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大泉啓一郎「消費するアジア」

消費するアジア - 新興国市場の可能性と不安 (中公新書)

消費するアジア - 新興国市場の可能性と不安 (中公新書)

 発展するアジア新興国について、国全体の指標では見逃されてしまう、国の内部の格差に注目して分析がなされた本です。国内の格差がアジア諸国の社会を不安定にしていることが強調されています。

 本書では「メガ都市」「メガリージョン」の考え方がとられています。「メガ都市」とは、北京、上海、バンコク、クアラルンプールなどの大規模国際都市を指し、「メガリージョン」とは、メガ都市を中心に広がる繁栄の領域を指します。

 アジア新興国においては、2000年以降、メガ都市の国際競争力が高まります。かつてのアジアの大都市は、多くの失業者を抱え、劣悪な環境汚染や多発する犯罪に悩まされるような「過剰都市」でしたが、近年のアジア新興国の大都市は「過剰都市」を脱却し、国際競争力を有する「メガ都市」へと変貌を遂げていると著者は指摘します。

 そして、こうした変化に伴い、アジア地域の経済発展メカニズムは変化します。かつて唱えられた「雁行形態的発展モデル」は、今や中国はこのモデルの最後尾に位置するのではなく、最後尾から最先端までを同時にカバーする大国となっています。また、ASEANのメガ都市と中国の分業体制が強まる中、「中国脅威論」も今では「中国共存論」に変わりつつあります。

 さらに「メガリージョン」の視点が注目を集めるようになっています。この概念は、リチャード・フロリダが提唱し、「少なくともひとつの大都市圏とその他の大都市を含んでおり、とぎれることなく明かりが灯っている地域」です。中国の「渤海湾経済圏」「長江デルタ経済圏」「珠江デルタ経済圏」は、「メガリージョン」と捉えられます。

 この「メガリージョン」の内部で「雁行形態的発展」が起こっているとの指摘は注目されます。つまり、この「メガリージョン」のコア地域から外延地域に工業生産のシフトが進んでいるのです。

 こうした「メガ都市」や「メガリージョン」は、地方・農村とは区別して捉える必要があります。つまり、同じ国にありながら、両者を同一の指標で捉えることはできないのです。

 「メガ都市」や「メガリージョン」は、地方・農村からの若年人口を吸収し、しかも人材の集中という生産性の向上をもたらします。地方・農村の高齢化問題は一層深刻化します。こうして、地方・農村の扱いが大きな政治問題となってくるのです。こうした地方・農村の底上げの必要性を、著者は「中進国の課題」と呼びます。つまり、こうしたタイやマレーシアといった中進国では、国内に南北問題を抱えているようなものなのです。

 タイではタクシン政権が地方・農村の振興に力を注ぎましたが、バンコクなどの都市の内部の格差を見切れなかったため、黄シャツ派によって追放されてしまい、タクシンを支持する地方・農村の赤シャツ派と対立することになったのです。


 本書から読み取れることは、アジア諸国の社会について、国全体の指標を見るだけでは見えてこない部分が多々あるという点です。しかも、単に都市 vs 農村という構図だけでも不十分で、「メガリージョン」内部の構造にも目を向ける必要があることが分かります。そうしなければ、アジア社会の抱える真の課題や不安定性は見えてこないのです。

 本書ではバンコクが多く取り上げられていますが、私が先般バンコクに行ってきたときの印象と重なる部分が多々ありました。先ほども触れたように、著者はアジアの都市が「過剰都市」から「メガ都市」へと変貌している点を指摘されていますが、私が10年以上前に見たバンコクと今年訪問した際のバンコクの印象の違いは、正にこの変貌によるものだということを実感しました。

 10年以上前に行ったバンコクは、確かに劣悪な環境で、昼間でも多くの失業者が街中をぶらぶらしている印象が強かったのですが、今やバンコクは世界中からの買い物客でにぎわう一大消費都市へと変貌しています。先進国顔負けの立派なショッピングモールが数多く建ち並び、中国系を始めとする富裕層が旺盛な購買意欲を発揮しています。

 その背景には、バンコクとその周辺の地域の目覚ましい発展があります。近郊のアユタヤの近辺には日本企業も数多く立地する工業団地がありますし、バンコクの近郊にも同じような工業団地があります。バンコクとその周辺の地域は、もはや世界に向かって自動車などの生産物を輸出する一大拠点となっており、タイの北部地方などとは明らかに違った様相を呈しており、これらを同列に扱うことは到底できません。

 アジアの新興国を捉える有益な視座を提供してくれる本でした。