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安倍政権誕生に当たって

 昨日、第二次安倍政権が発足しました。党幹部や閣僚の顔ぶれは、民主党政権と比べるとさすがに重厚感を感じざるを得ません。また、迅速な官僚起用の仕方を見ると、自民党は野党時代を通じても、官僚とのコネクションをきちんと維持してきたことが窺えます。官僚批判を展開して空疎な政治主導を唱えてきた民主党政権政権運営とは、控えめに見ても大人と子供くらいの差を感じざるを得ません。

民主党政権の問題点

 今回の選挙は、民主党政権に対して“No”を突きつけたものであることは明らかでしょう。自民党政権が国民の圧倒的支持を得たということではありません。民主党政権はあまりにひどすぎたというのが多くの国民の評価なわけです。

 民主党の問題点はいくつかありましたが、まず第一に「党としての存在意義の不明確さ」でしょう。全く異なる意見を持つ集団がなぜ一つの政党としてまとまる理由があったのか?それは選挙互助会的理由しか見出せません。かつての自民党も様々な党派の寄せ集めではあり、内部で様々な異論があった政権ですが、いざ方針が決まれば、党一丸となって推進するという安定感がありました。他方、民主党政権は、内部の対立がそのまま国会の議決の段階まで解消されず、結局、党の存在意義は選挙互助会と見られても仕方がない状況でありました。

 第二の問題点は、「組織運営のまずさ」です。民主党政権が官僚組織を使いこなすことができなかったことは、政権の安定感を大きく損ねる結果となりました。菅総理大臣の原発対応に象徴されますが、本来、緊急事態においてこそ、巨大な組織を活用するリーダーシップが問われるはずであるにもかかわらず、菅総理大臣は、官僚組織を徹底的に疑り、自らの親しい身内の声にしか耳を傾けなくなったことが、原発対応の混乱の一因となりました。会社組織でもそうですが、部下である社員を徹底的に疑う役員がまともな会社運営をできるわけがありません。まともに組織を統括した経験がない人が総理大臣をやることの弊害が菅総理大臣の政権運営に如実に表れたと言えます。

 第三の問題点は「言葉の重みに対する軽視」です。これは民主党を最後まで苦しめた要因ではなかったかと思います。政治の信頼は政治家の言葉に対する信頼性で成り立っていますが、民主党は自らの言葉をあまりにも軽視しすぎました。その典型はもちろん鳩山総理の沖縄問題を巡る発言です。普天間基地辺野古移転については、自民党政権が長年、沖縄県や米国政府と調整を重ねてきた極めて機微な問題です。そうした経緯を熟知しないままに鳩山総理は最低でも県外という無責任でポピュリズム的な発言をしてしまったわけです。鳩山総理が退陣する際に、国民が耳を傾けなくなったという趣旨の発言をしましたが、これはある意味正鵠を得ている発言でしょう。言葉に対する信頼感が失われれば、政治はできないのです。
 マニフェストをあっさりと撤回する節操のなさも、民主党の言葉に対する軽視の象徴でしょう。財源問題をあまりに楽観視し、とにかく政権をとるために国民うけのする政策ばかりを並べたという印象を国民が持ったことは明らかです。消費税増税についても、マニフェストに一言も触れられていないのにそれを実行したことはやはり問題があったと言わざるを得ません。もちろん、今の深刻な財政状況に鑑みれば、いずれ増税に踏み切らなければならないことは明らかだと思います。しかしながら、腑に落ちないのは、あれだけ増税はしなくても財源は大丈夫と主張して政権を取った民主党がそういうことを言うか!?という点なのです。野党から与党になって政府内部に身を置いて真剣に考えてみたら、今まで野党の立場から見た景色とだいぶ違って見えてきた、というのはもちろんある程度理解できます。しかし、マニフェストの売りの部分について見解を覆すのは、やはり政治や政治家への信頼性を大きく損ねる深刻な負の遺産を残してしまうことになるでしょう。
 私は、もともとマニフェストに詳細なことを記載して選挙で訴えるというやり方に無理があるのではないかと思います。子ども手当の額まで詳細に記載することは明らかにやりすぎであって、詳細は政権を取ってから検討する余地を残しておかないと、結局、マニフェストを強引に押し通すか、あるいは撤回するかに追い込まれてしまうことになります。
 そもそも、マニフェストに書いてある全ての項目について有権者の了解が得られたというストーリー自体が大いなるフィクションです。有権者マニフェストの全ての項目についてきちんとチェックするほど暇ではありません。また、マニフェストをじっくり読み込んだ有権者であっても、必ずしもすべての項目に賛成して投票したわけではなく、こっちの項目は賛成だけどもこっちの項目は反対、というバリエーションが存在するはずです。それを某元厚生労働大臣のように、役人にマニフェストをポケットに常備させるというのは明らかに馬鹿げているのです。
 これだけ複雑化した世の中においては、国民すべてがあらゆる政策に関心を持つことは不可能であり、だからこそ、間接民主制の下、信頼に足る政治家を選んで、国政の場で大いに議論してくれることを期待する制度がとられているわけです。にもかかわらず、マニフェストにあらゆる項目を詳細に記載して、それを有権者に選択させようという、直接民主制に近い形態を模索しようとしたため、結局選挙で訴えた政策が実現できず、政治家の言葉に対する信頼性を大いに損ねてしまったのです。
 私は野田政権が現実的な路線をとったことについては高く評価しているのですが、あなた方がそんなことを言える立場か??という疑問が沸々と湧いてくることは抑えがたかったわけです。おそらくまじめな野田総理は、最後までこのジレンマに大いに悩まされたのではないかと思います。そして追い打ちをかけるように、「近いうち」という自らの言葉に係るジレンマにも縛られました。民主党政権は、こうした言葉に係るジレンマを解消するためには、衆議院解散という形でマニフェストを白紙に戻すしかなかったわけです。民主党政権がいくら正しいことを進めようとしても、かつて政権を奪取した原動力となったマニフェストとの関係に対する疑念がどうしても払拭できなかったわけですから、解散→選挙というプロセスを通じることにより、政治家の言葉の重みを取り戻すしかなかったといえます。野田総理が近いうちに解散すると発言して、自爆テロ的な解散に突き進まざるを得なかったのも、結局、民主党の言葉に対する軽視から来る反動のジレンマが根底にはあったように思います。

