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伊藤亞聖「デジタル化する新興国」

 

 デジタル化の流れはコロナを契機に全世界で一層の盛り上がりを見せており、日本でもデジタル庁の創設に向けた動きが一気に早まるなど、デジタル化はこれからの経済・社会の動向を見極める上で最も重要なイシューとなっています。

本書は、日米欧というよりも、むしろ中国やインド、アフリカ諸国といった地域にフォーカスしながら、今後の世界のデジタル化の流れについて分かりやすく論じています。

 

本書では、かつてデジタル化について論じたMITのニコラス・ネグロポンテが「ビーイング・デジタル」が取り上げられます。ネグロポンテは、1995年に刊行された本書の中で、デジタル化について、①計算能力の指数関数的向上によって、ますます多くの情報がデジタル処理される傾向は不可逆的である、②コンピューター端末は、部屋を占拠する大きさのメインフレームの時代から、パーソナル・コンピューターの時代になり、やがてポケットに入り、さらに小型になる、③高度で幅広い能力を有するコンピューターシステムは、人間が直接コントロールするものではなくなり、有能な執事のような「エージェント」を通じて実行されるようになる、④インターネット、すなわち「ザ・ネット」では検閲は不可能であり、この結果、国境の意味は薄れていく、といった一連の流れとして説明しています。1995年時点の予想としては、この予想がいかに先見の明があるか驚かされますが、このうち4つめの予想ははっきりと外れたと著者は指摘します。

 

また、カール・シャピロとハル・バリアンは、デジタル経済の特徴として、①限界費用の低さ、②ロックイン効果、③ネットワーク外部性ゆえに、勝者がますます勝者となる特徴が指摘されているとのことですが、この指摘も今のプラットフォームの状況を的確に見抜いています。

 

さて、本書は、「デジタル技術による社会変革は、新興国・途上国の可能性と脆弱性をそれぞれ増幅(アンプリファイ)する」という仮説によって貫かれています。

可能性の面では、プラットフォームが信用問題を解決する糸口となっています。プラットフォームが介在することで、個人レベルで仕事が発注できるようになり、フリーランス経済も広がりを見せています。

そして、本書では、後発性の利益を指摘しています。これには、後発の国が先行する国や企業に急速に追いつくという側面と、ある領域では「飛び越す」すなわち「リープフロッグ」するという面があります。その代表例が「スーパーアプリ」の存在です。これは、すなわち「数億人以上のユーザーを有し、特定のサービスのみならず、様々なサービスへと縦横無尽に誘導する「ユーザーの導線」として機能し、さらに他の事業者がサービスを提供する土台となるようなアプリケーション」です。そして、著者は、こうした「リープフロッグ」の背景に、小さなイノベーションを牽引するエンジニアたちの存在を指摘している点は興味深いです。

他方、デジタル化は新興国にとってリスクもあります。デジタル化は雇用と緊張関係をもたらします。プラットフォームや現地の財閥が競争を歪める可能性もあります。そして、何よりも「デジタル権威主義」の問題です。著者は、「政治的な自由が制限され、インターネット上の言論の自由が制限されても、経済社会のデジタル化が停滞するとは限らず、情報が検閲される一方で、デジタル技術の利活用は進むと指摘します。これは、中国が典型的だと言えるでしょう。利用者にとっては、監視が強まる一方、例えば治安が向上するなどのメリットがあるわけです。加えてフェイクニュースの問題もあります。

本書では、最後に、日本がとるべきスタンスについていくつか言及があります。一つは「共創パートナーとしての日本」です。すなわち、日本の技術や取組みを生かすと同時に、新興国に大いに学び、日本国内に還流させることに加え、デジタル化を巡るルールづくりに積極的に参画し、時には新興国のデジタル化の在り方に苦言を呈するなど、新興国とより対等な目線で共により望ましいデジタル社会を創るという姿勢です。

データを巡るルールについても、日本が目指すべきと考えるデジタル社会、データ活用社会を設定して働きかけ続けるべきだと著者は指摘します。

そして、新興国のデジタル社会にアンテナを張り、関わっていくべきだとします。新興国はデジタル化の試行錯誤の場であり、グローバルなコミュニティでもあるので、諸外国から来たエンジニアや企業家ともつながることで、未知なる社会が出現する場面に遭遇できるかもしれません。著者は次のように述べています。

「デジタル化の時代にも、手を動かして新しいサービスを使ってみて、足を使って体験していくことが求められる。」

 

以上が本書の概要を自分なりにまとめたものですが、昨今の問題を踏まえた大変タイムリーな内容となっています。

近時、マスメディアなどでは、新興国におけるデジタル化の問題、とりわけ監視社会化を問題視する論調が強く見られますが、本書では、そうした問題点を指摘しつつも、メリットとデメリットをバランスよく指摘しつつ、そのいずれもがデジタル化によって増幅される点を、丁寧に述べています。

 

他方、こうした新興国の状況を踏まえ、日本としてどのようなスタンスをとるべきかについては、本書では正面から扱ってはいません。これは、日本に突き付けられた大きな課題でありますが、残念ながら、政府でも民間でも十分な議論がなされているとは言い難い状況でしょう。

デジタル化の議論は、個人情報保護の問題と密接不可分です。本書でも少し触れられていますが、データの取り扱については、世界的に見ると、個人情報を含めた自由な流通を求める米国、個人情報の越境移転を規制しようとする欧州、国家安全の観点から規制をかける中国といったように、世界の主要国・地域ごとの姿勢は大きく分かれています。そんな中、日本は「信頼ある自由なデータ流通(Data Free Flow with Trust)」というキーワードは提唱されているものの、その内実については、いまだはっきりしておらず、昨今のデジタル庁の創設を巡る議論の中でも、この点について深まっているとは言い難い状況です。

 

とはいえ、本書はそうした今後の議論に向けた重要な素地を提供してくれるものとして、貴重な本でした。