- 出版社/メーカー: 東宝
- 発売日: 2005/07/22
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幸田ゆき子(高峰秀子)は、戦時中の仏印で農水省官吏の富岡と出会う。ゆき子と富岡は熱愛するが、帰国後、妻を持つ富岡のゆき子に対する態度は冷たくなった。ゆき子は米兵と恋愛関係を持ったりするが、富岡のことが忘れられない。
ゆき子と富岡は伊香保温泉に旅行に行くが、そこで富岡は飲み屋の女房おせいと恋愛関係となり、帰京後、富岡はおせいと住居を共にするようになるが、やがて富岡の妻は病死し、おせいは夫に殺害される。
ゆき子はかつて関係を持っていた男で宗教団体を起こした伊庭の家に住み込むようになったが、伊庭のお金を持ち逃げして富岡の下へ駆け込んでくる。富岡は新たな職を屋久島で見つけ、2人は屋久島に向かう。
ゆき子は途中で体調を崩し、屋久島で命を落とす。富岡はゆき子に死に化粧を施しながら、泣き崩れたのだった。。。
この作品ではやはり高峰秀子の存在感が圧倒的に光っています。特に演技がうまいとは思いませんが、戦後の日本女性を代表するキャラクターであったことが、存在感の大きさにつながっているのだと思います。
優柔不断でヒモのような生活を送りながらフラフラとしている富岡に対して、ゆき子は富岡に騙されながらもたくましく自分の生活を模索し続けます。この2人の対称性が戦後日本の男と女のキャラクターの対称性そのものを象徴しているように思います。
私は、戦後の日本社会が終戦からいち早く立ち直ることができたのは、女性の強さによるところが大きかったと考えています。戦地から帰ってきた男たちは、あまりに急激な社会の転換に戸惑い、脱力感にさいなまれますが、女性たちは素早く気分を転換し、新たな社会秩序の中で力強く生き抜こうという姿勢を見せます。ゆき子もお金に困ればパンパンになったり、身を寄せていた宗教団体からお金を盗んだりと、その行動には力強さを感じます。
凛とした高峰のキャラクターは、そうした戦後日本女性像を体現しているような気がします。『二十四の瞳』で高峰が演じた先生役でも、高峰のキャラクターが存分に活かされていることは言うまでもありません。
結末が死の場面で終わるという点を除けば、実によくできた映画であり、戦後日本映画の代表作であり続けてきたことは頷けます。