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「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」★★★★

 スタンリー・キューブリック監督による1963年の作品です。米ソ冷戦下の滑稽な状況をコミカルに描いています。

 米軍の基地のリッパー将軍が、部下の英軍大佐のマンドレイクに対して「R」作戦が下された。それは、核爆弾を積んだ偵察機ソ連の基地を攻撃させるものだった。

 マンドレイクはリッパー将軍に命令を撤回するように迫るが、リッパー将軍は聞く耳を持たない。大統領も政府の高官たちを集めて対応を検討するが、リッパー将軍の暴走を止める手だてはなかった。大統領はソ連の大使を会議の場に呼び、ソ連の首相と電話で会談して、事情を説明の上、米軍機を撃墜するように要請する。

 しかし、命令を受けたうちの1機だけがどうしても連絡が取れず、撃墜も免れて目的に向かって突き進んでいた。もし核攻撃が行われれば、ソ連によって地球が滅んでしまうような反撃が自動的に行われる仕組みが作動することになる。

 結局、最後の1機による攻撃は実行され、世界は核爆発に包まれたのだった。。。


 人類が自ら作った仕掛けを人類自らが止められず、結果的に人類全体が滅亡するという何ともシニカルな結末が、巧みに描かれています。現場の指揮官が核攻撃を命令できるという自ら決めたルールによって、現場の司令官の狂気的な暴走を大統領ですら止められないという皮肉。核の攻撃を受けたら地球が滅ぶような反撃が自動的になされるという破滅的なシステム等々。核による抑止という安全保障体制が、ひょんなことで破滅的な結果を招きかねないという事実が、この映画を見るとよく理解できます。

 それにしても、ピーター・セラーズが一人三役を、しかもいずれも重要な役割を演じていたというのは驚きです。普通に見ていると絶対に分かりません。しかし、なぜ一人三役を演じなければならなかったのかは、正直よく分かりませんでした。

 そして、なぜこのタイトル(Dr.Strangerlove or. How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)なのかも、正直ピンときませんでした。

 なお、ラストに流れるのは、ヴェラ・リンの♪We'll Meet Again。その気楽なメロディと核爆発の映像のアンバランスさが、この作品のシニカルさをもっとも象徴しています。