身には「陰」と「陽」の両面があるとし、「陰」の面に興味をそそられたことを述べています。そして、こうした奇想は、決して江戸時代絵画の特産物というだけでなく、時代を超えた日本人の造形表現の大きな特徴としてとらえたいと述べています。

 

本書を読んで、こうした江戸時代の前衛画家たちの「奇想」こそが、今の日本のマンガやアニメにしっかりと受け継がれているということです。古くは鳥獣戯画に既に日本のマンガの原型は現れていると言えると思いますが、それを今日まで育んで発展させてきたのは、こうした江戸時代の画家たちの貢献があると言えるように思います。

 

ちなみに、著者の辻惟雄氏は、今月から日経新聞の「私の履歴書」の連載が開始されています。昨年10月には日本学賞を受賞されていますが、やはり代表作は本書でしょう。

 

現代日本の文化の系譜を探る上で欠かせない重要な研究だと思います。