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映画、書評、ジャズなど

タイラー・コーエン「創造的破壊―グローバル文化経済学とコンテンツ産業」

創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業

創造的破壊――グローバル文化経済学とコンテンツ産業

 アメリカのジョージ・メイソン大学の教授で、文化経済学の分野で積極的な発言を行っている著者による本です。

 グローバリゼーションが文化の多様性に与える影響については、否定的に論じられることが多いのに対し、本書では、グローバル化による肯定的な面も取り上げつつ論じられています。

 著者の論旨を端的にまとめれば、グローバル化によって、社会間の多様性は失われていくものの、他方で、社会内の多様性はむしろ高まっていく、というのが本書の主旨です。

 つまり、文化の多様性というと、社会間の多様性ばかりに目が行きがちですが、社会の内部においては、選択の自由が高まっているのであり、それが創造性をもたらしているのだ、というわけです。別の言い方をすれば、多様性のレベルが地理的条件から切り離され、個々人のレベルに移行しつつあると言えるでしょう。

 本書では「ミネルヴァ・モデル」という興味深い概念が示されています。貿易を通じて異文化間の接触が起こると、貧しい方の文化にとっても短期的には繁栄がもたらされるものの、実はそのときには既に文化は破滅への道を踏み出しているというわけです。

「衰退期に入った文化は一時的に輝きを放つ(逆に言えば、文化の繁栄には破滅の種が潜んでいる)」

と著者が述べているのはこの意味です。

 しかし、こうしてある文化のエートスが破壊されることは、必ずしも負の面ばかりではないというのが著者の見解です。文化というのは時間とともに変化していくものであり、そうした変化は必ずしも悪いことではないのだというのが著者のスタンスです。

 本書の見解をどう受け止めるかについては、様々な立場があるように思います。確かに、グローバル化が一概に悪いことばかりもたらすわけではないというのはその通りでしょう。グローバル化のおかげで我々は外国で発明された優れた技術を採り入れることができるわけですし、今まで聞いたことがなかった異国の文化に接し、未知の体験をすることができるわけです。個人としての選択肢も増えることで、昔に比べて楽しみの幅も増えています。

 他方、グローバル化の最大の課題は、国家あるいは集団としてのアイデンティティの問題です。アイデンティティが日々変化していくのはその通りですし、そうした変化が悪いというわけではありません。問題は、国家や社会のアイデンティティが変化をしながら、アメリカ式ともいうべき何か一つの方向に向かって進んでいってしまっているのではないか、と多くの人が漠然と感じていて、そのことでアイデンティティが喪失してしまうのではないか、と危惧している点です。おそらく、著者の立場は、アイデンティティは変化していくものであり、主観的なものであるから、グローバル化によってもたらされるメリットに比べれば大したことはないということになるのかもしれませんが、マイナーな文化にとっては、固有のアイデンティティの存在は何にも代え難いものであるはずです。この点について本書でははっきりとした説明がなされているわけではありません。

 私は、この点については、次のように考えるべきではないかと思います。つまり、グローバル化を通じて確かに表面的な文化の様相は均質化に向かいつつあるものの、もっと根幹の部分について見ると、社会間の多様性は確かに残っているのであり、そう悲観する必要はない、と。

 アジアの大都市を見比べて見ても、高層ビルが建ち並ぶ光景を見れば、一見、アジアの差異は縮小しているのではないかと感じざるを得ません。先日訪問したタイのバンコクでも、10年前と比較すれば、近代的なショッピングモールが建ち並ぶなど、明らかに東京や上海の光景に近づいています。

 しかし、それだけで悲観する必要はないでしょう。人々の生活スタイルや宗教や精神などの内面的な部分においては、れっきとした違いが残っていることは明白です。つまり、いくらグローバル化が進んでいったとしても、文化間の差異が消滅することは決してないのです。だから、エートスの消滅などと嘆くのではなく、むしろ、グローバル化の恩恵を享受しつつ、グローバル化の進展においてもなくならない文化的差異の方に注目していくのがあるべき道ではないかと思うのです。

 というわけで、私の見解は本書の捉え方とは多少異なるのですが、とはいえ、本書は様々な示唆には富んでいるので、いろいろ考えさせてくれる本ではあります。