映画、書評、ジャズなど

カズオ・イシグロ「夜想曲集」

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)

 カズオ・イシグロ氏の長編はなかなか最後まで読み通せませんでしたが、この短篇集はあっという間に読み通してしまいました。音楽にまつわる哀愁感漂う雰囲気が感性にピタリとはまれば、とても心地よく読むことができます。

 「老歌手」は、かつて有名だった歌手が、ベネチアの水辺のゴンドラから妻のいる部屋に向かって歌いかける話。主人公は自分が演奏する店に来た老歌手と知り合い、老歌手と一緒にゴンドラに乗り、ギターの伴奏をする。しかし、そのときには老歌手は妻との別れを覚悟していた。

 「降っても晴れても」は、浮かない英語教師で音楽愛好家の主人公が、ある夫婦の諍いに巻き込まれる話。夫は妻との関係がうまくいっていないことから、主人公を家に呼び出し、主人公の恵まれない境遇と比較することで、妻との関係を修復しようと試みる。

 「モールバンヒルズ」は、ギターリストの若者が都会から逃れるために訪れた場所で、音楽家の夫婦と出会う話。主人公は姉夫婦の経営するカフェに泊まり込んでいたが、そのカフェにやってきたのが、この夫婦だった。妻の方は最初極めて愛想が悪かったため、主人公はわざと良くない宿泊先を紹介した。主人公がモールバンヒルズでギターの練習をしているときに再開した夫婦は非常に気さくだったが、その後再び再会した際、夫婦は仲違いしていた。

 「夜想曲」は、男の下へ駆け落ちした妻から顔面整形手術を勧められたサックス奏者の主人公が、術語の療養中のホテルで有名女優と隣同士になるという話。女優は主人公を誘い出して、深夜のホテルの中を散歩する。(この女優は1番目の短篇の「老歌手」に出てくる歌手の妻と同一人物という設定になっている。)

 「チェリスト」は、ハンガリー人のチェリストがアメリカ人女性からチェロの弾き方を教わるという話。アメリカ人女性は結婚を迫られている恋人から距離を置くためにイタリアに逃れて来ており、決して自分ではチェロを演奏しなかった。やがてアメリカ人女性の下にアメリカから恋人がついにやって来る。チェリストはオランダに新たな演奏の場を見つけて去っていく。


 解説にも触れられているように、いずれの作品も「男女の危機」「夫婦の危機」が共通した設定となっています。主人公らがある男女の危機に巻き込まれていくところに、非日常性が醸し出され、独特の世界を築き上げています。

 また、いずれの作品でも、音楽家あるいは音楽愛好家が不遇な状況に置かれている点が共通しています。音楽という職業は現代の資本主義社会に最もなじみにくい部分があるのかもしれません。売れているのはごく一部のポップスやロックの歌手だけで、とりわけジャズ・ミュージシャンは、生計を立てる手段としてはなかなか難しいジャンルと言えるかもしれません。この短篇集では、そうした音楽家たちが男女の間のちょっとしたハプニングに巻き込まれるところに非日常性を産みだそうとしていると言えるかもしれません。

 いずれにしても、物語中に様々なジャズの曲が登場するだけでも、十分に楽しめてしまう作品集です。