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オルハン・パムク「わたしの名は赤」

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤〔新訳版〕 (下) (ハヤカワepi文庫)

 トルコのノーベル賞受賞作家オルハン・パムクの代表作です。既に藤原書店から『わたしの名は紅』というタイトルで邦訳版が出版されていますが、今回手にしたのは早川書房の文庫版です。
わたしの名は「紅」

わたしの名は「紅」

 舞台は16世紀末のオスマン帝国サファヴィー朝ペルシアとの戦いで疲弊し、人々は珈琲に耽溺している。絵師の世界でも、遠近法を用いた西洋の技法の流入が大きな波紋を呼んでいた。

 そんな中、宮廷の一人の絵師《優美》が殺害され、井戸の底から遺体となって発見された。その背景には、宮廷内における西洋画法に対する姿勢の対立があった。
 他方、カラはおじ上と呼ばれる細密画師の娘シュキレの幼なじみであったが、長年のペルシア滞在から帰京したカラはおじ上のもとに赴いた際にシュキレと再会する。シュキレの夫はペルシアとの戦争に赴いて以来、行方不明となっていたのだが、おじ上はカラとの再婚を認めようとしない。シュキレの夫の弟であるハサンもシュキレを狙っていた。そんな中、おじ上も何者かによって殺害されてしまう。

 皇帝は《優美》とおじ上を殺害した者が宮廷内の絵師の中にいると考え、犯人捜しを命ずる。細密画師の《蝶》《オリーヴ》《コウノトリ》がターゲットとなる。《優美》の遺体から見つかった馬の絵の特徴から割り出しが試みられる。結局、《オリーヴ》が突き止められ、《カラ》の手によって黒目がつぶされる。失明に向かう《オリーヴ》は逃亡を試みたが、ハサンに殺害される。。。


 決して読みやすい作品ではありませんが、当時のイスタンブールの退廃的な空気が伝わってきます。西洋文化流入に対する葛藤、細密画の持つ意義、ペルシアとの攻防に疲弊した帝国などなど。厳格なイスラムの教えが徐々に綻びていく様が鮮やかに描かれています。もちろんオスマン帝国はこの後も長期間存続するわけですが、それは決して強固な帝国としてではなかったわけです。

 細密画については、訳者解説に詳説されています。モンゴル帝国の後継国家であるティムール朝が支配したヘラートにおいて、細密画の興隆は頂点を極め、本作品でもたびたび登場するベフザードといった細密画師が活躍します。しかしながら、ティムール朝がペルシアのサファヴィー朝に滅ぼされると、細密画師たちはサファヴィー朝に逃れ、ヘラートの文化を伝えます。そして、オスマン帝国サファヴィー朝の王都を征服すると、こうした絵師たちはイスタンブールへ連れて行かれます。イスラム教では偶像崇拝が禁じられているため、細密画は装飾として発達します。こうして、イスタンブールにおいて、挿絵としての細密画が発達したというわけです。

 そんな当時の背景を感じ取る上で、この作品は大変面白いものとなっています。