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映画、書評、ジャズなど

「セッション」★★★☆

映画 ジャズ

 ジャズ・ドラマーを主人公にした映画です。公開されて比較的間もない映画ですが、上映館が少ないこともあり、連日大盛況のようで、しかも、ネット上の評判も大変高いようでしたので、早速鑑賞してきました。

 アメリカの名門音楽学校に入学したニーマン(マイルズ・テラー)は、運良く教官のフレッチャー(J・K・シモンズ)の目にとまり、そのスタジオ・バンドのメンバーになることができた。ニーマンは最初、控えのドラマーで、テンポが合っていないとしてフレッチャーにビンタされながらしごかれる日々を送る。あるとき、ニーマンは本命のドラマーから預かった楽譜を無くしてしまい、本命が演奏できなくなってしまった。そのとき、楽譜を暗記していたニーマンは代役を務め、本命のドラマーの座を勝ち取る。
 その後、フレッチャーは第三のドラマーを加入させ、主役のドラマーの座を与えた。フレッチャーは3人に罵詈雑言を浴びせながら、熾烈なまでに競わせる。やっとの思いで、ニーマンは主役の座を取り戻すことができた。
 しかし、フレッチャーの度を超した指導方法に耐えきれず、ニーマンはあるときフレッチャーに暴力を振るい、そのまま退学となる。
 フレッチャーの洗礼を受けたのはニーマンだけではなかった。フレッチャーの指導を受けて自殺した生徒の遺族が、フレッチャーを訴えていたのだ。ニーマンも弁護士からフレッチャーの指導について聞かれたが、ニーマンは多くを語らなかった。
 その後、 ドラマーとは違った道を歩み始めていたニーマンだったが、たまたま通りかかったライブハウスでフレッチャーが演奏しているのを見つけ、足を止めた。久々に再会したフレッチャーは、その行き過ぎた指導を問題視され、学校をクビになっていた。フレッチャーは自分の指導の理由をニーマンに説明する。かつてチャーリー・パーカーはジョー・ジョーンズにシンバルを投げつけられ、その悔しさから猛練習をして一流のミュージシャンへと成長していった。フレッチャーはパーカーのようなミュージシャンを育成したかったが、結局うまくいかなかったのだとニーマンに話す。
 フレッチャーはニーマンを再び自分のバンドのメンバーに誘う。そして、バンドが演奏する音楽会の当日がやってくる。ニーマンが自分のことを学校に告げ口したと思っていたフレッチャーは、当日ニーマンをはめ、ニーマンに誤った曲目を伝えていた。案の定、ニーマンはうろたえ、うまく演奏できなかった。ニーマンはその場を去ろうとしたが、踵を返してステージに戻り、フレッチャーの指示を無視して♪Caravanを演奏し始める。他のメンバーもニーマンに合わせて演奏する。フレッチャーはニーマンの態度に戸惑ったが、やがてニーマンの意図を察し、微笑みかける。。。


 本作品の原題は“Whiplash”です。これは、Hank Levyという、かつてスタン・ケントン楽団のコンポーザーをしていた人が作曲したもののようです。

 さて、冒頭にも書いたとおり、この作品は日本でも高い評価を得ているようですが、他方で、ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔氏と映画評論家の町山智浩氏との間の論争も話題になるなど、何かと注目されている作品です。

 ジャズ・ファンとしては、この作品を通じて、多くの観衆がジャズに興味を持ってくれれば嬉しいと思う一方、この作品が誤ったジャズ像を与えてしまうのではないかと危惧します。

 本作品では、チャーリー・パーカーがかつて味わった屈辱をバネに努力をして成長していったエピソードに言及されていますが、ビバップを独創的に築き上げていったチャーリー・パーカーが、この作品のフレッチャーのようなやり方のスパルタ教育の結果生まれたはずがありません。もちろん、屈辱的な経験がモチベーションになって練習に励んだという部分はあると思いますが、この作品のようなひたすらテンポのズレを矯正するようなやり方で、パーカーの独創性が育つとはとても思えません。ジャズの本質がインプロヴィゼーションであると捉えれば、なおさら、こんな教育がナンセンスであることは明らかです。むしろ、こうした作品は、クラシック音楽をモチーフにすべきだったと思います。

 また、私はこの作品を見て、フレッチャーに一切共感することができませんでした。作品的には、最後のシーンでニーマンとフレッチャーの思いが通じ合ったということになっているのでしょうが、ニーマンが、最後まで自分をはめようとしたフレッチャーと心が通じ合う蓋然性が伝わってきませんでした。自分が指揮をとるステージで自らステージをぶち壊すようなまねをするのは絶対にあり得ないことです。

 ちなみに、海外での論評についてネットで見てみると、酷評したものが目に付きます。

 ニューヨーカー誌のサイトに掲載されたRichard Brody氏の論評では、以下のように書かれています。(同氏はこの映画を2014年のThe Negative Tenに選出しています。)

The mediocre jazz in Damien Chazelle’s new film, “Whiplash,” the story (set in the present day) of a young drummer (Miles Teller) under the brutal tutelage of a conservatory professor (J. K. Simmons), isn’t itself a problem. The problem is with the underlying idea. The movie’s very idea of jazz is a grotesque and ludicrous caricature.
作品中の二流のジャズがそれ自体問題なわけではない。問題はこの作品のジャズについての考え方それ自体が、グロテスクで滑稽な戯画であることだ。

http://www.newyorker.com/culture/richard-brody/whiplash-getting-jazz-right-movies

 ハフィントンポストでも、以下のように書かれています。

The indie movies were the big winners at the 2015 Oscars, but the biggest loser was jazz.
このインディー映画は2015年のオスカーの最大の勝者だったが、最大の敗者はジャズだった。

http://www.huffingtonpost.com/brian-ross/post_9102_b_6736644.html

 私はどちらかと言えば、これらの厳しい評論に共感しました。おそらく、この作品を見た多くのジャズ・ファンが、違和感を感じたのではないでしょうか。