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ニーアル・ファーガソン「文明」

文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因

文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因

 ハーヴァード大学で歴史学を教える著者が、西洋文明について壮大に論じた本です。

 イギリスのペーパーバック版では“The Six Killer Apps of Western Power”というサブタイトルが付いていることからも分かるように、著者はヨーロッパがその他の地域に対する優位性を確立して覇権を獲得した要因として「競争」「科学」「所有権」「医学」「消費社会」「労働倫理」の6要素を挙げ、これらを“キラーアプリケーション”と呼んでいます。これらの要素が西洋にはあり、その他の地域にはなかったことが、西洋文明の優位が形成された要因だというのが著者の主張です。これらの要素の中には、よく言われるような「資本主義」や「自由」「民主主義」といった要素は入っていませんが、そこにファーガソンの独特の鋭い視点が感じられます。

 これらの6つの要素について、以下簡単に著者の主張を敷衍してみたいと思います。

「競争」

「ヨーロッパでは、政治面でも経済面でも分権的な状況になっていた。そのおかげで、国民国家にとっても資本主義にとっても、なんらの制約も受けずに高みを目指して発展することができた。」

 15世紀の中国の都市はヨーロッパに比べてはるかに活気がありました。時計や紙、活字などはすでに中国で発明されており、鄭和は大規模な船団を率いて積極的な海外進出を行っていました。ところが、その後中国は海外進出の野望を失ってしまいます。他方、ヨーロッパ諸国の間では香料の獲得合戦が始まり、他の地域に対する蛮勇を振るうようになります。
 ヨーロッパは地形上の特性から、国家間の競争がすさまじかったわけです。他方、中国はあまりそうした競争が起こらず、海外進出への意欲も減退していってしまったのです。
 著者は以下のように述べています。

「さまざまな要素があるにしても、国家間、あるいは国家の内部や都市のなかでさえ、社会の多様なレベルで激しい競争があったことが、ヨーロッパで機械時計などの技術改良がすみやかに進み、広がっていった要因の一つだと言えるだろう。」

 つまり、著者によれば、ヨーロッパにおける熾烈な競争のおかげで、ヨーロッパは15世紀以降、中国を圧倒する文明を築き上げた一方で、中国では専制政治が停滞をもたらしたのだというわけです。

「科学」

「自然界を研究し、理解し、究極的には変革を加えていくやり方が、ひいてはヨーロッパが軍事面でもその他の地域に対して優位に立つことを可能にした。」

 かつてイスラム国家はヨーロッパに比べて優位に立っていましたが、オスマン帝国の2回にわたるウィーン攻略の失敗を境に、オスマン帝国の凋落が始まっていき、西洋とムスリム世界の間の懸隔が広がっていきます。そして、西洋が軍事的に優位に立つようになったわけですが、それは科学を兵器に応用したためだと著者は指摘します。ムスリムの世界では宗教が絶対的な統治権を持っていたため、ヨーロッパが飛躍的な科学的進歩を遂げている間、オスマン帝国では科学的進歩はなきに等しかったのです。
 著者は、西洋とムスリム世界の懸隔が広がっていく展開を説明する上で、フリードリヒ二世オスマン三世という2人の人物の比較を行っています。57歳でスルタンになったオスマン三世は、それ以前の51年間はハーレムの囚人として幽閉されており、帝国の状況について何一つ知らされないままにスルタンの座に就いたわけです。それは、しっかりした政治理念を持ち、自ら作曲活動を行ったりするなど文化的素養も備えていたフリードリヒ二世と比較すれば、その差は歴然です。こうしたリーダーの差によっても、科学的進歩の大きな差がもたらされたと言えます。

所有権

「法の支配によって個人が財産を所有する権利を守り、相互に起こる紛争を平和裏に解決する。それによって、国民を代表する政府が安定的に機能する基礎が築かれる。」

 著者はアメリカ大陸の征服と植民地化の意義について、歴史上最大の自然実験だったと言います。つまり、北米と南米に対してそれぞれ違う西洋文化を輸出し、どちらがうまくいくか試してみようというテストだったというわけです。結果的に見れば、北米の方が成功したわけですが、それは、法の支配や代議制の立憲政治によって尊厳や所有権が保証されていたことが大きかったわけです。
 北米では植民者たちは法の支配によって自ら土地を所有する権利が与えられたのに対し、南米では征服者たちは金銀をぶんどって持って帰りはしたものの、土地はすべてスペイン国王の所有でした。北米では移り住んだ最下層の人たちでさえも土地を所有し、選挙民になるすることができたのです。他方、南米ではあくまで先住民を搾取する権利が特権階級に与えられたのみであり、北米のような上向きの社会移動も起こりませんでした。

「アメリカの革命では、土地がきわめて重要な役割を果たしたところに意味がある。」(p205)

