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原武史「団地の空間政治学」

団地の空間政治学 (NHKブックス No.1195)

団地の空間政治学 (NHKブックス No.1195)

 個人的に幼少の頃をニュータウンで育ったことから、団地やニュータウンの分析というのは並々ならぬ関心がありました。当時はニュータウンといえば、子持ちの若い夫婦が暮らす理想的なコミュニティという感覚がありましたが、今は建物の老朽化が急速に進み、しかも、居住者の年齢も急速に高齢化してしまい、かつての楽しげな雰囲気の面影すらありません。本書の冒頭で触れられていますが、団地居住者へのアンケート結果によれば、70歳以上が34.3%、60歳代が27.6%とこの両者で全体の6割を超えています。おそらく、団地に住む世帯の多くは、定収入のない年金中心の老夫婦か一人暮らしの老人となってしまっているのです。
 戦後の住宅政策はなぜこんな無惨な失敗を犯してしまったのか?というのが私の個人的な関心事です。

 本書では香里団地、多摩平団地、ひばりヶ丘団地、常磐平団地、高根台団地といった初期の団地の分析が中心ですが、団地と政治思想との関係の説明に重きが置かれています。団地というのはプライバシーが確保されたマイホームという側面があります。その結果、男女の生殖活動を誘発し、人口の増大を招いたというのは興味深い指摘でしょう。当時のひばりヶ丘団地では、1年間の出生数が6戸に1人の割合に上っていたそうです。しかしながら、団地は単にプライバシーが確保された空間というのとは対照的な側面も持っていました。それは団地自治会に象徴される「地域自治」です。50年代後半に建設された多くの団地では、安保闘争に触発される形で居住地組織がつくられていきました。この側面の分析が本書の主要なテーマとなっています。

 香里団地は1958年から入居が始まった団地ですが、1960年には香里ヶ丘文化会議なる組織が発足します。そのメンバーの中には、京大の多田道太郎や樋口謹一らのほか、思想の科学研究会の会員や日本共産党の党員もいました。そして「団地で安保反対のデモを」を合言葉に市民会議を作ろうというもくろみがなされたのです。安保闘争が終わると、民主主義に対する関心を持ち続けるなど、この組織は高い政治意識に支えられていました。ロックやルソーにも言及しながら、国家権力からの独立まで唱える声があったというのは驚きです。ボーヴォワールサルトル香里団地を訪れたそうで、その狭苦しさと醜悪さに驚いていたようです。また、アメリカの社会学者のデイヴィッド・リースマンはこの団地を訪れた際、団地内の書店に並ぶ本を見て団地の知的レベルの高さを実感したというのも興味深い点です。やがて文化会議は日本共産党のカラーを持つようになり、共産党シンパの団体である新日本婦人の会の影響が強くなります。文化会議の中心人物たちは団地を去っていき、70年代にはかつての活動力は失われることになります。

 多摩平団地では下水道料金の徴収をきっかけに自治会が生まれました。そして香里団地の文化会議と同様に、60年に多摩平声なき声の会が発足します。この会は多摩平平和の会となって政治的主張を掲げる団体となり、そして日本共産党の重要な基盤となっていきます。ひばりヶ丘団地では不破哲三を中心にひばりヶ丘民主主義を守る会が結成されます。これは明らかに共産党系の団体です。そして自治会ができると、ひばりヶ丘民主主義を守る会から会員が送り込まれます。この団体は西武鉄道の運賃値上げ反対運動を展開し、値上げが見送られたこともありました。ここでは自治会役員がその立場を退かないまま特定の政党活動を行っていたとのことです。

 常磐平団地では常磐平市民の会が結成され、その会員の一人が共産党上田耕一郎でした。ここでの最大の課題は交通問題でした。上田は自治会に無関心な住民が多く、共産党へのアレルギーの強かった常磐平を離れ、多摩地区に引っ越すことになります。高根台団地でも自治会が誕生しますが、その会長に女性である光成秀子が選ばれます。彼女は日本共産党に入党しており、その後船橋市議となります。ここではルポライターの竹中労が自治会長になりましたが、新京成のバスの値上げが検討された際にバスボイコット運動を起こしています。やがて、光成も竹中も高根台団地を去っていきます。

 その後、70年代に入ると、団地の規模は大型化し、巨大な高島平団地が誕生します。ここでは、コミュニティ意識が稀薄化し、脱政治化、私化が進みます。そして1971年に入居が開始される多摩ニュータウンになると、公共交通機関に依存しない団地が誕生します。そこでは故郷から引きはがされた人びとが集まり、これまでの団地にあった「共通の場」も失われてしまっています。団地のイメージは悪化していきますが、団地は行き詰まろうとしますが、バブル時代の地価・住宅価の高騰で再び息を吹き返します。しかし、再び90年代に入ると少子化により衰退が生じます。自治会も存続すら危うくなります。こうした中でも著者は、団地の時代はまだ終わったわけではないと述べています。かつての団地にあった「地域自治」に期待をしているからです。


 以上が本書の概要ですが、70年代以降にニュータウンに居住した身としては、本書の考察の対象となっている団地はもっと前の時代の話ですので、団地に対する印象がだいぶ異なります。本書の考察の対象となっている団地では、自治会その他の団体が共産党と密接な関係となり、政治活動に熱心な様子が窺えますが、私のイメージしている70年代以降のニュータウンの団地では、そこまで強い政治カラーは感じられませんでした。確かに友人の親の中には共産党の活動を熱心にしている人たちもいましたが、多くの住民たちはそうした光景にのめり込んだわけではなく、ある種冷めた目で見ていたような気がします。

 著者は今こそかつての団地の持っていた「地域自治」の要素に期待すべきというトーンのように思われますが、私はその点に関してはども違和感を持ってしまいます。コンクリートで隔絶された空間に住んでいる人々が何らかの形でコミュニティを形成することの必要性はよく分かるのですが、その在るべき姿としては政治色の強い形態ではないと思います。むしろ、もっと緩やかな形で人びとが接触する、すなわち「弱い絆」に基づくような社交空間こそが求められているのだと思います。

 そういう観点から見ると、団地やニュータウンの都市設計には、そうした緩やかな社交空間となるべき場所がほとんど考慮されていないことに気付きます。ニュータウンには人びとが集うストリート空間のようなものも存在しませんが、それこそニュータウンの都市設計が根本的に間違っていた部分ではないかと思います。

 本書は団地の政治的側面からの考察なので、そうした分析は射程外なのかもしれませんし、団地と政治との関係を浮かび上がらせた本書の分析は大変面白かったのですが、団地をもう一度見直そうというのが本書の結論であるとするならば、都市政策の面からの団地の欠陥や失敗を分析すべきではなかったかと思ってしまいます。