2007年、2008年に刊行された小説です。この2つの書の著者は、かつて富士通で、IBMとの互換機を巡る係争の責任者を務めた方で、前者が富士通とIBMが秘密契約を締結するまでを描いており、後者はその後に起こる仲裁を描いています。フィクションという形をとっていますが、実際に起こったことをベースに書かれていると言われており、実に緊迫感に溢れた作品であるとともに、当時の日本企業の戦略とその限界が垣間見える点が興味深いところです。
本書が描く交渉は、当時主流だった大型汎用コンピュータを巡るものですが、当時の状況については、松崎稔氏及び國領二郎氏の解説に詳しくまとめられています。IBMは1964年に汎用コンピュータS/360を発表しますが、その後に追加されるモデルも「360アークテクチャ」に基づくものとすることで、ユーザーは古いモデルの上で開発したプログラムを新しいモデルでも使い続けることができるというものです。国産メーカーは、こぞってIBMのOSを解読し、富士通も日立と組むことで、IBM互換アーキテクチャのMシリーズを開発します。
そして、富士通がIBM互換ハード・OSのヨーロッパ向け輸出を始めたことで、大きな危機感を抱いたIBMは、富士通に知財侵害に基づく交渉を持ち掛けます。一旦は和解契約書を始めとする秘密契約が締結されますが、その後、IBMは米国仲裁協会に仲裁の申立てを行います。米国仲裁協会は結局1988年に最終裁定を出し、富士通はIBMに対し、一定のライセンス料(約1千億円)を支払うことになりますが、これは富士通が予想した額よりは少ないものでした。しかも、富士通に将来の互換の道を与えるものでした。
しかし、せっかく紛争が解決したというこの時期、汎用コンピュータの時代も峠を越えようとしており、1990年代に入ると、マイクロソフトはOSさえもハードウェアを問わず利用可能とし、IBM互換機の意味は薄れていくことになります。こうした状況の中、IBMとの交渉の最前線で奮闘してきた著者も、富士通から戦力外通告されるというのが、何とも切ないです。
さて、このような状況を小説として赤裸々に描いた伊集院氏の作品ですが、いろんなことを考えさせられます。高度成長期の中、国産メーカーは技術力を磨いて、必死に海外メーカーにキャッチアップしてきたわけですが、その中心の一つであるエレクトロニクス分野の企業がやってきたことは、結局、独自のマーケットを切り開くというよりも、既にIBMが切り開いたマーケットの顧客を、いかに自分たちの方へ引っ張るかという努力だったわけです。そのためには、IBMのコンピュータ上で作成されたプログラムが動くようなコンピュータの開発が必須であったわけです。
他方、本書のテーマの柱の一つである知的財産の観点で考えてみると、一筋縄にはいきません。当時、こうしたOSプログラムをいかなる権利として保護すべきかは、日本でははっきりしていませんでした。著作権法で保護すべきという米国に対し、日本独自のプログラム権法を制定する動きもある中、結果的には著作権法で保護されることになります。また、IBMも当初はこうしたOSプログラムをパブリックドメインとする戦略をとっており、必ずしも権利として保護しようという意志を持っていたわけではありません。だから、仲裁においても、著作権の論議は避けられ、いかなる権利に基づくものかは曖昧にされています。
ただ、いずれにしても、結局、知的財産を生み出し、守ろうとする海外メーカーに対して、知的財産を利用したい国産メーカーという構図なわけで、日本企業は知的財産を生み出し、守るという発想にはないわけです。この点に、日本企業の限界があるように思います。
本書を読んでいて、富士通側の奮闘にどこか共感できず、釈然としない点が残ることになったのも、きっとこの辺の事情が関係しているように思います。