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堀江敏幸「未見坂」

未見坂 (新潮文庫)

未見坂 (新潮文庫)

 淡々と進むストーリーの中で、何か記憶の奥底でハッと気付かされる、そんな短篇集です。

 全部で9つの短篇から構成されています。

 「滑走路へ」は、父親が航空写真家である友人と共に、少年が飛行機を見に行く話。少年の父親はおらず、母親にはどこか男の影が見えかくれする。
 「苦い手」は、気前よく私財を部下に提供する上司から電子レンジをもらい受けてくる話。主人公の父親は亡くなり母親と2人暮らし。上司には娘がいたが子宮癌で他界した。
 「なつめ球」は、おばあちゃんの家に遊びに行った孫の話。
 「方向指示」は、床屋と客の間で交わされる会話を舞台にした話。床屋の女性は父親を癌で亡くし、自転車でぶつけられた母親は入院している。会話で話題に上ったスーパーの鮮魚担当の女性が自転車に乗ったまま行方不明になったのは、母親が自転車でぶつけられたのと同じ頃だった。
 「戸の池一丁目」は、バスのルートの分岐点に位置する小さな店を舞台にした話。主人は義母と2人で暮らしており、かつてはボンネットバスで移動式スーパーを営んでいた。そして、バスの詰め所建設のための土地買収の話がもちかけられていた。
 「プリン」は、義父の葬儀の際に出した弁当で一部の親族に食中毒が発生した話。背景には親族間の対立があった。義父は主人公の作るプリンが大好きだった。
 「消毒液」は、父親の店に働きに来ている女性の話。息子である主人公の友人の姉だった。主人公は看護師を目指していたその女性から消毒液についての話を聞く。
 「未見坂」は、主人公とその父親の会社で働く男性との間での会話。坂の途中にバス停を作る話を巡って賛否両論が交わされていた。バス会社同士の確執も背景にあった。
 「トンネルのおじさん」は、主人公が母方のおじさんとハイキングに行く話。このおじさんの家のそばを走る鉄道の下をトンネルが通っており、トンネルのおじさんと呼ばれていた。


 いずれの作品も、何か劇的なことが起こる話ではなく、淡々と進む日常の一断面が切り取られているに過ぎませんが、その話の背景には、ディープな人間関係が存在しています。それは、親族関係もあれば、田舎のコミュニティにおける隣人間の関係もあります。いくつかの作品では、親族のうちの誰かが病気で失われることが、他の誰かの人生に大きな影響を与えています。そんな田舎のディープな人間関係を、日常の一場面から浮かび上がらせようとしている感じがします。

 「雪沼とその周辺」や「ゼラニウム」に比べると、やや平板な感じがしなくもありませんが、ゆったりとした流れの中に人間社会の豊かさを見出そうとしているかのような作品は、現代人の心を打つものがあります。
堀江敏幸「雪沼とその周辺」 - loisir-spaceの日記
堀江敏幸「ゼラニウム」 - loisir-spaceの日記

雪沼とその周辺 (新潮文庫)

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ゼラニウム (中公文庫)

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