映画、書評、ジャズなど

山下範久編著「教養としての世界史の学び方」

 

教養としての 世界史の学び方

教養としての 世界史の学び方

 

 タイトルからすると、世界史を手っ取り早く総攬する本であるかのように思えますが、実際は、西洋中心の世界史に根本から疑問を投げかけるという純学問的な本です。つまり、世界史を徹底的に相対化しようとする試みといえます。

 

本書では、最初の近代、中世、古代という時代区分について論じた部分が興味深かったです。

近代初期においては、新しい時代を表現するために、直近の過去の向こう側にあったさらに古い過去の中に、直近の過去を乗り越えるために甦る要素を見出そうとした、という指摘はなるほどを感じました。こうした発想から、近代、中世、古代という3区分が生まれてくるわけです。

これはいわば近代を基準とする歴史観ということですが、著者はそこから3つのバイアスが生じたと指摘します。

第一は、近代の目的視、つまり最終的に近代というゴールにたどり着く過程を描く傾向です。これは、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり?」を想起させます。

第二に、歴史の主体的単位としてのネイション、すなわち歴史は近代化の主体としてのネイションを単位として書かれるということで、結果として、ネイションの境界をまたぐように存在する集団や交通関係に対する関心は薄れることになります。

第三に、ヨーロッパ中心主義です。 著者は以下のように指摘します。

「近代を基準とする歴史観は、ヨーロッパの歴史から抽出されたモデルを物差しとして、その他の社会の歴史を古代、中世、近代の三分法からなる一元的な尺度に位置付けようとする枠組みに帰着します。」(p44)

 

本書では、このほか、「市場」「市民社会」「国家」などの独自の切り口から歴史を描こうとするなど、意欲的な姿勢が随所に見られ、大変読みがいのある本でした。