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映画、書評、ジャズなど

岡田暁生+フィリップ・ストレンジ「すごいジャズには理由がある」

すごいジャズには理由(ワケ)がある──音楽学者とジャズ・ピアニストの対話

すごいジャズには理由(ワケ)がある──音楽学者とジャズ・ピアニストの対話

 ジャズ本というと、ジャズ・ミュージシャンたちのエピソードが書き連ねられたような類の本が多い中、この本はかなり専門的で本格的な内容です。

 お2人とも相当なレベルの音楽的な知識を持たれているので、正直、きちんと音楽の訓練を積んだことのない私のような素人にとっては、ちんぷんかんぷんの箇所が相当部分を占めるのですが(特にストレンジ氏の解説部分)、それでも、ジャズの偉人たちの凄さと奥の深さを改めて認識させられる本でした。

 本書で取り上げられているミュージシャンは、アート・テイタムチャーリー・パーカーマイルス・デイヴィスオーネット・コールマンジョン・コルトレーン、ビル。エヴァンスの6人です。ジャズの流れを知る上でこの6名が取り上げられることについてはもちろん異論はないのですが、強いて言えば、トップ・バッターがなぜアート・テイタムなのか?という疑問は湧くかもしれません。これはストレンジ氏の提案だそうで、チャーリー・パーカーアート・テイタムの演奏をただで聴きたいがためにアート・テイタムが毎晩出演していたハーレムのバーで皿洗いをしていた、だからアート・テイタムこそがビバップの父であるかもしれない、という見解に基づくようです。

 アート・テイタムの奏法のすごさは、ストレンジ氏の次の発言に現れています。

「・・・アート・テイタムのピアノのモデルはオーケストラです。そして彼の左手はアンサンブルです。というか、彼は両手を四声で考える。右手の小指がメロディ(ソプラノ)、右手の親指がアルト、左手の親指がテナー、左手の小指がベース。そしていちばんだいじな声部が・・・じつはテナーなんです。・・・テナーの声部を雄弁に動かすことで、ハーモニーに色彩の変化が生まれるわけですね。」

 一流のピアニストでも左手は伴奏なのですが、アート・テイタムの場合、左手が伴奏以上の役割を果たしているということです。

 次にチャーリー・パーカー。ストレンジ氏はパーカーの音楽の天才的なところとして次の3点を上げています。

「第一に、ライン(旋律)を美しく彫琢しながら、つねにバランスをとって展開する、プロポーションの感覚。第二に、何十小節も前から何十小節も先まで見通しながらアドリブをやる、桁外れの視野の広さ。そして第三に、限られた音程やリズムの素材から、ありとあらゆるアイデアを引き出してくる、無限の創造/想像力。」

 つまり、「バード」というニックネームが奇しくも表しているように、鳥の目のような視界をもって見通しながら演奏をしていたわけです。

 そしてマイルズ・デイヴィス。ストレンジ氏は、マイルズの凄さを次のように表現しています。

マイルズ・デイヴィスのすごさのひとつは、音楽の材料のエコノミーにあります。つまり彼はしばしば、わずか数個の音程素材から、曲/アドリブ全体を作り上げるのです。」

 ストレンジ氏によれば、末期のビバップではあまりにも音数を増やしすぎてしまったため、音楽の焦点が分かりにくくなったとのこと。マイルズは音楽を思い切ってシンプル化したというわけです。

「マイルズはビバップ的なひんぱんなハーモニーの進行を停止して、ひとつのハーモニーのありとあらゆる可能性をじっくりと汲みつくそうとした。」

 岡田氏はビバップとモードの違いが端的に分かるアルバムとして『マイルストーンズ』を挙げています。この中の♪Milestonesと♪Billy Boyについて見ると、前者がモード、後者がビバップです。このアルバムに参加しているピアニストのレッド・ガーランドは、♪Milestonesではついていけなくなっているように聞こえ、このアルバムの中で唯一マイルスが演奏に参加していない♪Billy Boyで鬱憤をはらすかのようなビバップ・スタイルの熱演をしている、というのが岡田氏の見立てです。これには思わず納得してしまいます。

 次の登場するのはオーネット・コールマンです。ストレンジ氏は、フリーといっても、オーネットはけっしてランダムに勝手をやっていたわけではないと述べます。たしかにフリージャズは調性の枠組みでは説明できないものの、ガイド・トーンと呼ばれる技法が重要な役割を果たしているとのこと。音楽の背景ではラインが一本はっきりと軸として通っているというわけです。

 フリーの意味については、次の表現が端的に表しているように思います。

「「あなたがそれを好きだというなら、わたしは絶対それをやらない」がフリー・ジャズのモットーです。」

 岡田氏が西洋音楽におけるロマン派と印象派と無調の時代を、ジャズのビバップとモードとフリーに対比している点は大変分かりやすく思います。

 コルトレーンもオーネットと違う意味で自由になりたがっていました。それは自由自在に吹けるようになることを通した自由です。
 コルトレーンは♪Have You Met Miss Jones?を激しく練習していたようで、この練習からコルトレーンの傑作が生まれたのだというストレンジ氏の指摘は大変興味深いです。

 そして最後に登場するのはビル・エヴァンスです。興味深かったのは、スコット・ラファロの役割について大きな評価が与えられている点です。初期の作品は「エヴァンス&ラファロのアルバム」であるとすら述べられています。岡田氏も、

「明らかに音楽をぐいぐいひっぱっているのは、エヴァンズではなくてラファロなのだ。」

と述べています。

 もともとベースという楽器は旋律と関係のない楽器だったのが、ラファロはベースがピアノとの掛け合いに参加するような演奏をしたわけです。これは大変画期的なことでした。岡田氏は次のように述べています。

「でも並みのベーシストのウォーキング・ベースとぜんぜん違う。それは、ラファロが弾くのが、つねにメロディであるという点です。いつもいつも、ピアノに対する、もうひとつの旋律になっている。いわゆる対旋律(カウンター・メロディ)です。発想がつねに対位法というか。リズムだけとっても、もうそこには“歌”がある。エヴァンズのピアノを忘れてしまうほど、惚れぼれするほど美しい。やはり発想はつねに対位法だと思いました。」

 晩年のエヴァンスが、あるテンポの中に別のテンポを一瞬挿入するテクニックを駆使しているとの指摘も大変興味深いものです。


 以上が本書の概要ですが、本当はもっと専門的で奥深い記述が多々あるのですが、ある程度音楽的な素養をお持ちの方は是非直接読んでいただきたいと思います。

 著者の一人であるフィリップ・ストレンジという方は、日本を拠点に演奏活動を行っているピアニストでありながら、キース・ジャレットの即興についての論文で博士号を取得されているという大変異色な経歴の持ち主です。ジャズ演奏についての洞察が大変鋭く、素晴らしいものがあります。私ももっと音楽的素養があれば、ストレンジ氏の言わんとしていることを理解できるのに、と思うと大変悔やまれます。

 ジャズというとどうもクラシックの下に位置付けられるものと見られがちですが、こうした専門的な分析を踏まえた理解が広がれば、ジャズの凄さがもっと理解され、ジャズの評価も上がるのではないかと思います。

 日本のジャズ批評には見られない専門的な視点が大変貴重な本でした。