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ベン・マッキンタイアー「キム・フィルビー」

 

キム・フィルビー - かくも親密な裏切り

キム・フィルビー - かくも親密な裏切り

 

キム・フィルビーといえば、史上最も有名な二重スパイといっても過言ではありません。長年のMI6での勤務中、極めて重要な情報をソ連側に流し続けていたことで、西側諸国に大きな衝撃を与えた人物です。

自らが共産主義の信奉者であることを隠し続け、同胞たちを平然と裏切り続け、彼がソ連にもたらした数多くの情報によって、多くの反共産主義者たちが犠牲となったという事実が、本書で触れられています。

 フィルビーによって裏切られた人々の中でも、若い頃から親交が深く、フィルビーを心から敬愛し、フィルビーを助けてきたニコラス・エリオットは、フィルビーの裏切りがはっきりしたときに最も傷つき、憤ります。本書でも、フィルビーとエリオットの友情を軸に描かれており、それによってフィルビーの冷徹な裏の面がより際立っています。

 

イートン校の校長を父親に持つエリオットは、イートン校、ケンブリッジ大学を卒業し外務省に入省し、フィルビーよりも先んじてスパイの道を歩み始めます。兄のような存在だったバジル・フィッシャーが交戦中に命を落とし深く傷ついていた時、エリオットはフィルビーに出会います。

フィルビーは、エリオットとはケンブリッジ大学の同窓でした。学生時代のフィルビーは左傾していきます。ファシズムに対する防御はソビエト共産主義以外になく、資本主義は破綻するのが明白であり、イギリスの支配階層はナチ寄りの態度で毒されている、それがフィルビーの信条でした。

フィルビーはマルクス主義者の教授を通じて紹介された共産主義地下組織の人物とウィーンで会い、その娘のリッツィと恋をして結婚します。そしてウィーンから戻ると、フィルビーはケンブリッジ・スパイ網を構築するドイッチュと会います。(ドイッチュの最期ははっきりとせず、おそらくは粛清されたとのこと)

フィルビーはスペイン内戦でジャーナリストとして反ファシズムの側から記事を送っていました。フィルビーはスパイになることを切望し、知り合いのジャーナリストを通じてMI6に入ることに成功します。

フィルビーはとにかく誰からも好かれる人物だったようで、エリオットはフィルビーとすぐに意気投合することになります。2人の関係について、本書では次のように表現しています。

「エリオットはフィルビーを英雄として崇拝したが、同時に彼を愛してもいた。それは、男が男に抱く、報われることを期待せず、肉体関係も求めない、心に秘めた強い愛慕の念であった。」(p41)

 

エリオットはトルコに赴任しますが(イスタンブールは当時、諜報活動の一大拠点だったそうです。)、そこにフェアメーレンというドイツ人のスパイ組織に属する人物がイギリスの情報部に近づく事件が起き、エリオットがフェアメーレンと面会します。そして、フェアメーレン夫妻はカイロを経由してイギリスに亡命を果たします。

フェアメーレンは、反共主義者のリストを持ち合わせていました。それは、ヒトラーには反対するが共産主義者国を乗っ取られたくないと考えている人々でした。MI6はそのリストをモスクワに渡しませんでしたが、フィルビーはそれをモスクワに渡します。そして、モスクワは、スターリンの軍隊が進撃するのに合わせて、そのリストに搭載された人々を暗殺するための殺人者集団を送り込んだのです。したがって、戦後、連合軍の将校たちがそのリストの人々を探しても、決して見つかることはありませんでした。

つまり、フィルビーの裏切りのせいで、多くの人々が命を落としたというわけです。

フィルビーは、イスタンブールのソヴィエト情報部のヴォルコフが亡命した際にも、裏切りを行います。ヴォルコフがロンドンで対情報セクションを担当しているソヴィエト側スパイを知っているとの情報を聴いて、フィルビーは恐怖を募らせます。フィルビーはモスクワから殺し屋を派遣させ、イスタンブールから連れ去られたヴォルコフ夫妻はモスクワで処刑されます。

