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映画、書評、ジャズなど

グエルチーノ展@国立西洋美術館

 外もようやく暖かく春の陽気となってきましたが、そんな中、もうすぐ花見の季節を迎えるであろう上野公園にある国立西洋美術館に、グエルチーノ展を鑑賞してきました。

http://www.tbs.co.jp/guercino2015/

 グエルチーノが生まれ育ったイタリアのチェントという町には、今でもグエルチーノの作品が保管されているのですが、2012年5月に震災に見舞われ、古い建物に大きな被害が生じ、その修復には時間がかかることになります。グエルチーノの作品が収蔵されているチェント市立美術館もいまだに再開の目途が立っていない状況です。

 このため、グエルチーノの作品は各国を巡回することになり、多くの人びとが目にする機会に恵まれたという事実は、何とも皮肉な経緯です。

 グエルチーノの作品の数々は、とことん宗教画です。しかし、絵の中に登場する人びとは、長い年月が経過した現代においても、生き生きとして浮かび上がってきます。

 ところで、展覧会の解説の中でも頻繁に紹介されていましたが、グエルチーノについては、かつてゲーテがチェントを訪ねた際に、その絵に大変感銘を受けています。

 ゲーテが最も気に入った絵は《聖母のもとに現れる復活したキリスト》です。
http://www.sankei.com/life/photos/150315/lif1503150044-p2.html
《sankei.comより》

 ゲーテは『イタリア紀行』の中で、この絵について、次のように述べています。

イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)

イタリア紀行(上) (岩波文庫 赤405-9)

「復活のキリストが、母のもとにあらわれたところを描いた絵は非常に私の気に入った。聖母はキリストの前に跪きながら、えも言えぬ心情を籠めて彼を見上げ、彼女の左手はキリストの気味の悪い、画面全体をいためるばかりの傷のすぐ下に触れている。キリストは自分の左手を母の頸のまわりにおき、母をよく眺めようとして、体をいくぶんそらせている。これはキリストの姿勢に、あえて不自然とまでいわないにしても、何かしら異様な感じを与える。それにもかかわらず、この像は限りなく気持がよい。母を眺めている哀愁を帯びた眼差しは独自のものであって、あたかも自分や母のうけた苦悩の思いが復活によって直ちに消し去られることなく、高潔な彼のたましいの前に漂っているごとくである。」

 さらにゲーテは、このグエルチーノについて、以下のように大絶賛しています。

「グェルチノは立派な精神と男らしい堅実さをもった画家であるが、粗野な点は毫もない。むしろ彼の作品はやさしい道徳的優美、静かな自由と偉大さとを具えており、それでいてさらに一度それに眼を慣らしておけば、その作を見誤ることのないような独特さを持っている。彼の筆の軽妙さ清純さ円熟さはただ驚嘆のほかはない。」

 宗教画については好き嫌いがあるかもしれませんが、かのゲーテも驚嘆したグエルチーノの作品が日本でこれほど大規模に一同に会する機会は貴重です。