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仲正昌樹「今こそルソーを読み直す」

思想

今こそルソーを読み直す (生活人新書 333)

今こそルソーを読み直す (生活人新書 333)

 近年、再びその思想が見直されているルソーですが、有名な「一般意志」の思想と幸福な自然人という2つのテーマがどのように関連しているかについては、大きな矛盾を孕んでいるともされてきました。本書では、こうしたルソーの議論の孕む矛盾に焦点を当てつつ、「社会」と「自然」の間の緊張関係という大きなテーマに即して再構成を試みたものです。

 ルソーは『人間不平等起源論』において、所有を契機として拡大した社会的不平等を批判しています。つまり、自然状態においては不平等の要素がなかったのが、土地の所有によって「社会」が生まれ、そのことによって、富者と貧者が固定化されたというわけです。自然状態にあっては哀れみの原理が働いていたのが、そうした原理も失われてしまった。これが、ルソーによって提起された自然回帰のエリクチュールです。

 他方、ルソーは『社会契約論』において「一般意志」の概念を提唱します。つまり、「一般意志」の現れとしての法による統治です。理想の社会状態を構想するという『社会契約論』のスタンスは、一見すると社会を否定的に捉える『人間不平等起源論』と矛盾するかのようにも見えます。

 ルソーはこうして、自然状態に置かれた「野生人」と共通の利益に根ざした「市民」という2つの理想像を提起したわけですが、この両者を実現しようと、後にフランス革命時のロペスピエールによって「徳のテロル」を生み出すことになります。また、マルクス主義における「共産主義社会」やナチズムも、このルソーの理想を実現しようとした試みと捉えることもできます。こうした帰結が、ルソーの思想が全体主義の元祖だとするアーレントなどの批判につながってくるわけです。

 こうしたルソー批判に対して、著者はルソーを擁護します。つまり、ルソーの著作全体を貫く一つの明示的な論理のようなものを求めても不毛なのだというわけです。

 著者のいうように、確かにルソーの思想全体を整合的に説明することは難しいように思います。著者も、本書において、ルソーの矛盾とされるものが、実はそうではないという説明を随所で試みていますが、最後は、そうした論理を求めても不毛だという結論に至っているわけです。

 以前このブログでも紹介した東浩紀氏の著書『一般意志2.0』もルソーの現代的焼き直しですが、自然状態も含めたルソーの思想全体を焼き直しているわけではなく、あくまでルソーの一般意志の部分のみを焼き直したものです。
東浩紀「一般意志2.0」 - loisir-spaceの日記

 現代社会においては、むしろ、ルソーの野生人願望の方に多くの人が惹かれるのではないかと思います。複雑な人間社会の中で苦労しながら、先の見えない社会を生き抜いていかなければならない若者にとって、ルソーの説く自然状態という概念は、スーッと心の隙間に入ってくる気持ちは良く理解できます。

 これから、ルソーはますます注目されていくかもしれません。