さらにフィルビーは、多くの人々の命を奪うことになります。それは、アルバニアの反政府分子をアルバニアに潜入させるヴァリュアブル作戦においてです。アルバニアに送り込まれパラシュート降下したゲリラたちは次々と殺害、逮捕されます。潜入作戦はフィルビーの手によってアルバニア側に漏れており、アルバニア側は待ち伏せをしていたのです。

このヴァリュアブル作戦によって多くの犠牲者を出したことについて、フィルビーは後日、何一つ後悔していないと述べたそうです。

こうしてフィルビーは、MI6の中で気付かれることなく順調に昇進し、ソ連への機密情報の提供を続けてきたわけですが、ここでフィルビーが窮地に陥る事件が起きます。かつてフィルビーがMI6に勧誘したケンブリッジ・スパイ網のマクレインとバージェスの2人がそろってソ連に亡命したのです。まず、マクレインにスパイの嫌疑がかけられ、その情報はフィルビーの耳にも届きます。フィルビーはマクレインがソ連に脱出するのを手助けしますが、その際、バージェスも同行することになります。こうして2人同時にソヴィエトに亡命したことは、特にバージェスと親しかったフィルビーを窮地に陥れることになります。フィルビーも亡命するという選択肢もありましたが、フィルビーははったりを利かせて切り抜ける道を選択します。

その後、フィルビーも捜査対象になります。CIAの対情報活動を担当するハーヴィーは、フィルビーがソ連側のスパイであることを指摘した報告書を作成します。そして、MI6と対立するMI5も、フィルビーへの疑いを強めます。CIA長官はフィルビーの解雇をMI6に求め、結局、フィルビーはMI6を辞職します。

辞職後のフィルビーは孤独な生活を送りますが、フィルビーへの監視は続けられ、ついにマスコミにもフィルビーの名前が取りざたされるようになります。マスコミに詰問されたフィルビーは、その名演によってマスコミの追及を切り抜け、名誉を回復することになります。そして、エリオットの計らいでフィルビーは再びMI6に戻ることになります。

フィルビーはベイルートにフリーランスの特派員の肩書で赴任することになります。そこに再びKGBの関係者がフィルビーに近づいてきます。こうしてフィルビーは再びソ連のスパイとして働くことになりますが、そのやる気は薄れていきます。常軌を逸した行動も見られるようになります。

そんな中、ブレイク事件が起こります。ジョージ・ブレイクというMI6の諜報員が北朝鮮で共産軍に捕まり、3年後に解放されて戻ってきたのですが、実はブレイクは北朝鮮で転向し、北朝鮮のスパイとして働いていたことが分かったのです。その罪でブレイクは、42年の禁固刑を受けることになります。

フィルビーはブレイク事件を目の当たりにして、自らの危険を察知することになります。そこに、ゴリツィンというロシア人少佐がCIAに亡命を希望します。ゴリツィンは、モスクワで「5人組と呼ばれるイギリスで非常に重要なスパイ網」の話を聞いたと説明します。しかも、その5人組は大学で出会った者たちで、何年にもわたってソヴィエト側情報機関に非常に重要な情報を提供していたという。この情報によってフィルビーは追い詰められます。

さらに、フィルビーの旧知の人物で、フィルビーのかつての妻アイリーンを紹介した人物が、かつてフィルビーにスパイにスカウトされたことを思い出し、その情報がMI5に報告されます。この証言がフィルビーの疑惑に追い打ちをかけます。

長年の親友のエリオットも、フィルビーの裏切りを確信することになります。

「以前は、フィルビーのためなら死んでもいいと思っていたが、それが今では、息子に語ったところによると、「喜んで殺してやる」と思うまでになった。フィルビーは、彼を実に見事に騙し、生涯変わらぬはずだった二人の友情をぶち壊しにした。クラブ会員や友愛組織のメンバーが守るべき神聖な規則を一つ残らず破壊し、エリオットが愛してやまないMI6と祖国に計り知れないダメージを与えた。エリオットは、その理由を知る必要があった。」(p353)

