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映画、書評、ジャズなど

瀬戸内アート巡り

 GWに瀬戸内のアートを巡りました。高松→豊島→犬島→直島→高松というコースを1日で廻るという強行軍です。前回は、2010年の瀬戸内国際芸術祭の際に直島を巡りましたが、それ以来2年ぶりの訪問です。

豊島

 最初に訪れたのは豊島(てしま)です。かつては産廃の島という有難くないイメージが定着してしまっていた豊島ですが、今ではすっかりアートの島に生まれ変わっています。芸術祭の後に内藤礼氏と西沢立衛氏による豊島美術館が開館していましたので、一度訪問してみたいと思っていた島ですが、今回ようやく念願が叶いました。
 高松から朝一の船で島に渡ると、だいぶ早い時間に到着しますので、早速電動自転車をレンタルして、フェリーの到着港から少し離れた豊島美術館へ、様々なアート作品を巡りながら向かいます。

心臓音のアーカイブ

最初に訪れたのはクリスチャン・ボルタンスキー氏の『心臓音のアーカイブ』です。

 大勢の人々の心臓音がコレクションされており、追加料金を払えば自分の心臓音も登録してくれて、CDでもらえるそうです。今回は登録はパスして作品を鑑賞しました。薄暗い部屋に入ると天井からランプがぽつんと1つ吊り下がっており、ドッ、ドッという心臓音に合わせて点滅を繰り返しています。不気味であると同時に心地よさを感じたりもします。母親のお腹の中にいるときの感覚に近いからでしょうか?その後聴覚ルームに行き、登録されている多くの心臓音を聞いてみました。何人かの心臓音を聞いてみましたが、人によって心臓音は全然違うんだということを改めて認識しました。中には生まれてきたばかりの赤ちゃんの心臓音などといったものものあり、将来大きくなったら聞かせてあげたいという親のコメントがありました。
 この作品が建てられている場所は、王子ヶ浜という穏やかな海に面した砂浜の脇で、とても素晴らしい環境です。長時間ボーッとしたり本を読んだりするのに適した場所かもしれません。

豊島美術館

 その後、主目的である豊島美術館に向かいます。少々の入場制限があり整理券が配られていました。入場までの時間は、周囲の棚田を散策します。
 入場すると庭園をぐるっと回ってから作品にたどり着きます。

 内藤礼氏によるアートと西沢立衛氏によるアートスペースが見事にコラボした作品です。海に臨む小高い斜面に建てられた真っ白なドーム状の建物に足を踏み入れると、一面、大理石の平らな広い空間が広がっています。床をよく見ると、あちらこちらからムクッと小さな水滴がわき上がり、それが一定の大きさになると、足元をツウーッとすべって流れていき、水たまりに吸い込まれていきます。この水は地下水を利用したものだそうですが、この水滴一つ一つがアートという斬新な作品です。
 特筆すべき琴は、このアート空間が周囲の環境と見事に一体化しているという点です。

 周囲には整備された棚田がありますが、そんな田園空間の中で、真っ白なドームは決して突出することなく、溶け込んでいます。さらに、ドームの中で断続的にわき出す水滴は、生命の息吹が増幅されることにより、この地域全体の生命力が高まっているかのようにすら感じられます。自然と人口(アート)が見事に一体化している作品という表現がピッタリのように思います。
 自然との一体性は、内藤礼氏による次の言葉にも表れています。

「空間というのは、そういうふうに、
そのものとして自然なものに戻っていくように生まれてくるのだろう」(『豊島美術館ハンドブック』より

 その他、豊島には数々のアート作品が点在しています。青木野枝氏の作品『空の粒子/唐櫃』は神社の一角に建てられた鉄の彫刻のモニュメントです。

 森万里子氏による『トムナフーリ』は、森の中を数分進んでいくと小さな池が現れ、その池の真ん中に建てられたモニュメントです。

 なんとスーパーカミオカンデとコンピュータで接続されており、超新星爆発の際に生じるニュートリノを受信すると光るのだとか。実際はほとんど光っているところは見られないそうですが、そんな不思議なつながりがこの土地に何か深い意味を与えているような気がします。
 また、フェリーの到着港の近くの集落には、木下晋氏が老女を描いた数枚の絵が展示されている古民家があります。

 この老女は小林ハルさんという方で、生前は瞽女(ごぜ)として三味線を弾きながら旅巡業していた方だそうです。この小林ハルさんを木下氏が鉛筆のみで描いたのだそうですが、とてもモノトーンとは思えないリアルさが印象的でした。

