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松島大輔「空洞化のウソ」

空洞化のウソ――日本企業の「現地化」戦略 (講談社現代新書)

空洞化のウソ――日本企業の「現地化」戦略 (講談社現代新書)

 長年インドに駐在され、現在はタイ王国政府政策顧問を務めておられる著者によるものです。大変刺激的なタイトルですが、海外展開に熱心に取り組んでいる企業ほど実は国内の雇用が増えているのだというのがここ最近急に高まっている論調であり、この論調を「現地化」というキーワードにより、著者の体験やデータで丁寧に説明しているのが本書です。

 まず著者が強調するのが、日本の空洞化は起こっていないということです。我が国の貿易収支が赤字となる一方で、所得収支は黒字であり、海外で日本企業が稼いだお金は日本に還流されていることが分かります。しかも、国内に還流されたお金は雇用関係支出にも回されており、海外で稼いだお金が国内雇用維持・拡大にも寄与しているというのです。
 また、海外に展開している企業の方が国内に留まる企業よりも生産性が向上しているのだと著者は指摘します。それは、規模の経済効果が働くとともに、国内では生産性の高い分野に経営資源を集中できるという「選択と集中」の効果によるものです。
 さらに著者は、海外進出することで雇用が拡大するという実証データを紹介しています。なぜ雇用が増加するのか?それは、現地化に対応した企画立案部門や新製品開発のエンジニアなど、付加価値の高い分野に雇用を拡大することができるからです。また、それが最終製品の海外生産による現地化であれば、日本国内でしか生産・調達できない部品など中間財の日本からの輸出が促進されることになります。
 著者は次のように断言します。

「・・・「空洞化」論者が恐れてやまない、「現地化」こそが、国内の雇用を拡大させる有効な手段です。さらにいえば、じつはこの「現地化」こそが、日本が今必要としている雇用を調達することに成功するのです。」

 つまり、海外展開により、新興アジアにおけるチャレンジングで生きがいに感じられるような仕事も増え、志の高い若者の働く場が増えていくという効果が期待できるのではないかということです。

 著者はとりわけ新興アジアにおける現地化を勧めます。それは、日本企業が得意とする「すり合わせ型」ものづくりに適合的な環境を提供してくれるからです。この地域の経済統合は、先行して進められてきた日本企業のFDIによって広がっていた生産ネットワークを基盤にしてボトムアップの経済統合として形成されてきました。その結果、新興アジア地域ではリンケージの強い産業集積が形成されています。いわば共栄・互恵の関係が成り立っているのです。
 そして、このネットワークの中で、日本企業は、日本と他国との間で結ばれたFTAやEPAよりも、新興アジアの第三国間において締結されたFTAやEPAのネットワークを縦横無尽に活用していると著者は指摘します。これは興味深い指摘です。例えば、インドとタイの間のFTAを利用しつつ、在タイ日本企業がインドへの輸出を積極的に進めているといった案配です。
 著者は新興アジアの中でも特にASEANを東西に貫くインドシナ半島からインドにかけての地域において「すり合わせの帝国」を形成していると述べます。これに対して南北に貫かれているのが中国の「モジュラー」軸です。ASEANでは既にタイを中心に日本製製造企業の進出によって日本型のすり合わせ型ものづくりが定着しつつあり、それは日本企業FDIが進出してきた成果だと著者は指摘します。

 現地化のためにはビジネスパートナー探しが重要だと著者は述べています。例えば現地の有力な財閥と組むことによってビジネスチャンスが広がることが期待できます。有力な金融機関の出資を仰ぐことができれば、その顧客を通じた事業拡大が期待できます。新興アジアでは潜在的パートナー候補がいなくなりつつあり、インドでは日本企業の提携先がなくなるといった話も出ているのだそうです。

 今後の日本の目指す方向性として、著者は「ものづくり志向型金融国家」という言葉を使っています。その意味するところについて、著者は以下のように述べます。

「日本の、すり合わせ型ものづくり、高度な技術、ノウハウを生かしつつ、「新興アジア」への投資を前提に、これら強みを発揮できるゲームを構想するのです。日本の強みを生かすためにこそ、逆説的に、日本に居残っていてはいけません。「新興アジア」に飛翔すべきなのです。それが足元の大きな変化をしのいで、将来におけるものづくり大国日本の再生のためにこそ重要なのです。」

 それは金貸しとして儲けるのではなく、金融の論理を日本のものづくりの体質改善やグローバル化を進めるための道具として活用していくべきということです。

 著者の提唱する「日本入ってる」モデルも興味深いものです。著者はこのモデルを餡子と饅頭の薄皮の関係に喩えます。餡子は日本企業の競争力の源泉ですが、単に餡子を使って大福を作れば売れるというわけではなく、新興アジアで受け容れられるよう、餡子を使って大福以外のものを開発していくことにより、日本企業の技術やノウハウといった強みを維持することが可能になるというわけです。


 以上が本書の概要です。

 近年、日本企業の海外展開を支援していこうという政策が急に中心に躍り出てきた感があります。その背景にあるのは、本書のように、海外展開=国内空洞化ではない、という論調です。その裏付けとなっているのが、海外展開を進めている企業ほど国内の雇用を増やしているというデータです。

 私もこうした論調には最初は半信半疑でしたが、確かに一定の説得力があるのではないかと考えるようになっています。これから拡大していくアジアのマーケットを視野に入れれば、国内で生産した物を輸出するだけでなく、現地で現地のマーケットに見合った商品を生産し、それを現地マーケットに販売していくということをどんどん進め、そこで得られた収益を国内に還流して、日本でしか作れない物の開発に投資していくのが今後の日本産業の生き残る道であると感じます。

 また、著者の言うような「ものづくり志向型金融国家」という在り方にも共感します。円高というデメリットをチャンスに変えていく方策が、海外への積極的な投資であると言えます。また、単に金融国家を目指すのでは日本の強みを生かすことにはなりません。新興アジアに日本企業の強みを生かしたものづくり体制を構築していくために資本投下を進めていくことが、日本なりの金融国家の在り方と言えるでしょう。

 こうした方向性を追求していったとき、果たして日本国内にいかなる仕事が残るのか?という疑問も完全に払拭されたわけではありませんが、そこは著者の言うように、例えば、海外展開を進める上で必要となる企画立案部門を始めとするホワイトカラー的な仕事ということになるのでしょう。そうなると日本と海外を行ったり来たりする人材がますます求められることになるでしょう。

 今、産業政策は大きな転換点に立っているように思います。その中で本書は今後の日本企業の在り方や日本の産業の目指すべき方向性を考える上での大変貴重な視座を提供してくれます。