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ジェフ・ダイヤー「バット・ビューティフル」

バット・ビューティフル

バット・ビューティフル

「伝説的プレイヤーの姿を、想像力と自由な文体で即興演奏する、ジャズを描いた8つの物語」

 こんな本書の紹介と、村上春樹氏の翻訳というのを見れば、当然手にとって読まないわけにはいきません。8人のジャズ・ミュージシャンについて、その特性を踏まえつつ著者の想像力を働かせて描いた「想像的批評(Imaginative Criticism)」の本です。

 軍の上官に迫害されながらも、そよ風のような軽く優しいテナーの音を奏でたレスター・ヤング
 自分がやりたいと思うことを気ままにやりながら、その行為を、独自の意志と論理を有する原則を持つ水準にまで高めたセロニアス・モンク
 精神病院にぶち込まれ、破滅への道を歩んでいくバド・パウエル
 寂しさを身に纏いつつヨーロッパを列車で旅しながら客の頼みに応じておもむろに演奏を始めるベン・ウェブスター
 常に怒りを内包し、背後からベースでバンドメンバーを前に駆り出し続けたチャールズ・ミンガス
 自分自身以外の誰かのために楽器を吹くことがなく、愛撫するように楽器を奏でたチェット・ベイカー
 白人ジャズ・ミュージシャンとして、波の上に持ち上がった赤い凧のようにブルースを奏でたアート・ペパー。

 本書の中にはいくつか強烈な印象を植え付けるシーンがあります。

 1つ目は、パリ行きの列車の中である乗客が、ベン・ウェブスターに断られるのを覚悟して演奏を頼むと、ベンがゆっくりと演奏を始める場面。

「誰一人として、たとえモーツァルトベートーヴェンを呼んで、自分のサロンで演奏をさせた王侯たちであろうと、これほど特権的で親密な音楽的体験をしたものはほかにあるまい。なにしろベン・ウェブスターがあなた一人のために演奏しているのだ。」

 こんな場面に出くわしたら、何と贅沢で豊かな思いに浸れることか。。。

 2つ目は、怒りをぶつけ続けたチャールズ・ミンガスが晩年に、ホワイト・ハウスで開催されたパーティーに招かれる場面。

「彼は車椅子に座っていた。両手も両脚も動かすことができず、自らの内に閉じ込められていた。現存する最高のジャズ作曲者として紹介を受け、人々が一斉に立ち上がり、ミンガスに熱烈な拍手を送ったとき、彼は感きわまった。・・・大統領が飛んでいって、彼をねぎらった。」

 アメリカにおけるジャズ・ミュージシャンに対する畏敬の念が感じられる場面です。

 3つ目は、アート・ペパーが刑務所の塀の中で、海辺で理想の女性と出会う場面を夢想するシーン。出所した彼は、監房の中から目にした海辺の女性を探し出し話しかける。そして、椅子の金属の脚で串刺しにされたチワワの話を彼女にする。2人がカフェで談笑していると、そこにアートの演奏する音が流れてくる。あなたが吹いているの?と尋ねる彼女に対し、アートは笑いながら次のように答える。

「おれ以外のいったい誰が、このようにブルースを吹けるだろう?」

 そしてアートは彼女にブルースとは何かを説明する。それは監房における次のようなフィーリングだ。

「誰か自分を待っていてくれる女がいればいいのにと彼は思う。何もかもをでたらめにしたまま、自分の人生が過ぎ去っていくことについて考えながら。すべてを変えてしまえたらと彼は願う。でもそれが叶わぬ話であることもわかっている……そいつがブルースなのさ。」

 それに対して彼女はこう答える。

「こんなに傷つき、痛めつけられて、それでも…それでも…美しいわ(But beautiful)」

 やがて、彼はアルトを手にして演奏を始める。

「彼の出した最初の音はあまりにもソフトだったので、それは彼の背後の打ち寄せる波の上にふっと持ち上がった。その肩越しに見える赤い凧と同じように。彼は目を閉じたまま演奏した。暖かな空に凧が浮かんでいく様を、彼女はじっと眺めていた。」

 以上が、塀の中のアートの夢想であることは言うまでもありません。

 ジャズという音楽の魅力の大きな部分を占めているのは、ジャズ・ミュージシャンの魅力的な個性だと言えるでしょう。薬や酒に溺れて早く命を落とすことが多かったジャズ・ミュージシャンたちの刹那的な生き方。社会から受け入れられないことに対する反発心。そうした背景がジャズ・ミュージシャンたちの生き方にどこか儚い美しさを添えているような気がします。本書は、そうしたジャズ・ミュージシャンたちの魅力と美しさを、フィクションを交えながら
究極にまで高めたような本ですから、ジャズ・ファンにとってはたまらない内容です。
 
 著者のジェフ・ダイヤーは本書のあとがきで、あとがきとは思えないほどの饒舌な内容を記しています。その中でダイヤーは、ジャズについて、

「身をもって演じた批評」

という言い方をしているのが注目されます。つまり、演奏家自体が音楽を解釈し、演奏することで、それ自体がひとつの批評となっており、あらゆる芸術形態の中でそれをもっとも実践しているのがジャズというわけです。それがジャズ・ミュージシャンの魅力につながっているとも言えます。

「ジャズを活力に満ちた芸術形態にしているのは、自らもその一部をなしている歴史を吸収していく、その驚くべき能力にある。」

という著者の言葉に、ジャズ・ミュージシャンたちの魅力が集約されています。

 また、著者は、ジャズというフォームに先天的に危険な何かが潜んでいる、と言います。そして、このことが究極的に現れているのがコルトレーンです。

 さらに著者は、こんな言い方もしています。

「ジャズというものは、その伝統が革新と即興に根ざしているが故に、大胆に因習打破を行っているときが最も伝統的になる」

 これもジャズの本質を鋭く表現した言葉です。


 村上春樹氏は訳者あとがきの中で、

「虚実の境目のぎざぎざ感がなんともいえずリアルなのだ。」

と述べていますが、この言葉に本書の魅力が凝縮されています。