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サマセット・モーム「女ごころ」

女ごころ (ちくま文庫)

女ごころ (ちくま文庫)

 モームによる中編小説です。ちくま文庫の新訳版を読みました。そのあとがきによれば、かつて1953年に出された対訳本のはしがきには、

「例外なく面白いモームの小説中にあっても、これはまた格別に面白い−途方もなく面白い−小説である」

と書かれていたそうですが、この言葉がけっして誇張でないと言えるほど面白い作品です。

 イギリス人の美人未亡人メアリーは、最近夫を亡くしたばかりの30歳。フィレンツェを一望できる丘の頂の別荘に滞在していたが、そこに、父親の知人でメアリーを幼い頃から知っていた英国高官のエドガーが結婚を申し込んだ。エドガーは54歳で、間もなくベンガル知事に任命されるとのことで、メアリーはエドガーの地位に心が惹かれたが、とりあえず返答は留保し、エドガーがイギリスから戻る2、3日後に返答することとした。

 その後、メアリーは公爵の老婦人の主催するパーティーに出席する。そこで知り合ったのがロウリー・フリントという英国人の30歳を超えた男だった。ロウリーは決してハンサムでなく、これといった特徴のない男だった。しかも、20歳の頃に婚約者のいた娘と駆け落ちし、裁判で離婚させられてしまい、その後も別の女性と結婚して別れたような男であったのだが、どこか性的魅力を持ち合わせていたのだった。

 パーティーでは来るはずだった歌い手が来ておらず、代わりに下手なヴァイオリン弾きが来て演奏していた。メアリーはそのヴァイオリン弾きにチップをはずんでやった。

 ロウリーはメアリーに恋をしてしまったことをメアリーに打ち明けるが、エドガーと正反対のロウリーに対するメアリーの態度はそっけなかった。2人はその場の流れでメアリーの車で一緒に帰ることになったが、そこでもメアリーはロウリーのプロポーズを拒否する。

 ロウリーを車から降ろした後、メアリーは見晴台に立ち寄った。そこにいたのは、先ほどのパーティーでヴァイオリンを演奏していたカールという名の23歳の男だった。カールはナチス・ドイツから逃れてきたオーストリア人の難民だった。メアリーは慈悲の心でカールを自分の山荘に誘い、食事やお酒でもてなす。そして、2人はダンスを踊り、そのまま一夜を過ごすことになる。

 すっかり有頂天になったカールであったが、メアリーから再び会えることはないと告げられると激昂し、メアリーのピストルで自殺する。

 すっかり動転したメアリーは、ロウリーを呼び出した。現場の状況からメアリーが疑われることは間違いなく、ロウリーはメアリーと一緒にカールの死体を車で運び出して、丘に登っていく坂道の途中で捨てることにした。そのとき向こうから酔っぱらいの男たちの車が向かってきたため、2人は恋人を装って抱き合う。

 数日後、エドガーが再びフィレンツェに戻ってきた。メアリーは、ロウリーからの忠告に反し、エドガーにすべての顛末を話した。その上でメアリーはそれでも自分と結婚したいかとエドガーに聞く。エドガーの返答は、ベンガル知事のオファーを断った上でメアリーと結婚したいというものだった。つまり、犯罪者であるメアリーを伴って要職に就くわけにはいかないので、引退してメアリーと一緒になろうということだった。

 メアリーは、このとき、本当はエドガーと結婚したくないことを悟る。メアリーは結婚する意思のないことをエドガーに伝える。

 メアリーはその後ロウリーと再び会い、エドガーのプロポーズを断ったことを話す。メアリーはロウリーと抱き合い、結局ロウリーのプロポーズを受けることを決める。。。


 原題は“Up at the Villa”。映画化された際の邦題は“真夜中の銃声”。どれがよいかは人それぞれかもしれませんが、個人的には、情景が思い浮かべやすい原題が好きですが、メアリーの複雑で一見すると支離滅裂な心境が本作品の主題であるとすれば、邦題の“女ごころ”もしっくりきます。

 ちなみに、ヴェルディのオペラ「リゴレット」の「女ごころの唄」は、本作品の中では、メアリーとロウリーが死体を捨てに行った場所ですれ違った車に乗っていた男の一人が歌っていたという設定で登場しています。

 メアリーの心の振れについてのモームの表現が何と言っても絶妙です。例えば、再びフィレンツェに戻ったエドガーがベンガル知事を固辞してもメアリーとの結婚を選ぶ意志を打ち明ける場面で、以下のような描写があります。

「メアリーは、かすかに楽しんでいることを悟られないように、視線を下げた。不思議なことに、この成り行きがどこか気晴らしになっていると感じたのだ。
 というのも、今やメアリーにははっきりと分かったのだ。状況がどうであれ、彼が恐れているようなことが起こらなかったとしても、また明日にもエドガーがインド総督になったとしても、彼女は彼とは結婚したくないということだった。」

 メアリーが「かすかに楽しんでいる」という描写は、一見すると支離滅裂ですが、メアリーのキャラクターのイメージを基底する上で重要かつ絶妙な描写です。

 そして、最後の場面で、メアリーがロウリーに対して、「あなたを愛していない」と言いながらも、その後、車の中で恋人を装って抱き合ったときそんなに悪い感じじゃなかったと打ち明け、改めてキスして、ロウリーのプロポーズを受け入れる場面。何とも軽妙で心地よい展開です。

 この作品の最大の魅力は、メアリーのキャラクターにあると思います。自分が美人であることを当たり前のように受け止め、地位に惹かれて男との結婚に一度は気持ちが傾くものの、ロウリーのようなダメ男とくっついてしまう。魅力的な女性と言えるかどうかは別として、どこか共感してしまうキャラクターと言えるでしょう。

 また、訳者が尾崎氏が本作品の魅力を次のように述べていますが、全く同感です。

「ドライブ好きのヒロインが、六月という、この地方で最高の季節、トスカーナの田園地帯を一人で走らせる車はイタリアの名車フィアットのクーペ・コンバーティブル。そこまで贅を尽くした舞台で交わされる男と女の粋な会話。実はこの小説の一番の魅力をここにある。」

 男女の会話が大変テンポよく、かつセンスよく訳されていたように思います。

 あっという間に読み終えることできますが、後味の良い素晴らしい作品でした。