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岡本太郎「今日の芸術」

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)

 岡本太郎氏が1954年に著したモダンアート論ですが、今読んでも全く精彩を失っていません。

 まず岡本氏は芸術について次のように述べています。

「芸術は、ちょうど毎日の食べものと同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。」

 近代社会の中で歯車の一つと化してしまった人びとが、失われた人間の全体性を奪回しようという情熱の噴出こそが芸術なのだというわけです。

 岡本氏によれば、芸術は絶対に新しくなければなりません。なぜなら芸術は創造だからです。そして近代芸術はもはや西洋とは東洋といった特定の区域のものではなくなっており、世界的になっていると言います。それは世界共通のものとなっているわけです。モダンだから西洋のまねというわけではないのです。

 岡本氏はパリに渡った際、自分が背負わされている日本の伝統に嫌悪を感じる一方、何のために金髪美人やパリの街を描くのかという問いに悩まされます。生活を通しての必然性のないのに、形式的なあるいは感覚的なデフォルマシヨン(変形)をやって何になるのだろうか、そんな悩みの末に、岡本氏は抽象画にたどり着いたのです。

「抽象画では自分をすこしもいつわったりする必要がありません。このままの自分を、その感動のままに、もっとも直截に、端的におしだすことが大事なのです。」

 近代は世界全体を同質の生活感情の上に立たせます。その共通の感情の上に普遍的に描くことができる手法こそがモダンアートだというわけです。

 また、岡本氏は本書の中で、絵画は万人によって、鑑賞されるばかりでなく、創られなければならないと強調されています。芸術創造と鑑賞は必ずしも別のことではないというわけです。そして、絵は誰でも描けるし、すべての人が描かなければならないと強調しています。

「ほんとうの自分の力だけで創造する、つまり、できあいのものにたよるのではなく、引き出してこなければならないものは、じつは、自分自身の精神そのものなのです。」

 ここまで見てくると、岡本太郎氏の芸術観がよく理解できると思います。その内容は、岡本氏の以下の宣言にもはっきりと現れています。

今日の芸術は、
うまくあってはいけない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。

 既存の価値観の反発を受けながら常に新しいものを創造していくところにこそ、芸術の意義があるということが言えるでしょう。ある作品を創った当時は誰にも理解されなかったとしても、時代が芸術に追いついてくれば、それが次第に理解されるようになるということもあるわけです。常に時代の先々を見据えて創造していくことこそ芸術活動なわけです。

 今日、現代アートに多くの人びとが惹きつけられるのも、そんな芸術の本質を薄々多くの人びとが感じているからかもしれません。本書を読めば、薄々感じているような感覚をはっきりと認識することができます。

 ところで、先日、岡本太郎記念館に行ってきました。
http://www.taro-okamoto.or.jp/
 表参道から少し離れた住宅地の中に佇む記念館ですが、岡本太郎氏のアトリエ兼住居だった家で、数々の作品が並んでいます。館内写真撮影OKということで、庭やカフェも併設されていて、とても素晴らしい空間となっていました。