映画、書評、ジャズなど

中山康樹「ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?」

ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?

ウィントン・マルサリスは本当にジャズを殺したのか?

 数々のジャズ評論を遺されて先日お亡くなりになられた著者が、渾身の力を込めてウィントン・マルサリスについて書かれた本です。ウィントン・マルサリスについては、村上春樹氏が書いたエッセイ「誰がジャズを殺したか」が有名です。この中で村上氏はこれでもかというほど、ウィントン・マルサリスについてこき下ろしています。ジャズファンの中には、ウィントン・マルサリスこそが、ジャズをつまらなくさせたA級戦犯であるかのように言う人が多くいることも事実です。本書は、こうした数々のマルサリス批判に対する反論と言えます。以下、本書に即して、ウィントン・マルサリスについてなぞってみたいと思います。

 ウィントン・マルサリスは1961年10月18日にニューオリンズで生まれます。父親のエリスもジャズ・ピアニストですから、幼少の頃からさぞかしジャズにどっぷり浸かった日々を送ってきたかと思ってしまいますが、ジャズとの出会いは意外と遅かったというのが著者の見立てです。10代はアース・ウィンド&ファイアを聴いて育ち、ジャズとの出会いはアニメ『スヌーピー』だったというのは意外です。この時代の多くのジャズ・ミュージシャンたちは『スヌーピー』が初めてのジャズとの出会いだと言っているようで、それだけウィントンの生まれた世代というのは、ジャズと出会う機会が少なかった時代ということが言えます。

 そして、ウィントンは当初、ジャズではなくクラシックの道を目指し、トランペッターとして頭角を現します。ジュリアード音楽院でも、クラシックを学んでいます。ジュリアード時代のウィントンには大した逸話は残っていないようですが、それだけ練習に没頭していたと言えます。そんなときウィントンは、日系2世のジャズ・ドラマーのアキラ・タナと出会い、共同生活を送ります。そして、アキラ・タナの紹介でアート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズに飛び入り演奏し、やがて正式なメンバーとして参加することになり、存在感を増していきます。

 やがてウィントンは作曲家に目覚めます。デビューアルバムとなる『ウィントン・マルサリスの肖像』では作曲家としての手腕をいかんなく発揮しています。一時はレコード会社からマイルス・デイヴィスの再現として期待された時期もありますが、ウェイン・ショーターとの演奏は冷ややかな感触のまま終わり、ウィントンは旧来のジャズとは別の道を歩んでいくことになります。

 スタンダード・タイム・シリーズなどは大変好評を博しますが、ウィントンの才能はリンカーン・センター・ジャズ・オーケストラ(LCJO)で最大限に開花することになります。LCJOの音楽監督に指名されると、ウィントンは3カ所のライブ会場を駆使しつつ、作曲家として、オーケストラの指揮者として、あるときは一トランペッターとして、活躍の幅を広げることになります。その姿はあたかもデューク・エリントンの再現といったところでしょう。

 他方、ウィントンのLCJOでの活動に対する反発も生まれます。黒人優先、私物化などなど。しかし、ウィントンの才能はLCJOを通じて発揮され、それはピュリッツアー賞に輝いた『ブラッド・オン・フィールズ』で頂点に達します。

 著者は、ウィントンのジャズに対する姿勢について、「旧態依然としたジャズ観」と闘ってきたと捉えています。そして、ソロを重視してアンサンブルがないがしろにされ、個人技を競うあまり音楽性がないがしろにされてきた旧来のジャズの在り方に異議を唱え、グループとしての表現を重視していったのがウィントンの音楽だったと捉えます。


 そして、本題のウィントンは本当にジャズを殺したのかという問題提起に戻ると、少なくとも日本では、ウィントンの初期のアルバムは多くのジャズ・ファンに受け入れられたものの、その後のアルバムは聴かれなくなっていきます。著者によれば、ウィントンは米国では受け入れられた一方、日本では無視されるようになってしまったと捉えています。なぜ日本でウィントンは聴かれなくなってしまったのか。その原因を著者は「ジャズ喫茶的ジャズ観」と表現しています。

「ジャズのバトンがウィントンに引き渡された瞬間、ジャズという音楽は何かを手中にし、何かを失った。それらはウィントン個人に帰す問題ではない。その「失った」もののなかに、おそらく日本人のジャズの聴き方に関する何か重要なもの、あるいは日本人的ジャズ受容における許容問題、もしくはジャズ喫茶的ジャズ観があったのではないか。もっとはっきり言えば、日本人がジャズを聴く上での「限界」が、ウィントンとその後の世代のミュージシャンによって、「ほら、ここまでだよ」と言わんばかりに明確に指摘された。」

 この指摘は、どこか分かるような気がする一方で、必ずしもしっくりと来るわけではありません。

 本書で取り上げられた問題は、今のジャズの衰退を分析する上で必ずくぐり抜けなければならないテーマでしょう。ウィントンの目指した音楽的な方向性が日本人のジャズ観に沿わなかったという本書の分析は、一定程度、納得がいくものではあります。

 他方、ジャズの衰退という問題は、日本だけの問題ではないはずです。本場アメリカではむしろ日本以上にジャズが衰退しているという現実があるわけです。おそらく、米国においても、ウィントンがジャズをダメにしたという批判はあるはずでしょう。しかしながら、本書では、ウィントン・マルサリスは米国では成功したものの日本では受け入れられなかった、という現状認識に立って論じられているので、米国におけるジャズ衰退の問題については、何ら論じられないままに素通りされてしまうことになります。
 ウィントン・マルサリスの受容のされ方の分析を通じてジャズの衰退の原因を突き止めていこうというのであれば、米国のジャズ史におけるウィントン・マルサリスの位置づけ、米国におけるウィントン・マルサリス批判についてもう少し正面から分析する必要があったのではないかと思います。 

 とはいうものの、本書はウィントン・マルサリスの経歴や生い立ちを丹念に追っており、貴重な資料の蓄積だと思います。今の日本のジャズファンのジャズ受容の在り方に対して大いに警鐘を鳴らそうという著者の執念は存分に伝わってくる力作であることは間違いありません。