和歌山県太地町の鯨漁師たちの思いをまとめたドキュメンタリー番組を見ました。
【ETV特集】「鯨の町に生きる」7/24(日)夜10時
反捕鯨団体の執拗な抗議活動を受ける中で、鯨漁と真剣に向かい合う漁師たちやその家族たちの苦悩が大変よくまとまっていました。
客観的に見れば、なぜ鯨だけがこれほどまでに執拗な攻撃を受けなければならないのか、という思いを抱かざるを得ず、欧米人のエゴを感じるわけですが、太地町の人々が努めて冷静に振る舞っており、さらに鯨漁の在り方を真剣に思考する姿勢には大変な感銘を受けました。
漁師の言葉にもあったように、人間は何らかの命を殺生しなければ生きていけないわけです。問題は殺生されていく命への感謝の念の有無にあるように思います。
太地町の漁師たちは、命を絶たれている鯨たちに対する感謝の念を持って接しています。だから、鯨を必要以上に捕らないよう管理しています。ある特定の種が絶滅するまで殺戮するどこかの欧米人たちとは明らかに自然との接し方が異なるわけですが、捕鯨活動に執拗に反対している欧米人たちは、そうした自然との接し方は想像できないのでしょう。
それにしても、一昨年に映画『ザ・コーヴ』が公開されて以来の欧米人たちの妨害活動は目を覆いたくなるようなものです。仕事をしている漁師たちを執拗にカメラで追いかけ、車の前に立ちはだかったりする姿がテレビで流されていました。また、漁師たちが鯨の命を絶つ場面を撮ろうと、執拗にカメラで追いかけます。
こうした行動に対して、漁師たちはお互いに声を掛け合いながら冷静に対応しようと努めます。ここまでされれば誰しもぶち切れたくなるのは当然ですが、ぶち切れれば彼らの思うつぼなわけです。
漁師たちはむしろ、外国人たちの行動からいろいろなことを考え、議論します。そして、鯨の死に際は人目に晒すべきではなく、人目から隠すべきだという結論に達します。これは大変重要な点を突いているものだと思います。
かつての人間社会では、闘牛などに見られるように動物の残酷な死に際を隠すどころかむしろ大いに晒してきたという面があったわけです。動物ばかりか、公開処刑に見られるように人間の死に際を見せ物にすることさえまかり通っていたわけです。しかしながら、文明が成熟するにつれて、人間社会は動物の死に際を人目から避けるようになっていきます。我々は日々肉を口にしますが、動物がとさつされる場面を目にすることはほとんどありません。
太地町の出した結論も、こうした大きな文明の流れに沿ったものと言えるでしょう。
それにしても、太地町の漁師たちが、一連の反捕鯨活動家たちの活動に対して、
「外国人たちに学ばせてもらった」
という言葉を発しているのには衝撃を受けました。これだけ日々の生活の中で執拗な嫌がらせを受けていながら、こんなにも謙虚な言葉を発せられる民族は、世界広しといえども日本人しかいないのではないでしょうか。太地町の人々のタフさを感じました。
繰り返しますが、人間が動物を殺生するのは仕方がないことであり、問題はその殺生に向き合う姿勢なのです。肉骨粉を餌として動物に共食いを強いている家畜の畜産の在り方の方がよっぽど問題とされるべきでしょう。そこには、動物に対する感謝の念のかけらも感じません。動物愛護を訴えるのであれば、むしろ家畜の畜産の在り方こそ問うべきでしょう。
太地町の人たちの闘いは日本人全体の問題として受け止めなければなりません。この番組はそうした問題意識を多くの人々に投げかける大変良い機会になったのではないでしょうか。