と著者がいうように、アメリカの革命は、本国がアパラチア山脈以西の入植地をこれ以上拡げることを制限しようとしたことに端を発しています。ジョージ・ワシントン独立戦争で要領よく儲けた者の一人だったという指摘は興味深いものがあります。著者は北米のワシントンと南米のシモン・ボリーバルを比較し、シモン・ボリーバルはなぜ南米のワシントンになれなかったのはなぜか?と問います。その深い要因として著者は次の三点を挙げます。
 第一に、北米の植民地議会では当初から当たり前だった民主的な意思決定の経験を、南米は事実上まったく持ち合わせていなかった。
 第二に、所有地の分配そのものが不平等だった。
 第三に、人種の多様性と人種間の分裂の度合いが、南米ではかなり高かった。

 本書ではボリーバルが死ぬ直前に書いた手紙が引用されていますが、革命に対する挫折が悲壮感たっぷりにかつ的確に綴られているのが印象的です。

 こうした北米と南米の違いは、憲法にもっともよく反映されています。すなわち、アメリカ憲法は改正はできるものの不可侵であるのに対して、例えばベネズエラではこれまで頻繁に憲法が制定されてきており、簡単に捨てられるものとなっています。法に裏付けられた所有権の有無が北米と南米で大きく異なることを象徴する事実でしょう。

医学

「健康面における著しい改善に貢献し、平均寿命を延ばした。ヨーロッパで始まったが、植民地にも広まった。」

 著者は、ヨーロッパがもたらした最もすぐれたキラーアプリケーションは近代医学だと述べています。著者はまた次のようにも述べています。

「ヨーロッパ帝国は、いわば一九世紀版の国境なき医師団だった。」(p284)

 事実、フランスは、文明化の使命という名目で植民地の医療改善に向けた取組を行いました。しかし、ドイツは植民地を人種生物テストの実験場とします。ドイツ人にとってアフリカの植民地化は人種論を試す膨大な実験場だったと著者は指摘します。そして、やがて西洋諸国は、世界大戦の中で傷ついた自国兵士に対して、医療というキラーアプリケーションを用いるようになります。
 著者の次の指摘は説得力があります。

「・・世界大戦は、文明化の使命という名の傲慢さを経たのちに起きた、恐ろしい天罰だった。すべてのヨーロッパ帝国が、アフリカに対して作り上げた方法(その冷酷さには程度の差はあったが)をしっぺ返しされたからだ。医学は、当初は病気に対する万能の救い主かとも思われたが、結果的には人種差別と優生学というエセ科学に悪用され、医師を殺人者にした。」(p318-319)

消費社会

「生活の物質面を充実させるため、衣類など消費物資の生産と消費が経済面で中心的な役割を果たすようになった。このような状況がなければ、産業革命が持続できなかった。」

 著者は次のように指摘します。

「・・安価な衣類を止めどなく求めるという特性を持つダイナミックな消費社会が同時に発展しなければ、産業革命はイギリス本国で起こらなかっただろうし、西洋諸国に広がることもなかったに違いない。現代の批評家たちが一般的には見通しがちな工業化の魔力は、労働者は同時に消費者でもある点だ。」(p323)

 この著者の指摘はかなり重要です。経済理論ではえてして労働者と消費者を分けて考えますが、実は両者は一体なわけです。

 また、個人に対して無限の選択肢を提供するためにデザインされたはずの経済システムが、人間性を均質化してしまったことが、近代史における最大のパラドックスの一つだとする著者の指摘にもうなずかされます。

 さて、著者は、消費社会の伝播に当たって、衣服を重要視しています。とくに日本では発展するためには西洋の衣服が必須条件だと理解していたと著者は指摘します。そのために日本では、高い生産性によって自ら衣服を生産することになります。

 また、著者は、ソ連はなぜジーンズを生産できなかったのか?について問います。映画とマーケティングのおかげでジーンズは世界のファッション界を制覇したわけですが、ソ連では「ジーンズ罪」という言葉が作られるほど敵視されました。なぜなら、消費社会のシンボルであるジーンズはソ連のシステム自体に対して致命的な脅威になると危惧されたためです。それがソ連崩壊の原因となったというのが著者の指摘です。

ソ連とその衛星国を崩壊させた根元は、消費社会だった。」(p404-405)

労働倫理

「道徳的な枠組みで、社会活動の規範となるもので、その基盤は主としてキリスト教プロテスタントの思想に基づいている。右の5項目によってできたダイナミックで安定さを欠く社会を結び付けるうえで、接着剤のような役割を果たした。」

 ウェーバーは、1904年に開催された万国博覧会をアメリカのセントルイスで見て、そのダイナミズムをどう解釈すべきか思い悩みます。そして、ウェーバーは、アメリカの物質的な成功とその活発な宗教的な営みとのある種の神聖同盟を認識し始めます。
 有史以来人間は生きるために働いてきたのが、プロテスタントは働くために生きるとウェーバーは捉えます。
ウェーバーの言うことにいろいろ難があってもそれが納得できるのは、実際にプロテスタントカトリックよりも経済成長を促してきているからです。著者は次のように述べます。

産業革命は技術革新と消費性向が作り出したものだ。だがそれ(=プロテスタント:loisir-space注)は、貯蓄と投資によって資本を蓄積し、労働に没頭させ、労働時間の延長を要求した。」