犬島

 次に向かったのは犬島です。犬島は岡山県にあり、岡山の宝伝から船で渡ってくる方が一般的なようです。かつては精錬所があった重工業の島でしたが、ベネッセの梃子入れによって今ではすっかりアートの島へと変貌しています。かつてはここでとれた石が全国各地で使われていたそうです。

犬島アートプロジェクト『精錬所』

 精錬所の遺構をうまく活用したアートが展開されているのが『精錬所』というアートです。

 精錬所の象徴であった背の高い煙突を中心に、自然エネルギーを活用する建築とアートが公開されています。この建築は三分一博志氏によるものですが、地下の冷気と太陽熱によって作られた暖気の組み合わせによって、メインホールの温度を適温にコントロールしているのだそうです。空気を送り込む際には、煙突が空気を吸い上げる効果を使っているとの説明がありました。
 メインホールには、柳幸典氏による『ヒーロー乾電池/ソーラー・ロック』という作品が展示されています。この作品は、三島由紀夫が幼少期に住んでいた家の実際の部材が使われているそうです。犬島と三島由紀夫の直接的なつながりはないそうですが、『文化防衛論』において戦後大衆民主主義の中で見せかけの文化尊重主義を糾弾した三島由紀夫が、今日の現代アートの取組の中で採り入れられていることは、何かいろいろな想像力をかき立ててくれます。三島は戦後大衆民主主義における文化は「博物館的な死んだ文化」と「天下泰平の死んだ生活」の2つしかなく、文化は「文化財」や「文化遺産」としてしか扱われなくなったことを糾弾しています。そうした三島の目から見て、瀬戸内のアートの取組は果たしてどのように写るのか?大変興味深い論点です。単に精錬所の遺構を産業遺産として残すだけであれば、三島の批判する「博物館的死んだ文化」であったかもしれませんが、犬島のプロジェクトでは、精錬所の遺構に現代の息吹を吹き込んで、新たな文化として創造しています。私はおそらく三島が今日生きていれば、こうした創造的な取組はきちんと評価してくれるのではないかと思います。

犬島『家プロジェクト』

 犬島の港近くの集落に3つのギャラリー(F邸、S邸、I邸)と1つの休憩所(『中の谷東屋』)を設けているのが、この『家プロジェクト』です。3つのギャラリーはいずれも柳幸典氏によるもので、それぞれ『山の神と電飾ヒノマルと両翼の鏡の坪庭』『蜘蛛の網の庭』『眼のある花畑』と名づけられています。

 このように集落の中にアートを点在させるというコンセプトは、直島の本村地区の取組と通ずるものですが、何の変哲もない寂れた集落が、4つのアートを点在させるだけで、集落全体があたかもアートであるかのように感じられ、多くの人々を魅了することになるのです。これがアートの持つ最大の力であり魅力であると思います。
 これらのアート自体は見る人に大きな感動を与えるというようなものではなく、いってみれば「ふ〜ん」の一言で終わってしまう場合も多いのですが、それはそれでよいと思うのです。これらのアートに足を運ぶ人たちは、アートを媒介にしてその土地の魅力を体感しているわけです。つまり、アート自体に人々が魅了されるというよりも、アートをきっかけとしてその土地の魅力を感じることができるところにアートの役割があるのではないかと思うわけです。
 こう考えると、アートに多くの人々が足を運ぶというムーブメントは決して一時的な流行ではなく、普遍的な意味合いを持つもののように思います。
 北川フラム氏は『大地の芸術祭』の中で次のようなことを言っておられますが、この言葉にアートと地域文化の関係性がすべて凝縮されていると思います。

「アートは地域の資源・宝ものを明らかにする。アートはそれが置かれることによって、場所や背景の特徴、魅力を逆に浮かび上がらせる。」

大地の芸術祭
 犬島の集落を歩いていると、農作業をしているおかあさんが気さくに「こんにちは」と声をかけてくれます。アートが入ってくる以前は、この島にはおそらくほとんど若者はいなかったと思われますが、島の年配の人たちと大勢の若者との間でこうした接触が生まれることは決して悪いことではないと思います。豊島でも道行く若い女性が島の老人の話に熱心に耳を傾ける姿を目撃しましたが、そんな軽い接触すら多くの地方の過疎地域では失われているのです。

 港近くで食堂をされている方から話を聞くと、「アートができる前は若者がこれほど訪れることはなかった、これもベネッセの福武さんのおかげ。」と顔をほころばせながら話をしてくれました。アートは地域の活性化にとって底知れぬ力の源泉に成り得ることをあらためて実感しました。
 ちなみに、この食堂で出している「犬島丼」なるメニューが気になり食べてみましたが、これまで食べたことのないおいしいものでした。