怒り狂ったエリオットは、自分の手でフィルビーを自白させるために、ベイルートに向かいます。エリオットは4日間にわたりフィルビーと対決し、フィルビーはイギリスに潜入しているスパイの名を一部明らかにします。

 しかし、エリオットは、フィルビーに見張りをつけないまま、ベイルートを後にします。後年、エリオットは、フィルビーの亡命は予想できなかったと述べているようですが、エリオットの亡命によって、MI6にとってはフィルビーが亡命した方が都合がよかった面があったことも事実でした。

フィルビーはソ連の貨物船で脱出し、後日、モスクワの公式紙に「こんにちは、フィルビーさん」の見出しで、フィルビーがプーシキン広場にいる写真が掲載されます。

その後のフィルビーは、モスクワを好きになれず、KGBでも十分な地位は与えられませんでした。モスクワでもこれまで同様に不倫を重ねます。

残されたフィルビーを擁護し続けてきた人々は不遇な日々を送ります。CIAのアングルトンはかつてフィルビーの教えを受け、CIAの中でフィルビーにお墨付きを与えてきました。それだけに、フィルビーの裏切りに大きなショックを受け、自分とフィルビーとの関係を示す文書をすべて破棄します。かつてフィルビーはCIAとの共同作戦の情報にも接する立場にいたので、フィルビーの裏切りはCIAにとっても大きなダメージとなりました。

エリオットもMI6内での出世は止まります。彼がフィルビーの亡命を見逃したという見方も根強く存在しました。退職後は、エセ科学の一つである筆跡学に興味を持ったり、ダウジングに熱中していたりしたようですが、その後、サッチャー首相の非公式顧問も務めたとのこと。

 

以上が本書の概要です。

世界に名だたる英国のスパイ組織の中に、これだけ長期間にわたり、堅牢なスパイ網が入り込んでいたことに、衝撃を受けました。そして、多くの作戦がフィルビーのせいで失敗と化し、多くの人命が失われているという事実に、ショックを受けました。

本書を読んでいると、フィルビーのスパイ活動に周りが気付くきっかけは多々あったものの、フィルビーの人柄によって誰もフィルビーがスパイであるという疑いを抱かなかったことがよくわかります。それだけ、傑出した魅力を持った人物だったのでしょう。

そして、そこまで優秀なフィルビーがなぜここまで共産主義に固執したのかについては、ソ連が崩壊した今日から見るとおよそ理解不能ですが、フィルビーが共産主義に傾倒した原点が、もともとは反ファシズムの思想にあったことを知れば、少し理解しやすいかもしれません。このため、独ソ不可侵条約が締結された際、フィルビーはイデオロギーの動揺を体験することになります。ファシズムと戦うためにソ連のスパイになったにもかかわらず、共産主義ファシズムが同盟関係になってしまったからです。しかし、そうした葛藤はフィルビーの中で持続することはなく、以後ソ連のスパイとして長い道のりを続けていくわけです。

こうしたフィルビーの行動は、フィルビーの思想だけでは説明できず、フィルビーの人間性自体に原因を求める必要があるように思います。フィルビーは、欺瞞それ自体を楽しむ性向があったということが、大きかったのではないかと思います。フィルビーは私生活の中でもたびたび不倫をしていますが、そこには潜入スパイと共通するスリルがあったと想像できます。

 

ちなみに、本書であとがきを寄せているジョン・ル・カレは、フィルビーとエリオットの関係をモチーフに小説『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』を書いています。

 

また、この小説は『裏切りのサーカス』というタイトルでも映画化されています。

 

 日本ではスパイ活動といってもなかなかピンときませんが、諸外国で繰り広げられているスパイ活動の実態を垣間見ることができる、大変スリリングな本でした。