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バンコク滞在記

 今年の2月に続いてバンコクに滞在する機会を得ました。前回の訪問は15年ぶりくらいだったため、その商業的発展の凄まじさに驚愕するばかりでしたが、今度はもう少し冷静に街を眺めることができたように思います。

 今回バンコクを訪問して一番強く感じたことは、バンコクには2つの「時間」が同時に流れているということです。それは「現在の時間」と「過去の時間」ということもできるし、「速く流れる時間」と「ゆったりと流れる時間」ということもできるし、「日常の時間」と「非日常の時間」ということもできるように思います。この2つの時間が同時に流れているところにこそ、バンコクの最大の魅力があるように思います。

ワット・ボウォーン

 今回の訪問で初めて訪れたのが「ワット・ボウォーンイウェート(ワット・ボウォーン)」という寺院です。

 「地球の歩き方」によれば、この寺院はラーマ4世によって1833年に創始されたタマユットニカーイの総本山で、プーミポン現国王もここで出家修行されたそうです。ここでは一時的に出家している多くの若い僧たちが修行をしており、夜の8時になると読経が始まります。多くの僧侶たちがお堂に集結して読経が行われ、中には一般の人々と思しき人たちも隅っこに臨席しています。こうしてタイの僧侶たちに混じって読経に臨席すると、バンコクの雑踏とのあまりの対照に心の底から澄み切ったような感覚を受けます。

 今では大型のショッピングセンターが多数建ち並ぶ世界的な消費都市であるバンコクですが、片方ではこうした非日常的な時間が残されており、人々の生活や信条の一部を形成しているのです。対照的な2つの時間がバンコクに流れていると感じる所以です。

 ちなみに、このワット・ボウォーンのすぐ近くにある主に地元の人たちが行く
食堂は、安くておいしいタイ料理が堪能できる穴場です。

シャングリラ・ホテル

 バンコクの象徴であるチャオプラヤ川の岸辺には、多くの高層ホテルが建ち並びます。ホテルの高層階からチャオプラヤ川を眺めても、茶色く濁った水と岸辺の造成中の空き地ばかりが目に付き、お世辞にもあまり美しいとは言えない景色が広がっています。チャオプラヤ川はむしろ低い目線から眺めた方がその良さを感じることができます。

 チャオプラヤ川沿いで最も心地よい眺めを堪能することができるのは、シャングリラ・ホテルのラウンジでしょう。高い天井と大きなガラス張りの空間からは、チャオプラヤ川を行き交う多数の船、対岸のペニンシュラ・ホテルと建設中の高層マンション、そして最近チャオプラヤ川を越えてつながったBTSシーロム線などが一望することができます。夜はバンドの演奏が行われ、アメリカン・ポップスがバックに流れています。

 夕暮れ時に、チャオプラヤ川の景色が徐々に暗くなっていくのが、一番の見所です。


 この景色が貴重なのは、やはり2つの時間を感じることができるからです。ゆったりと川を行き交う船とBTSシーロム線の近代的な車両は、とても対照的な時間を象徴しています。ラウンジ全体もどこかゆったりとした時間が流れており、外の雑踏からは隔絶された空間となっています。

 このように、バンコクは2つの対照的な時間が同時に流れ、それを同時に体感できるところに特徴があり、バンコクエキゾチックな魅力を生み出していると言えます。

ワット・アルン

 これまでのバンコク訪問で行けなかったお寺がワット・アルンです。チャオプラヤ川を横切る渡し船に乗って数分、あっという間に対岸にたどり着きます。

 きらびやかに装飾を施された仏塔が建ち並んでいます。

 この仏塔に登ることができるのですが、これがまた急な階段です。途中でちょっとめまいを起こせば、真下まで真っ逆さまに落っこちていくことでしょう。

 ようやく仏塔の中程までたどり着くと、そこからはチャオプラヤ川を行き交う船が一望することができます。

 まぁ、一度は登ってみる価値はあるでしょう。

ジム・トンプソン・ハウス

 ここも前回行けなかった場所です。

 ジム・トンプソンといえば、タイシルクを再建し、一大ブランドに育て上げたアメリカ人として有名ですが、その生涯は謎に包まれています。第二次世界大戦中に戦略事務局に配属され、バンコクで諜報活動に従事していましたが、戦後そのままタイに残ります。その後、タイシルクの再興に力を注いだわけです。

 ジム・トンプソンの最大の謎は、失踪事件です。休暇で訪れていたマレーシアでジャングルの中に足を踏み入れた後、消息がプッツリと途絶えます。この失踪事件が様々な憶測を呼び、ジム・トンプソンの神秘性を助長しているのです。

ジム・トンプソン 失踪の謎

ジム・トンプソン 失踪の謎

 このハウスは、ジム・トンンプソンが気に入ったタイの伝統的な建築を移築したりして建築されたもので、様々な骨董品が飾られています。そのコレクションからは、彼のセンスある趣味をうかがうことができます。言語ごとにガイドが付いて、丁寧に屋敷の中を案内してくれます。

悶えるバンコク

 現在のバンコクの街を一言で表現すれば、現在と過去の狭間でもがき苦しんでいる、ということができるのではないかと思います。ここ数年間の急速な市場の拡大や人々の消費マインドの変化に対して、街のインフラはそれに全く追いついていないような印象を強く受けるのです。
 街の歩道を歩いていてもあちこちに陥没が見られ、気を抜くと躓きそうになります。歩道に建ち並ぶ屋台は歩行者の通行を妨げています。車道も大量の車でぎっしりと詰まって渋滞しています。要するに、どう見ても身の丈以上の経済発展を遂げてしまっている感じを受けてしまうのです。体が急成長しているのに同じサイズの洋服を着続けているためにバッツンバッツンの状態となっているような感じです。

 バンコクの一番の短所は、歩きにくい街である点にあるように思います。車とバイクが主役で、歩行者は完全に脇役です。自転車は全くと言ってよいほど見かけません。歩道も穴ぼこだらけで、下手をすれば、地面が抜けて下まで落っこちていってしまうのではないかと思ってしまいます。

 貧富の差も目立つようになっています。サイアム・パラゴンで高級な食事をする人々と道ばたの屋台で夕飯を買い込む人々との間には、はっきりとした階層的な断絶が生じているようにも思えます。i-Padやスマートフォンを携行している華僑系の若者たちは、日本の若者に近い生活を送っているように思えます。

 しかし、それはバンコクの魅力の裏返しということもできます。バンコクに2つの時間が流れていることがバンコクの魅力になっている反面、こうしたジレンマも生じているわけです。

 今後バンコクがどのような方向に向かっていくべきかを考えることは難しい課題でしょう。おそらく、欧米や日本と同じような発展を遂げていくことにはならないと思います。バンコクの人々は、ゆったりとした時間を楽しんでいるような感じを受けますが、そうした人々が金銭的豊かさの代償として欧米的な慌ただしい時間を選択するとはとても思えません。バンコクの人々は、自分のペースで時間を過ごす精神を決して捨てることはないように思います。だから、この先も、現在のようなジレンマを抱えながらも、豊かな時間を過ごし続けていくように思います。

 バンコクの人々を見ていると、我々日本人が戦後の急成長を遂げていく中で忘れてしまった生活の中の本当の豊かさや幸せを思い起こさせられるような感じがします。一度そうした豊かさや幸せを踏み越えてしまった日本人は、もはやそこに逆戻りすることはできません。バンコクの人々はそうした境界線を越えるかどうかの瀬戸際で、どこか必死に悶えているのではないか、そんな気がしてしまうのです。