- 出版社/メーカー: 有限会社フォワード
- 発売日: 2007/02/20
- メディア: DVD
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「頭脳と手をつなぐものは心でなくてはならない」
が作品全体を貫くモチーフであることからも分かるように、資本家(=頭脳)と労働者(=手)の対立関係を心が止揚するという流れになっています。
舞台は2026年の大都市。地上では支配階級による地上の楽園が形成される一方、地下では労働者たちが過酷な労働に喘ぐ世界が広がっていた。支配階級のフレーダーセンの息子フレーダーは、美しいマリアを追って地下の過酷な世界を垣間見ることになる。マリアは労働者たちの信頼を一身に集める美女だった。
フレーダーセンは、発明家ロートヴァングに対し、マリア似の人造人間を作らせ、マリアに変わって労働者たちを煽動させることによって、労働者たちの分断を図ろうと企てる。しかし、ロートヴァングはフレーダーセンのかつての恋敵であったことから、フレーダーセンを欺いて、都市そのものの破壊を企てたのだった。
労働者たちは暴動を起こし、地下世界は水没の危機にさらされた。子どもたちの安否も確認できない中、労働者たちは人造人間を火あぶりにした。そして人造人間はついに正体を現したことから、労働者たちはそれが偽のマリアであったことを知った。
こうして最後、フレーダーセンと労働者の代表者が、フレーダーの仲介の下で、手を結んだのだった。。。
あらすじを見て分かるように、この作品は、共産主義の視線からの階級闘争的要素がプンプンにおいます。人々を頭脳と手に二分する構成自体、今の時代からすれば大変違和感を感じてしまいます。そうした違和感が最後までぬぐえないまま、ラストに至るといった感じです。
古い作品であることからオリジナルの完全版は現存せず、4分の1は失われているそうですが、映像構成はとても1920年代とは思えない巧みな工夫に満ちあふれています。こういうサイレント映画というのは、言葉がなしで視聴者に微妙なニュアンスを伝えることが求められるため、それだけ高度な映像や役者の表現が求められるということなのでしょうか。
ちなみに、メトロポリスの歓楽街の名称が“Yoshiwara”というのは何とも気になります。