読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる
映画、書評、ジャズなど

Chim↑Pom「芸術実行犯」

芸術実行犯 (ideaink 〈アイデアインク〉)

芸術実行犯 (ideaink 〈アイデアインク〉)

 先日、金沢の21世紀美術館を訪れた際、『ソンエリュミエール、そして叡智』というタイトルの企画展が開催されており、様々なアーティストたちの作品が展示されていたのですが、その中でとりわけ目を引いた作品に、Chim↑Pomの『Super Rat』がありました。これは映像作品なのですが、渋谷のセンター街でまるまる太って耐毒性を有するクマネズミをこのChim↑Pomのメンバーたちが追い回して捕獲しているだけの映像なのですが、その従来のアートの枠組みを超えた自由なスタイルにどこか惹かれてしまいました。http://chimpom.jp/?p=custom&id=13357620

 そこで今回Chim↑Pomの著書を読んでみたのですが、その内容がとても面白い!

 このChim↑Pomは、エリイというかつて田園調布のお嬢様学校に通っていたという女性を中心に総勢6名で結成されたアーティスト集団です。この集団の名が一躍世に出たのは、渋谷駅に飾られている岡本太郎の作品《明日の神話》の右下に爆発した原子炉と黒い煙の絵を付け足したという「イタズラ」でした。http://chimpom.jp/?p=custom&id=13339952

 当時これをどう評価するかについては見解が分かれていましたが、本書を読むと、彼らの意図が如実に伝わってきます。本書では次のように述べられています。

「「美術館は作品の墓場」とも言われますが、《明日の神話》はパブリックアートにこだわった岡本太郎の遺志に基づいて、紆余曲折の末に渋谷駅に来た「生きた」芸術です。それならば「明日の神話」を現在のものとして見なければならない。」

 確かに、それまで何気なく絵の前を通り過ぎていた人たちが、この騒動を契機に、足を止めて見るようになったという面はあるでしょう。警察が彼らの絵を撤去した後も、通行人たちは空白の壁を見つめたり、想像したりしたとのことですが、そういう意味で人びとが目を向けなかった対象に目を向けさせるというのがアートの1つの力だと思います。

 彼らのパフォーマンスは正に従来のアートを超越しています。例えば《ERIGERO》という作品は、メンバーのエリイが一気コールにのってピンクの液体を飲み、ピンクのゲロを吐くという行為を延々と続ける作品です。これを見たドイツ人の女性キュレーターが憤慨したというのも分からなくはありません。

 また、《アイムボカン》という作品は、セレブといえば地雷除去!というエリイの一言から始まった企画で、カンボジアに行って除去した地雷を爆破させ、エリイの私物であるプリクラ帳や高級バッグ、iPod、エリイの石膏像などを地雷と共に爆破させていくという作品です。そして、爆破された物は競売にかけられ、彼らの取り分の全額がカンボジアに寄付されたというものです。http://chimpom.jp/?p=custom&id=13357622

 《BLACK OF DEATH》は国会議事堂や渋谷109などの上空に都内のカラスを大勢呼び寄せた作品です。http://chimpom.jp/?p=custom&id=13357619

 そして極めつけは《ヒロシマの空をピカッとさせる》という作品です。これは発表当時マスコミでだいぶ批判されたため、ご存じの方も多いのではないかと思いますが、飛行機雲で原爆ドームの上空に「ピカッ」という文字を描いた作品です。
http://chimpom.jp/?p=custom&id=13357616
 どれも従来のアートの概念を徹底的に打ち破るものです。これを単なるイタズラと捉えることはできません。彼らなりの考えの上で実行されているものなのです。

 例えば、《ヒロシマの空をピカッとさせる》を制作する経緯について本書で述べられていますが、彼らが《アイムボカン》で広島市現代美術館公募展の大賞を受賞した際、審査員の一人から「お前ら、原爆ネタだけはやるなよ」と言われたことの違和感が根底にあったとのこと。果たして自分たちは原爆を問題にできないのか?原爆に関係する資格はないのか?そんな風に悩んだ末に、彼らはこの作品に踏み切っているわけです。本書では次のように述べられています。

「僕らが原爆をモチーフに表現しなければいけないのは、被爆の悲劇ではなく、現代に生きる僕らの平和、その「実態」であり、「ピカッ」はその根をえぐった光の表現じゃないか……。「ピカッ」の軽さの内実は、まさに僕らの軽さであり、戦後日本の独特な軽さなのでした。」

 私は彼らの言わんとしていることが分かるような気がします。
 彼らの作品が騒動となっている中で彼らの話に耳を傾けたのは被爆者団体の方々だったというのは不思議と良く理解できるような気がします。彼らは決して不真面目にアート制作と向き合っているわけではないのです。それは、人びとの「無関心」に対する警鐘と捉えるべきでしょう。

 本書では、彼らと似た形態の活動をしている海外のアーティストが紹介されています。

 チェコのツトーフェン(Ztohoven)は、お天気の映像をジャックして背景にキノコ雲を挿入しています。 アメリカのインプロブ・エブリウェア(Improv Everywhere)は、ニューヨークのグランド・セントラル駅で、大勢の人びとが同時に静止するというパフォーマンスや、ニューヨークの地下鉄でズボンやスカートをはかない姿で地下鉄を乗降する作品などで話題を呼んでいます。 ロシアのヴォイナ(Voina)は、ロシア連邦保安庁前の跳ね橋に巨大な男性器を描きました。監視国家のロシアでこういう過激なアートができるのも不思議ですが、この作品にロシア文化賞から現代美術部門イノベーション賞が贈られたというのですから、さらにびっくりです。 フランスのJRは、ポートレイト写真を壁や道に貼るという作品を通じて、女性や貧困層など社会的に弱い立場にある人びとにクローズアップした作品を発表しています。

 中国でもダブル・フライ・アートセンターという集団が建設中の銀行に強盗に押し入り、建設資材を盗んでいくというパフォーマンスを演じているそうです。

 こうした様々な過激なアートの取組は、いずれも「自由」の概念の現れといえるでしょう。この自由というのはアートだけの特権ではなく、そもそも人間自体が自由なのであり、それをアートが体現しているに過ぎないのだ、と本書では述べられています。

 いずれにしても、アートは既存のものを吹き飛ばして、新しいものを創造するエネルギーを持っています。本書で紹介されている数々の取組は、そんなアートの威力を最大限に活用している事例だと言えるでしょう。

 確かに、彼らの行為は従来の常識を逸脱しているという批判は当然あり得ると思いますが、それは、アートの世界であれば、既存の二項対立的な善悪観を超えた部分で訴えることが許されるという面もあるのではないかと思います。既存の秩序なり常識なりの持つ矛盾のようなものを暴き出す上でアートは最も効果的な手法です。このChim↑Pomという集団は、そんなアートの持つ力を良く熟知した上で数々の斬新な制作活動を行っているのではないかというのを凄く感じました。

 Chim↑Pomの今後の動向には要注目です。