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堀江敏幸「ゼラニウム」

ゼラニウム (中公文庫)

ゼラニウム (中公文庫)

 異文化の女性たちとの予期せぬ触れ合いを、ゆったりと流れる文体で綴った短篇集です。

 本書は6つの短篇集から構成されていますが、いずれも日本人の男である「私」と外国人女性との触れ合いをモチーフにしたものです。

 1つ目の「薔薇のある墓地」は、パリ郊外の水道橋のある街を舞台にした作品で、主人公が業務提携を結んでいる離婚歴のある女性エリーヌが、主人公の依頼した配達中にバイクで事故死してしまうという話。

 2つ目の「さくらんぼのある家」は、主人公の友人である男女の結婚パーティーに呼ばれたが、男女のぎくしゃくした関係に巻き込まれ、そのパーティーの後に新婦の家に2人きりで泊まるという話。翌朝、夫の作った意味不明な水槽に主人公が水を流し込む場面がアンニュイな雰囲気を醸成しています。

 3つ目の「砂の森」は、パリ郊外の裕福な家の娘ベアトリスと、その家に泊まる主人公との触れ合いの話。ベアトリスは飼い猫が水の渦に興味を示したことをきっかけに水流の研究を志している。

 4つ目の「アメリカの晩餐」は、パリに住む主人公が映画のプロモーションのために日本から売り込みに来た映像企画会社の関係者から通訳を依頼されるが、フランスのプロデューサーの事務所で出会ったフィリピン人のメイドに惹かれるという話。プロデューサーが打ち合わせをドタキャンした際、主人公はそのメイドを食卓に誘う。

 5つ目の「ゼラニウム」は、フランスのアパルトマンに住む主人公の玄関先で配管の水漏れが起こるが、その原因は誰かが排水溝に流した生理用品が詰まったことにあることが判明する。主人公は犯人である階上の女性を突き止めようとするが、女性の住民は一人の老女しか思い当たらない。注意喚起の張り紙を貼っているところを老女に見つかり、主人公は愚痴をこぼされる。

 6つ目の「梟の館」は、池袋近郊で偶然出会ったフランス人女性との触れ合いの話。そのフランス人女性はオーストラリア留学中に日本にやって来て、語学教師や夜の接客業に従事していた。主人公はロラン・バルトの日本論が収められた本を貸すが、その女性は本を返すことなくどこかに姿を消してしまった。


 これらの短篇の多くは、主人公の方から外国人女性との触れ合いを求めているのではなく、何気ない出会いをきっかけに触れ合いが始まっているところが魅力的です。唯一主人公の側から交流を求めているのが「アメリカの晩餐」の中のフィリピン人女性です。他がフランス人女性との触れ合いであるのに対し、この短篇だけがアジア人女性との交流を描いたものです。これは明らかに同胞意識の有無による違いと言えるでしょう。フランスという地で出会ったフィリピン女性は、日本人の主人公からすれば同胞と感じることは自然の感情でしょう。この触れ合いのきっかけの違いの描き方が、読む側にとって大変説得力をもっています。

 それにしても、異文化との交流というモチーフは限りない魅力を読む側に与えてくれます。それが女性との触れ合いであればなおさらです。解説を書かれている大竹昭子さんは、

「異国での触れ合いは、相手が異性ならば二重の意味での異文化との接触になる。」

と述べられているのには大変共感します。

 私が最も印象に残っているのは、「アメリカの晩餐」で、フィリピン人のメイドが主人公と食卓を共にする際に、厨房脇の小部屋に小走りに入り、口紅やイヤリングなどでオシャレをして出てくる場面です。とても素敵な情景が目に浮かびます。