 一見すると肉そぼろのように見えるのは、実は舌平目を骨ごとミンチしたものだそうで、その上から汁をぶっかけてあり、レンゲですくって食べるようになっています。

直島

 豊島でのサイクリング、犬島での散策で半ばヘトヘトになった後、直島にたどり着きました。

『直島銭湯I♥湯』

今回の目的は『直島銭湯I♥湯』です。

 宇和島にアトリエを持つ大竹伸朗さんがプロデュースした銭湯で、風呂場の至るところに大竹さんのテイストが散りばめられています。浴室の壁のタイルには、海女が海に潜っている場面を描いたシュールな作品が飾られています。脱衣所では昭和のポルノ映画の宣伝文句やポスターが散りばめられており、艶めかしい熟女がこちらに銃口を向けた絵が飾られています。昭和のエロスに溢れた大竹ワールド全開です。
 夕方近くになり、多くの観光客がこの銭湯の前に集まってきました。ある若者が銭湯の建物を見て「やべぇ、楽しそう」とつぶやいていましたが、エキゾチックな風貌の銭湯の外観には直感的にそう思わせるものが備わっています。こんなお風呂があったらいいのにといった理想を体現したようなお風呂です。
 大竹さんの着眼点は、他の大多数の人たちが気にもとめないものである場合が多いようです。昭和のエロスも多くの人たちから見れば関心の対象ではなかったものですが、それが直島という小さな島の銭湯にぴったりはまってしまうところが、大変面白い点です。

007記念館

 フェリーターミナルからほど近いところに、007記念館なるものがひっそりと建っています。

 何かと思い足を運んでみると、007シリーズのレイモンド・ベンスン『赤い刺青の男』という小説の重要な舞台として直島が取り上げられているとのことで、映画ロケを誘致しようという目的で建てられたものだそうです。

007/赤い刺青の男―ジェイムズ・ボンド・シリーズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

007/赤い刺青の男―ジェイムズ・ボンド・シリーズ (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 この小説では、ボンドがG8におけるイギリス首相を守るために来日するという設定で、G8の開催地が直島ということになっています。著者のレイモンド・ベンスンは、イアン・フレミングの死後の007シリーズの後継作家の1人ですが、この作品を最後に007シリーズから手を引いているようです。
 私はよく知らなかったのですが、香川県も含めて誘致熱は相当高いようです。
007映画ロケ誘致活動
 映画ロケが実現したらこれは大変なことです。実現可能性はさておき是非とも実現してほしいと願うばかりですが、それにしても、こういうネタで盛り上がる地元の人々がある意味羨ましく思いました。

 直島の夕日は大変きれいでした。

雑感

 この3つの島は、今では完全にアートの島というイメージが定着しています。アートによってその土地の魅力を浮かび上がらせているベネッセの取組は大変素晴らしいものだと思います。
 それにしてもアートの威力は底知れぬ感じがします。今、アート抜きの地域活性化の取組は不可能とまで言うと言い過ぎでしょうか?しかし、アートを媒介としてこれだけ多くの20代、30代の若者(それもセンスの良い女性が多い・・・)を惹き付けている様子を目の当たりにすると、これからの地域の誘客の取組にはアートを抜きにしては考えられないと思わせるだけのものがあります。

 現代アートはさっぱり分からないという大人たちが多いのも事実ですが、アートというのは理解すべきものではないと思います。あくまで感じるものです。だから、こうした取組において、良いアートとか悪いアートというのは、作品自体の善し悪しに依拠するというよりも、それがその土地や周囲の環境にいかに溶け込み、その土地の魅力をいかに浮き上がらせているか、という尺度で捉えるべきです。アートが置かれている場所に身を置き、心地よさを感じ、その土地の魅力を体感することができれば、そのアートは素晴らしい役割を果たしているわけです。

 こういう取組を他の地域でやろうとすると、香川の二番煎じじゃないか、ということになってしまいそうですが、そんなことはないと思います。アートで地域を盛り上げるというのは、今後の普遍的な趨勢だと思うからです。

 アートの取組をすれば、そこには外部からクリエイティブな人たちがいっぱい集まってきます。そうしたクリエイティブな発想はアートの分野だけでなく、生活全体のクリエイティブ化にもつながるかもしれませんし、工業や商業など他の分野にも波及していく可能性も秘めています。アーティスト・イン・レジデンスの取組の良いところは、そうしたクリエイティブな人々を地域に取り込むことができる点です。

 直島、豊島、犬島の3つの島を舞台にしたアートの取組は、全国の地域の活性化にとって大きなヒントを提供してくれます。

 来年2013年は瀬戸内国際芸術祭が再び開催されます。今回は、前回の直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島等に加え、中西讃の島々も加わったものになるそうです。これは大変楽しみです。こうした動きが全国に広がっていくことを願わずにいられません。