- 作者: 佐藤百合
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/12/17
- メディア: 新書
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インドネシアの注目すべきは、経済規模が大きい国が成長を遂げていることから、毎年創出される生産活動と市場の規模が相応に大きいという点です。1968年から96年の年平均経済成長率は7%にものぼります。スハルト政権が崩壊したときに経済成長率はマイナス13%にまで転落しましたが、その後政治体制の安定を取り戻すと、2007年には再び経済成長6%を回復します。インドネシアでは「6%」を超えたか超えないかで、失業率が増えるか減るかの明暗が分かれるとのことです。
インドネシアの経済成長の源泉は「人口ボーナス」だと著者は指摘します。「人口ボーナス」とは、生産年齢人口が総人口に占める割合が上昇していく局面を指しますが、インドネシアの「人口ボーナス」期間の終了は早くて2030年でより遅い可能性もあるとのこと。この点こそ、インドネシアが持続的経済成長のチャンスを眼の前にしていると判断する所以であると著者は指摘します。
中間層も急激に増加しています。2010年には総人口の半数を超えたとみられるようです。また、ジャカルタ周辺を含むジャボデタベク(Jabodetabek)の人口集積は世界屈指の規模で、この地域にインドネシアの人口が密集し、ここに大きな市場が形成されている点に特徴があります。
そして、労働市場を見てみると、賃金水準は中国よりも低いことに加え、ベトナムと比べても、製造業作業員やマネージャー職についてはインドネシアが高いものの、非製造業スタッフはインドネシアの方がむしろ低くなっています。今後さらにその差は縮まっていくのではないかと著者は指摘しています。労働力の質について見ても、インドネシアの製造業作業員の質の高さには定評があるとのことです。
さて、インドネシアでは1998年のスハルト体制の崩壊が大きな転機となっています。スハルト時代は開発という大義名分の下に国民の自由を制限することを正当化した権威主義体制だったと著者は指摘します。こうしたスハルト体制が崩壊して以降、インドネシアの政治体制は揺れてきました。国民の政治参加と自由な選挙も保障され、今では自由度が高い国として評価されています。ちなみに、インドネシアではかつて「国民協議会」が大統領の選出権を含む大きな権力を持っていました。このため、民主的に選出された大統領が国民協議会によって罷免されるという事態も生じてしまったことから、その位置づけが降格されたようです。さらに、大統領公選制が憲法上認められ、地方自治についても、これまでの典型的な中央集権から一転して、県や市に大きな権限が与えられるようになります。
著者はこうした政治状況を見て、
「二〇〇四年、インドネシアは一つの新しい制度的均衡点に到達した。」
と述べています。2004年というのは、大統領直接選挙が平和裡に行われた年です。
直接選挙で選ばれたユドヨノ大統領は、「汚職は犯罪」という新しいパラダイムを持ち込みます。またユドヨノは外交も得意としており、インドネシアはG20の一員にもなっています。そして、特定の大国の影響下に入らないという外交的思考も特筆すべきです。アメリカ主導のTPPへの参加に関心を示さず、途上国間の枠組みの方を追求しようとする姿勢は、インド中国に挟まれ、東西文明の交わる十字路という地理的要素の中で長年培われてきた資質であり、インドネシアらしいソフトパワーを体現していると著者は指摘しています。
本書で著者が述べている中で興味深いのは「フルセット主義Ver2.0」という捉え方です。2011年5月、ユドヨノ大統領は『インドネシア経済開発加速・拡大マスタープラン2011〜2025年』を発表しました。これは6%成長に甘んじるのではなく、年率7〜9%成長を加速させる計画です。その内容は、全国各島をインフラ網で連結し、各地の特性に合わせて選ばれた22の業種を振興するというもので、全ての産業分野と全ての国土空間を視野におさめた壮大な開発構想であり、かつてスハルト体制が推進したフルセット主義の拡張バージョンという意味で著者はこれを「フルセット主義Ver2.0」と呼ぶわけです。
