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スタン・ゲッツと村上春樹

 村上春樹氏の作品は、ジャズの音楽が物語のバックに流れ、それが作品のイメージを基底していることがあります。『1Q84』では♪It's only a papermoon がそうでしたが、昔の作品について見ても『1973年のピンボール』では、スタン・ゲッツの♪Jumpin’ With Symphony Sid がそれに当たるかもしれません。主人公は要所要所でこの曲の口笛を弾きます。

 村上氏のスタン・ゲッツ愛好は良く知られています。『ポートレイト・イン・ジャズ』では、次のように述べています。

「僕はこれまでにいろんな小説に夢中になり、いろんなジャズにのめりこんだ。でも僕にとっては最終的にはスコット・フィッツジェラルドこそが小説(the Novel)であり、スタン・ゲッツこそがジャズ(the Jazz)であった。」

ポートレイト・イン・ジャズ (新潮文庫)

ポートレイト・イン・ジャズ (新潮文庫)

 また、村上氏は『意味がなければスイングしない』の中で、スタン・ゲッツについて一章を割いて論じています。以下、少し本書に基づいてゲッツの人間性を見てみたいと思います。
意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

 スタン・ゲッツは文字どおり天才肌のサックス奏者でした。楽器を手にすれば、行き当たりばったりで美しい音色を奏でます。コルトレーンスタン・ゲッツの演奏を聴いて「もし我々が彼のように吹けるものなら、一人残らず彼のように吹いているだろうな」と言ったそうです。

 他方でゲッツはヘロインの力を借りながら演奏を続け、多くのトラブルを引き起こします。ゲッツの家に麻薬捜査官が入った際、ゲッツはパニックに陥り、引き出しから拳銃を持ち出して抵抗しようとして逮捕されます。

スタン・ゲッツの人生には、いくつもの無意味で不適切な行為が見受けられるが、これも明らかにそのうちのひとつだった。」(村上前掲書)

 また、公演先のシアトルでは、麻薬の誘惑に勝てず、朝早くにホテルの向かいの薬局に強盗に入り、ポケットの中にピストルを隠し持っているふりをして店員を脅し、鎮痛用のモルヒネを手に入れようとするが、ピストルがないことを店員に見破られホテルに逃げ帰り、警官に逮捕されます。これも無意味で不適切な行為の一つと言えるでしょう。

 さて、村上氏が最も愛聴するレコードは『アット・ストーリーヴィル1&2』です。先に触れた♪Jumpin’ With Symphony Sidもこのアルバムに収録されています。

アット・ストーリーヴィル1&2

アット・ストーリーヴィル1&2

 このアルバムに対して、村上氏は惜しみない賛辞を送ります。

「それは天馬のごとく自在に空を行き、雲を払い、目を痛くするほど鮮やかな満点の星を、一瞬のうちに僕らの前に開示する。その鮮烈なうねるは、年月を越えて、僕らの心を激しく打つ。なぜならそこにある歌は、人がその魂に密かに抱える飢餓の狼の群を、容赦なく呼び起こすからだ。彼らは雪の中に、獣の白い無言の息を吐く。手にとってナイフで切り取れそうなほどの白く硬く美しい息を・・・。そして僕らは、深い魂の森に生きることの宿命的な残酷さを、そこに静かに見て取るのだ。」(『ポートレイト・イン・ジャズ』)

 村上氏はかつてレコードのライナーノーツをいくつか書いていますが、スタン・ゲッツの『チルドレン・オブ・ザ・ワールド』もその一つです。このアルバム自体、ゲッツの作品の中ではあまり出来がよいとは思いません。村上氏のライナーノーツも9割はゲッツ論に費やされ、最後の1割部分でこの作品に言及しているに過ぎません。村上氏はこの中で、ゲッツの活動期を5つに分け、それぞれのスタン・ゲッツ・ベスト・コレクションを掲載しています。

1.クール・ゲッツ
「コンプリート・ルースト」(ルースト)Comp. Roost Studio Sessions
「アット・ストリーヴィル」(ルースト)アット・ストーリーヴィル1&2
「ロング・アイランド・サウンド」(プレスティッジ)From Long Island to Stockholm


2.ホット・ゲッツ
「ディズ・アンド・ゲッツ」(ヴァーヴ)Diz & Getz: Vme
「フォー・ミュージシャンズ・オンリー」(ヴァーヴ)For Musicians Only
「ゲッツ&J・J・オペラ・ハウス」(ヴァーヴ)At the Opera House


3.ウォーム・ゲッツ
「イン・ストックホルム」(ヴァーヴ)Stan Getz in Stockholm (Dig)
「アット・ザ・シュライン」(ヴァーヴ)At the Shrine (Dig)
「アワード・ウィナー」(ヴァーヴ)アウォード・ウィナー


4.ボサ・ノヴァ・ゲッツ
「ゲッツ/ジルベルト」(ヴァーヴ)ゲッツ/ジルベルト
「ゲッツ・オー・ゴーゴー」(ヴァーヴ)Getz Au Go-Go (Reis) (Rstr) (Dig)


5.リッチ・ゲッツ
「スウィート・レイン」(ヴァーヴ)Sweet Rain (Dig)
「アット・モンマルトル」(スティープル・チェイス)Live at MontmartreLive at Montmartre 2

 どれも素晴らしい作品ばかりで、村上氏のセレクションに全く異論を挟む余地がありません。

 個人的には初期のルースト時代の作品がとりわけ気に入っています。特に、『コンプリート・ルースト』の中のジョニー・スミスのギターとの共演は軽快な中に深みのある好演となっており、お気に入りです。ちなみに、『コンプリート・ルースト』は、ジャズ評価の権威ともいうべき「THE PENGUIN GUIDE TO JAZZ」が最高評価を与えています。