 以上が、私の思う民主党政権の致命的な問題点です。

安倍政権への不安

 それでは、安定感のある安倍政権に戻って一安心かといえば、必ずしもそうではありません。多くの国民は過去の安倍政権の稚拙な国家運営と無責任な政権放棄を忘れているようです。その反省が活かされるかどうかが今後の大きな課題でしょう。

 お友達内閣という指摘については、今回もある程度は当てはまるように思いますが、どの総理大臣でも自分が信頼できる人物を要職に据えるわけですから、今回あまりこれを言い過ぎるのは気の毒かもしれません。

 経済政策についても、相当重厚な布陣を敷いているのが窺えます。今のデフレや不況、円高が日銀の金融政策のみで解消するとは私は思いませんが、財政規律をしっかりと踏まえた上で、かつ様々な成長戦略とのパッケージで展開していけば、景気が好転していく期待はあると思います。

 一つだけ言えることは、安部総理が憲法問題にどこまで固執するかが、安倍政権がどこまで続くかの試金石となるということです。安部総理がこの問題にこだわりだすと、国民を二分する議論になりますし、また、公明党との関係はぎくしゃくすることになります。安部総理の憲法解釈改正・憲法改正に対する情熱は並々ならぬものがあります。しかし、日本の憲法がなぜ存在しなくてはならないのかについて、もう少し慎重な議論が必要であるように思います。安部総理は憲法を改正しやすくしたいと思っているようですが、憲法の一つの存在意義は、権力者を縛ることにあります。つまり、政権が変わっても国家の根本は変わらず継続していることの一つの根拠が憲法であるといえます。政権が変わるたびに憲法がころころ変わるようでは困るのです。

 とりわけ大きな問題は、安部総理が憲法の解釈を大きく変更しようとしている点です。それは、9条の解釈を変えて集団的自衛権の行使を認めようという考え方です。安部総理は9条自体を改正しなくても、政府の決定で9条の解釈を変えることで、現行憲法下で集団的自衛権を認めることが可能と考えているようです。
 現行の解釈では、9条は個別的自衛権は認めているものの、集団的自衛権は認めていないということになっています。つまり、日本自体が急迫不正の侵害を受けた場合は自衛権の行使ができるものの、同盟国であるアメリカが受けた場合は自衛権の発動ができないという解釈です。この集団的自衛権の行使を禁じていることが、9条のアイデンティティであると言えます。つまり、他国を侵略してはならないことは国際法上明らかであり、9条が国際法に加えて何らかの規範を上乗せしているのは、集団的自衛権の行使の禁止に外ならないからです。
 政府の中には、日本国憲法の9条解釈を極力国際法に合わせたいという根強い考え方があることも事実ですが、これまでの政権は一貫して集団的自衛権の行使を禁じてきています。よく内閣法制局憲法解釈を牛耳ってきているという言い方がなされますが、憲法解釈を最終的に判断してきているのはその時々の内閣総理大臣であり、内閣法制局は新たな解釈問題が出て来た折りに、過去の答弁との整合性等について基づいた論理構成を検討し、内閣総理大臣に対して進言している立場に過ぎません。
 では、9条解釈改憲を行うとどういう問題が生じるのでしょうか?まず第一に、今後政権が変わるたびに9条解釈が変わる可能性があるということです。例えば、ある政権の下では、自衛隊アフガニスタンの最前線で米軍と行動を共にすることが許容されていたのが、政権が変わったら自衛隊が撤退しなくてはならなくなる、という事態が生じかねないのです。集団的自衛権が許容されるか否かで自衛隊の武器装備や体制も大きく変わってきますので、自衛隊の運用に当たっても大きな混乱が予想されます。
 したがって、もし集団的自衛権を認めようとするのであれば、安倍政権は堂々と憲法改正手続きに則って対応すべきでしょう。

 現に、かつての安倍政権はこの憲法解釈変更問題で大きく躓きました。かつて安部総理は官邸にお友達ばかりを集めた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置し、①公海における米艦防護、②弾道ミサイル防衛、③PKO活動等における自衛隊の武器使用、④PKO活動等における他国への後方支援の4つのケースについて、一方的な見解に基づく報告書をまとめました。通常、こうした国の重要な方向性を決める会は、当然反対意見を持つ者も含ませて開催するべきなのですが、この懇談会はほぼ同じ意見を持つ者だけが集められた会でした。仮に今回もこうした稚拙なやり方をするようでは、安倍政権は前回の二の舞を演じることになるでしょう。

 安倍総理が前回の反省を踏まえた政権運営ができるか、今後よくウォッチしていく必要があります。