 ところが、今日のヨーロッパ世界を見てみると、信仰心が稀薄化しています。ヨーロッパ人は信仰の稀薄化に伴い労働時間が減少している一方、アメリカでは信仰心が厚く、労働時間もヨーロッパに比べると高い水準です。つまり、西洋文明が神不在のヨーロッパと神を畏れるアメリカとに二分されている状況です。

 著者は、ヨーロッパでプロテスタントの労働倫理を殺した犯人はフロイトに外ならなかったのではないかと述べます。フロイトは文明と人間の最も根源的な衝動との間に基本的な対立があると主張しました。その対立を調和してきたのが宗教だったわけですが、1960年代以降、ヨーロッパでは自己の快楽を追求するようになり、神学を拒絶してポルノを好むようになります。

 ではなぜアメリカではキリスト教が続いているのか?そのヒントはルート66にあると著者は述べます。そこでは教会間の熾烈な競争が繰り広げられています。ヨーロッパでは教会が国有化されてきたのに対し、アメリカでは国と宗教との間に一線が引かれ、プロテスタントの宗派間でオープンな競争が許容されてきた。そして、こうした競争がアメリカの宗教を活かし続けてきたのだというのが著者の主張です。

 ところで、本書では、今中国でキリスト教徒が増えているという興味深い事実が指摘されています。かつては太平天国の乱を主導した洪秀全や、蒋介石孫文キリスト教徒として知られていましたが、文化大革命キリスト教は押さえ込まれます。そして今、再びキリスト教が盛り返してきたのです。人口800万人を抱える浙江省恩州市では、14%がキリスト教徒だそうです。恩州の人びとはよく働き、所得の大部分を貯蓄に回すのだそうです。
 ある企業の社長は、中国でキリスト教がもてはやされているのは、共産主義から資本主義へ変化している社会についていこうと苦闘している人たちに対して、キリスト教は倫理的な枠組みを提供してくれるからだ、と述べているそうです。天安門事件では神学校の学生が重要な役割を果たしたことなどから、中国政府はキリスト教に危機感を持っている反面、共産党の指導者たちの一部は、キリスト教を西洋の偉大な力の源の一つとして認識しているようです。

結論

 ニーアル・ファーガソンは、以上のように、西洋文明が他の地域に対して優位に立てた要因について分析しています。著者はこの本で伝えたかったことについて、次のように述べています。

「私がこの本でお伝えしたかったことは、文明とはきわめて複雑で、数多くの構成要素が不規則に絡み合ったもの、エジプトのピラミッドよりもナミビアのアリ塚に近いことだ。コンピューター・サイエンティストのクリストファー・ラングトンの表現を借りれば「カオスの端っこ」で、つまり秩序と無秩序の間でなんとか運用されている。このようなシステムでは、短期間であれば均衡を保ってうまく機能できるかもしれない。ただし、つねに微調整をしながらだ。だが、ときに「臨界に達する」瞬間がある。そうなると、ごく軽く触れただけで穏やかな均衡状態から危機状態にまで「相転移」しかねない。砂の一粒を取り除いただけで穏やかな均衡状態から崩壊するかもしれない。」(p475-476)

 ファーガソンは、文明を、自然界の複雑システムと共通するものとして捉えています。そうしたシステムはわずかな刺激が与えられただけで、大きく予測できない変化が起こることがあります。現にこれまでの文明は割に短期間に崩壊してしまっています。

 ファーガソンは、

「ある意味では、アジアの世紀はすでにやってきている。」(p487)

として、すでにアジアの世紀に入っているのではないかとの認識を示しています。そのアジアの中心として捉えられているのは中国です。中国がつまづく落とし穴となりかねない要因はいくつか挙げられるものの、訳者あとがきでも指摘されているように、ファーガソンは本質的には中国が台頭してくると考えているようです。

 ファーガソンはもちろん西洋文明を否定しようとしているわけではなく、この500年間における西洋文明の貢献を大いに認めているのですが、ファーガソンが主張したいことは、そうした西洋文明も過去の文明と同様、この先ずっと永続するわけではないという歴史観です。あるとき瞬時にして文明が崩壊する可能性だってあるわけです。
 著者は、

「私たちが生きている現在は、五〇〇年に及ぶ西洋優位の時代が終わろうとしている過渡期だ。経済面でも地政学的にも、東洋の挑戦が現実的案ものになってきている。」(p508)

とはっきり述べています。

 過去の膨大な歴史事実を踏まえた著者の主張には大変説得力があります。西洋文明がこの500年間について見れば有効に機能してきたことは我々も認めざるを得ないでしょう。しかし、これからはそうしたシステムが有効に機能していく保証はありませんし、ヨーロッパの債務危機の状況を見ていると、いつ西洋文明が崩壊したっておかしくない状況が見受けられます。

 本書を西洋文明崩壊の預言の書と捉えることには少々躊躇してしまいますが、本書を読んで、我々は、文明は必ず衰退するということを肝に銘じながら、次の時代の青写真を描いていかなければならないことを痛切に感じました。