- 作者: 岡倉天心
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1986/02/05
- メディア: 文庫
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「アジアは一つである。」
という有名な文句で本書は始まります。
その後、日本の原始芸術、北方中国の儒教、南方中国の老荘思想、仏教とインド芸術についての分析がなされ、そうした海外文化が日本の飛鳥時代以降、どのように根付いていったのかについて論じられます。つまり、端的に言えば、日本文化はインドや中国の文化の理想を採り入れつつ独自の文化を形成していった、というわけです。
中国の漢では儒教的文化が形成されたが、儒教の理想は倫理への奉仕に縛られるもので、芸術の自由は制限されていた。他方、南方中国の老荘思想と道教は、柔軟にインドの仏教を採り入れた。それらが飛鳥時代の日本に到来し、奈良時代、平安時代、藤原時代、鎌倉時代を経て、足利時代において理想を実現するに至った。その後江戸時代に抑圧されたものの、明治時代になって新たな芽生えが生じつつある。
本書のあらすじをまとめるとこんな感じでしょうか。
つまり、日本文化は、北方中国の儒教、南方中国の老荘思想・道教、インド仏教の3つの文明を、多様性を保ちながら受け入れた「アジア文明の博物館」だというわけで、そこにアジアの理想が凝縮されているといったイメージです。
ここで天心が「アジアは一つ」と述べているのは何を意味するのか?という疑問が湧いてきますが、この問いに答えることは難しい問題です。日本文化が多様なアジア文化の理想を採り入れていることと、アジアは一つであることは、直ちにはつながってこないからです。
ただ、解説で松本三之介氏が述べているように、天心は政治的な統一を求めようとしているわけでは決してなく、むしろそれぞれの地域の文化的多様性を重視していることは重要な点でしょう。つまり、多様性を内包しつつも、アジア的な一体性がアジア全体を包み込んでいるような状況、そしてその中で日本文化も多様な文化の要素を採り入れつつ、日本なりの理想を達成していくような状況、天心が思い描いているのはそんなアジアのイメージなのではないかと思われます。
日中、日韓関係は、不幸な歴史が存在しますが、根底においてはどこかつながっているような感覚を多くの人々が持っているのではないかと思います。
東アジア共同体と言われて久しいですが、本書は、文化面でソフトにつながる共同体をイメージする上で、大きなヒントになるような気がしました。