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映画、書評、ジャズなど

宇和島の魅力について

 都会と田舎の生活の最大の違いは、「夕方」にあると言えるかもしれません。
 東京では気がつかないうちに過ぎていく「夕方」が、愛媛ではとても濃厚で重要な意味を持つ時間に感じられます。

 特に西が海に面している愛媛県では、夕日の力強さに圧倒されます。だから、夕方の時間帯をどこで過ごすかが、極めて重要になってきます。南予(愛媛の南部地域)で海にゆっくりと沈んでいく夕日を見ることができた日は、昼間の気持ちを切り替えて、非日常感が溢れる夜の時間に気持ちよく突入していくことができるのです。

 ということで、私は宇和島の海に西日が沈んでいく光景が大好きで、夕方に合わせて宇和島を訪れることがよくあります。

 宇和島の古くからの名所としては、宇和島城和霊神社があります。

 宇和島城藤堂高虎が1601年に創建したとされ、現在も当時の城構えを引き継いでいる貴重な城です。天守閣まで登る石段に歴史の重みを感じます。

 山家清兵衛(やんべせえべえ)を祀った和霊神社も立派な神社です。伊達政宗の長男で宇和島の初代藩主となった伊達秀宗の家臣であった清兵衛は、1620年に凶刃に倒れます。その後、この事件に関与した者が落雷や海難などで相次いで変死したことから、清兵衛の霊を祀ったのが和霊神社の始まりだそうです。

 遊子水荷浦の段畑も美しいスポットです。宇和島中心部から車を走らせて30分ほどのところに位置しています。かつてはもっと広い面積で段畑栽培が行われていたそうですが、今でもじゃがいもの栽培が行われているそうです。

 段畑を登ると、入り組んだ静かな湾の中に点在する養殖筏や浮きがとても美しい光景を織りなしています。湾の上には数羽の鳶が優雅に飛来しながら戯れています。こんな美しい光景が愛媛の南の端っこに存在していることをどれほどの日本人が知っているでしょうか?

 さて、宇和島には穴場?ともいうべきスポットがあります。それは通称「覗岩遊園地」(赤松遊園地)です。こちらも宇和島中心部から車で15分くらいのところにある施設です。

 一見、極度に寂れた公園に過ぎないのですが、目を惹く遊戯施設がいくつか点在しています。例えば、海に向かって飛び込めるように設置されているブランコ。

 仮面ライダーロボコンの遊具は、誰も乗ってくれないけれどもいつかは誰かが乗ってくれるのを辛抱強く待ち続けているかのようで、哀愁の中にも、どこかけなげさを感じます。

 そしてメインのコンテンツである覗岩。勾玉のような奇妙な形をした岩ですが、いろいろなものを想像をかき立ててくれます。覗岩ごしに見える西日とのマッチングが大変情緒溢れる光景をつくり出しています。

 この覗岩遊園地を絶賛しているのが宇和島で創作活動を行っている大竹伸朗氏です。地元のボランティアグループが作成している「Vif」という雑誌のインタビュー記事で、大竹氏は次のように述べています。

「よくモチーフとして使っている赤松遊園地の『のぞき岩』は宇和島のパワースポット。未来なのか過去なのか現在なのかわからない独特の磁場がある。時間の概念がない場所。俺にとっては「『モナ・リザ』見るより、『のぞき岩』に一時間いるほうがいい。」っていうのは言い過ぎだけど、日本人は無意識のうちに、「のぞき岩」より「モナ・リザ」が偉いと思いこんでいる。・・・俺は『のぞき岩』でラーメンを食うのが一番の贅沢です。」

 私は大竹氏のこの言葉に大変強い感銘を受けました。宇和島の活性化のヒントがこの言葉の中に含まれています。多くの人が気がつかずに放置してしまっているものの中に実は限りない魅力が存在している、ということを大竹氏は言いたかったのだと思います。

「美術の本質はどっちが良いか、悪いかじゃない。自分が良いと思うことが大事であり、良いと反応する気持ちがその人にとっての『美術』なんだろう。」

 このあまりにストレートな言葉も、目から鱗です。以前取り上げた大竹氏の著書『既にそこにあるもの』の中で大竹氏が述べていたことと完全に通ずる言葉です。

 宇和島の活性化について触れている次の言葉も極めて重要です。

宇和島だけじゃないけど地方って自画自賛にホメるでしょ。「これがおいしい」とか、「特産品」とか。そういうのってウソくさい。地元出身者を持ち上げたり、地元の良いものを過度にとりあげたり、それほど他者を排除する意味があるの?「すばらしいものの基準」設けるから面白くない。ニュートラルでいい。必死さが暴走して逆効果になってる。宇和島を持ち上げようとしないほうがいい。「全国レベル」を求めすぎて逆に自分の首を絞めている。」

 地方の活性化に向けた姿勢について大竹氏は痛烈に批判しているわけですが、実は大竹氏の指摘こそが最も核心をついているような気がします。

 外の人間から見ると、内輪の盛り上がり的な地方活性化ほど寒いものはありません。宇和島に来ると、「じゃこてん」だ、「パール」だ、と盛り上がって、それがいかに魅力的なものであるかについての表面的なフレーズが外に向かって必死にまき散らされています。

 しかし、外部から見たときの街の魅力というのはそういう類のものではないでしょう。街の人たちが独自のアイデンティティを持って生活し、それを誇りにしている姿こそが、外部から見たときの街の魅力につながるのだと思います。

 そもそも、多くの街の活性化の取組においては、観光客向けの魅力と地元向けの魅力とを暗黙のうちに分けているような気がします。「じゃこてん」も「パール」も、観光客向けの魅力として発信されており、それも必死になって発信されているから、どこかださくなってしまうのです。地元の人たちが「じゃこてん」や「パール」に囲まれて心から生活を楽しんでいるという姿があまり伝わってこないのです。

 大竹氏が「覗岩遊園地」に魅力を見出しているのは、かつてそこで人々が心より惹かれ楽しんでいた痕跡を発見したからかもしれません。地元の人たちが地元のコンテンツを活用して最高に楽しむことこそが、実は街の活性化につながり、街の魅力アップにつながるのだと思います。多くの街の活性化の取組は、それ自体が目的化してしまっていて、街の人たちが楽しんでいる姿が見えてこないのです。

 大竹氏は著書の中で吉田湾の美しさを絶賛していましたが、夕暮れどきに宇和島から北上していく途中に養殖の浮きが散らばる吉田湾がパッと開け、背後に夕陽が沈もうとしている光景は絶品です。写真が撮れなかったのが残念なのですが、あの幻想的な光景は忘れられません。