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映画、書評、ジャズなど

ロバート&エドワード・スキデルスキー「じゅうぶん豊かで、貧しい社会−理念なき資本主義の末路」

じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路 (単行本)

じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路 (単行本)

 ケインズ研究者による資本主義への批判的分析の書です。ケインズの有名な小論「孫の世代の経済的可能性」の予言から議論は出発します。ケインズはこの小論の中で、技術の進歩や労働生産性の向上によって、人々が働かなくてもよくなるような世界を見通したわけですが、このケインズの予言がなぜ的中しなかったのか、というのが本書の根底的な問題意識です。確かに所得と生産性はケインズの予想通りに伸びたものの、労働時間はそれに見合った形で減少していないわけです。

 それに対する回答として、著者は以下のように述べています。

「私たちの出した答は、自由市場経済は雇用主に労働時間と労働条件を決める力を与えると同時に、地位を誇示するような競争的な消費をしたがる人々の生来の傾向に拍車をかけたからだ、というものである。ケインズは、資本主義のこの悪弊をよく知ってはいたが、富の創造という本来の任務が終われば、資本主義は消滅すると考えていた。この悪弊が深く根を下ろし、当初めざした理想を見失わせるとは、予見できなかったのである。」(p16)

 著者は、ケインズが「欲望」と「必要」を区別していなかったことを「致命的な誤り」として指摘します。つまり、「必要」は際限があるかもしれないものの、「欲望」は精神的なものであり際限がないのだというのが著者の主張です。

 では、労働時間はなぜケインズの思ったように減少しなかったのか。それは、労働を減らしたいと思うほどに所得が伸びていないことが挙げられます。これは特にサービス業について言えます。そして、消費というものが他人を意識して行うものであり、それが際限ない貪欲につながっているという面もあるわけです。こうした点をケインズは見逃していたというのが著者らの指摘です。

 本書では、資本主義がファウストの取引の上に成り立っていると指摘します。つまり、人間を貧困から救い出してくれるかわりに、貪欲と高利という悪魔を招き入れたという見方です。実際に社会は豊かになったわけですが、その結果、悪魔が容認されることになったというわけです。

 著者は、歴史を振り返ると、かつては「よい暮らし」という観念が存在していたことを指摘します。それを捨てたのは現代人が初めてだというのです。「よい暮らし」というのは「幸福」という個人の感覚的なものではなく、もっと根源的な在り方です。

 ではこの「よい暮らし」とは何か?それを選択するための基準として、著者は7つの価値を選択します。それは、「健康」「安定」「尊敬」「人格または自己の確立」「自然との調和」「友情」「余暇」です。これらは、どれか1つでも欠けていてはダメで、別のもので埋め合わせできるものではないとします。

 中でも著者が本書を通じて特に強調しているのは「余暇」です。興味深いのは、著者が、

「余暇の文化が発達したのは、何と言っても江戸時代の日本である。」

と述べている点です。コジェーヴも日本こそが「歴史の終焉」後に初めて成功した社会だと述べています。

 では、こうした基本的価値を実現するためにはどうすればよいのか?著者が提案するのは、生産性向上の果実の公平な分配と、消費に駆り立てる圧力の軽減です。

 これまで製造業の生産性が大きく向上してきた反面、サービス業の生産性はさほど伸びていませんが、労働者は製造業からサービス業へ大きくシフトしているため、製造業の生産性向上が労働者全体へと還元されず、労働者の労働時間がさほど削減されておらず、かえって所得の不平等が生じているというのが著者の分析です。こうした問題を解決するため、著者は、ベーシック・インカムの導入や、余暇についての教育の浸透を提言します。

 また、消費に駆り立てる圧力を軽減するための手段として、著者は、広告費を経費として認めず課税することなど、ある種の広告規制の必要性を提言します。



 以上が本書の概要ですが、少し前に紹介したダニエル・ピンク氏の「フリーエージェント社会の到来」における見方とのあまりに大きな違いに驚かされます。
http://d.hatena.ne.jp/loisil-space/20140923/p1

 「フリーエージェント社会の到来」では、仕事と余暇の境界線が曖昧化してきており、組織に縛られず主体的に働くスタイルへと変貌しつつある社会が描かれていましたが、本書では、従前の資本家vs労働者という構図に基づき、自ら労働時間や働き方を決められない労働者という姿が前提に分析がなされています。

 おそらく、いずれの見方も真実な面があり、どちらが正しいというものではないと思いますが、いずれかの見方に基づく分析だけでは、やはり十分ではないと思われます。

 現代の資本主義が際限なき欲望に基づいて駆動しているといった本書のような分析は決して目新しいものではありません。それを強烈に促してきた新古典派経済学に代わる新たな議論の軸が必要であることは私も大変同感です。本書では「よい暮らし」という概念を掲げ、7つの価値を示しているわけですが、これが経済学の主張に対抗していけるほどの説得力を持っているとも思えません。

 さらに、具体的な政策提言の部分になると、ベーシック・インカムの導入など、目新しさはさらに薄れてしまいます。

 こうした議論が必要であることは多くの人たちが感じていることですが、それをどういう基軸で議論していけばよいのか、おそらくこれといった解が出ていないような気がします。

 本書は、ファウストを持ち出しながら、かつての文明社会にあったであろう「よい暮らし」の観念を取り戻そうとする大変野心的な試みではあるものの、他方で、こうした議論のやり方の難しさも感じさせるものでした。