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映画、書評、ジャズなど

小澤征爾×村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」

 村上春樹氏が小澤征爾氏に対して行ったインタビューをまとめたものです。主としてクラシック音楽がテーマになっていますが、ところどころジャズにも話が飛んだりするなど、大変興味深い対談になっています。自分はあまりクラシック音楽についての知見はないので、知らない音楽家たちの名前が登場することになるのですが、それでも十分に楽しめる内容になっていますし、何よりクラシックの巨匠である小澤氏と最強の音楽愛好家である村上氏がリラックスして楽しそうに語り合っている光景が目に浮かぶようで(この辺はさすが村上春樹氏の文体の力です)、わくわくした気分になってしまいます。

 まず最初はピアノ協奏曲第三番について。グレン・グールドバーンスタインのレコードを聴きながら、興味深いやりとりが展開されます。グールドの自由さが際立つ演奏です。 それから、ブラームス交響曲第一番。小澤氏のカーネギー・ホールでの演奏を聴きながらのやりとりです。

 話は、若かりし小澤氏がバーンスタインのすぐ間近でその技術を習得されたこと、その間ひたすらスコアを読み込んでいたこと、♪春の祭典の演奏に際してストラヴィンスキーが曲を書き換えてしまったという裏話などなど、話が展開していきます。

 そして、マーラーについてのやりとり。マーラーバーンスタインによってリヴァイヴァルを遂げるわけですが、そこにはユダヤの民族アイデンティティがそこには現れていることなどが話題に上がっています。マーラーの位置付けをジャズ界におけるコルトレーンと対比して村上氏が述べているのは興味深いところです。

 本書からは、小澤氏がジャズの世界にも接点が多少なりともあることが分かります。音楽祭にサッチモやエラ・フィツジェラルドを呼んだことを小澤氏が語っています。
 また、村上氏と小澤氏が一緒に、大西順子さんやシダー・ウォルトンなどのジャズライブに行っているというのも興味深い事実です。

 大西順子さんといえば、本書の巻尾に収録されている「厚木からの長い道のり」というエッセイが大変面白かったです。村上氏のシダー・ウォルトン好みは良く知られていますが、たまたまそのライブを小澤氏と聴きに行った際にそこに大西さんがいらっしゃったそうです。そして大西さんは最近ジャズ・ピアニストを引退することになりますが、それを村上氏は大変残念がっているわけです。大西さんの最後のライブは厚木で開催されました。大変小さな店だったようですが、村上氏はそこに小澤氏を連れて行きます。そして、大西さんがすべての演奏を終えたとき、小澤さんが突然すくっと立ち上がって「おれは反対だ!」と叫んだとのこと。

 しかし、小澤氏の引退撤回要望も甲斐なく、大西さんは手持ちの楽器を売り払って東日本大震災義捐金にし、アルバイトをすでに見つけてしまった。ジャズ・ピアニストを続けていくためには毎日めいっぱい練習しないと演奏水準が維持できないことから、中途半端に現役を続けることはできないということのようです。

 これだけの一流プレイヤーですら、生活を維持していくことが難しいジャズ演奏の仕組みに、やはり問題があるように思います。自分も大西さんが引退を決めて全国をツアーしているときに、ある地方の小さなライブハウスで大西さんの演奏を聴く機会がありましたが、とても引退間近のピアニストとは思えない素晴らしいライブを聴かせてくれました。
http://d.hatena.ne.jp/loisil-space/20121029/p1
 大西さんはその後小澤さんのサイトウ・キネン・オーケストラと♪ラプソディー・イン・ブルーで共演を果たしていますが、自由自在にリズムを変えていく大西さんとの共演に小澤さんが苦労されていたエピソードが書かれています。

 ジャズファンとしては、この最後のエッセイが一番鮮烈な印象を残してくれました。一流ジャズプレイヤーと世界のクラシックの巨匠がコラボするという事実自体、とてもわくわくしてしまいます。

 他方、先ほど触れましたが、ジャズ・プレイヤーの待遇向上についても考えさせられました。クラシックの演奏家たちもおそらく生活に苦労されている方々は数多くいらっしゃるのではないかと思いますが、ジャズの場合、大西さんほどの一流に上り詰めても生活のゆとりが見えてこない点で、やはり深刻ではないかと思います。

 大変楽しめる一作となっています。