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映画、書評、ジャズなど

村上春樹「職業としての小説家」

 

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

今年もノーベル文学賞は惜しくも逃してしまった村上春樹氏ですが、小説家になるまでの過程や小説家として長くやっていくための心構えを率直に語っている点で極めて興味深い本でした。

本書を読むと、村上氏が自然体で小説家になり、長きにわたり小説家としてやってきたのだということが伝わってきます。これまで小説が書けなくなるという「ライターズ・ブロック」を経験することもなく、書きたいという欲望のままに小説を書き続けてきたと吐露しており、やはり並大抵な小説家ではないということを改めて実感します。

村上氏によれば、小説を書くこと自体はそれほど難しくないとしても、書き続けることは難しいとのことです。

「小説をひとつ書くのはそれほどむずかしくない。優れた小説をひとつ書くのも、人によってはそれほどむずかしくない。簡単だとまでは言いませんが、できないことではありません。しかし小説をずっと書き続けるというのはずいぶんにむずかしい。」

また、小説家になるための秘訣として、本をたくさん読むことを推奨されています。それから、自分が目にする事物や事象をとにかく子細に観察する習慣をつけること。そして、観察したものについて、あれこれ考えをめぐらせ、細部を頭に留めておくこと。そうした具体的細部の豊富なコレクションが小説を書く際に必要であり、小説の中に組み入れていくと、小説がナチュラルで生き生きとしたものになるのだというわけです。

 

村上氏は、断片的なエピソードやイメージを組み合わせていく上で、ジャズが役に立ったと述べています。

「ちょうど音楽を演奏するような要領で、僕が文章を作っていきました。主にジャズが役に立ちました。」

ジャズのリズム、コード、フリー・インプロビゼーション、といった要素は、確かに小説を作る上でも使えそうな感じはしますし、村上氏の作品のある種の曖昧さ、自由さはジャズのこうした要素に近いものがあるように思います。

 

それから、村上氏がフィジカル面の重要性を指摘している点は、大変共感を覚えました。長編小説を書くということは持続力が必要な作業です。そこで、村上氏は、専業作家になってからマラソンを始められたとのこと。ちょうど『羊をめぐる冒険』を書き始めた頃だったそうです。

 

最後に、村上氏は、自分の小説が海外で受け入れられたことについて触れています。村上氏の小説が海外で読まれるようになった時期は、ちょうど世界全体が変革していた時期です。東欧では社会主義体制が崩壊し、日本やアジアでも、ゆっくりではあるものの、社会システムにランドスライド(地滑り)が起きていた。そんな中、人々は新たな物語=新たなメタファー・システムを必要としており、現実社会のシステムとメタファー・システムを連結させ、相互にアジャストさせることで人々は不確かな現実を受容し、正気を保つことができた、村上氏の小説はそうしたアジャストメントの歯車としてグローバルにうまく機能したのではないか、というのが村上氏の見立てです。なるほどと思う面もある見方ではあります。

 

 

以上のように、本書は小説家村上春樹氏がこれまであまり語ってこなかった内面を率直に吐露している点で、大変興味深いエッセイ集でした。

本書を読むと、誰しもが村上氏のような小説を書けるわけでもなく、ましてや小説を書くことを継続することなどとてつもなく至難の業だということを思い知らされることになります。

もろもろの意味で大変興味深い本でした。