興味深いのは、このプランでは外国援助を最小限にとどめ、民間資本を導入していこうという内容になっているということです。このマスタープランでは、政府10%、国営企業18%、民間51%、官民連携(PPP)21%となっているとのこと。つまり、民間とPPPで全体の72%になるわけです。
わかりにくいのは、インドネシアのリーディング産業は何か?という問いです。これまでのインドネシア経済の成長エンジンを辿ってみると、この辺はさらにわかりにくくなります。70年代から90年代初めまでインドネシアの輸出は7〜8割が原油で、工業製品の割合はわずか5%程度でした。それが、2000年には工業製品の輸出シェアが59%にまで拡大します。こうして一見、インドネシアは新興工業国型の輸出構造に転換したかに見えたわけです、2000年以降、工業製品のシェアは縮小に転じ、2010年には41%にまで下がっています。代わってシェアが伸びているのは、石炭とパーム油です。他の成長国ではあまり見られない不思議な現象です。
インドネシアと中国との間の貿易を見てみると、中国向け輸出に占める工業製品のシェアは、90年に62%だったが2010年には20%にまで下がり、原材料・鉱物性燃料・植物油が78%を占めるに至っています。代わって中国からの輸入に占める工業製品のシェアは90年の62%から2010年には89%にまで拡大しています。ASEANとの関係について見ると、輸出・輸入ともに90年代から2010年までそれほど大きな変化はなく、資源や工業製品とがバランスしている状況です。つまり、中国とは資源と工業製品の非対称貿易、ASEAN域内では対象貿易という二面性をインドネシアは持っているのです。
外国投資について見ると、投資全体の76%が外国投資となっています。特徴的なのは、国内投資と外国投資の間に相互補完的な役割分担ができていることです。つまり、外国投資は通信、鉱業、化学、金属、機械といった重工業に投資を振り向けているのに対し、国内資本は農林業や一次産品をベースにした産業に投資されているということです。インドネシアの企業グループについて見ても、上位に来る企業グループから重工業の割合が減少しています。こうした棲み分けもインドネシアの産業構造を特徴づけています。
こうして見てくると、インドネシアの成長エンジンがどの産業であるのかがよく分からなくなってきます。しかし、それが逆にインドネシアの特徴でもあるわけです。
著者はインドネシアは人口ボーナス期における成長の理論モデルの想定とはかなり異なる成長パターンを見せていると指摘しています。つまり、通常、人口ボーナスの下では、労働投入量が増加し、貯蓄率が増えることにより投資が増加し、労働生産性が高まっていくといったサイクルを辿るのに対し、インドネシアでは初期段階からいきなり資本の増加が成長を牽引してきたというのです。この点もインドネシアの経済の本質を理解するのが難しい原因の一つであるような気がします。
このほか、本書では、経済テクノクラートが政府の要職に就いているということや、財力なきエリートである国軍エリートと権力なきブルジョワジーである華人企業家との関係について触れられています。スハルトは華人に対して経済上の自由を与え、これを利用するという関係にありました。近年になってようやく「プリブミ」と呼ばれる現地人の企業家が誕生したり、華人の中にも表舞台に出てくる者が出て来ているようです。
このように、インドネシア社会を理解することはなかなか容易ではありません。これだけの人口規模が大きな成長を遂げることができているのかは正に奇跡的とも言えます。しかも、従来の理論モデルとは違った形で成長を遂げており、一旦工業化に向かったと思いきや、近年は再び鉱業や農林業のシェアが増加するなど、常識では考えられない経済です。
にもかかわらず、日本とインドネシアの経済関係は近年ますます深まっていく方向にあります。そのためにはインドネシア社会をよく知る必要があるのですが、これは大変難しい問題です。以前味の素がインドネシアでバッシングを受けたことがありましたが、やはりイスラム文化がインドネシア社会でどのような形で横たわっているかを理解する必要があります。この辺りをもう少し切り込んだようなビジネス研究が求められているような気がします。